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見つけた秀歌

 しばらく書いていなかったさまざまな歌壇の中から、真愛好みの句や歌をメモしておいた記録を転用させてもらう。
 新聞や雑誌に投稿された俳句や短歌なのでお断りなく転用することをお許し願いたい。

秋葉四郎氏選
ー 温泉に子ども家族が集まりて
     祝いくれたり米寿のわれを ー
        新潟県 曽根 頌子氏
{昔、夫のおばあちゃまが米寿のお祝いとの事 
 で、彼の代わりに十勝川温泉に出掛けたこと
 があった。
 嫁ぎ先の親戚一同40名近く集まった。
 息子は曾孫である。
 初めてお目に掛かるおばあちゃまは、柿と
 コーヒーが大好きで元気だった。
 当時は米寿を迎えることは珍しかった。
 おばぁちゃまが
「嬉しいね。
 長生きしてよかった。
 こんな可愛い曾孫と厚洋の嫁さんが見られて
 嬉しいね。
 本当に遠くからよく来てくれたね。」
 って喜んでくれた。
 厚洋さんの親族の方はみんな優しかった。
 良い家に嫁いだと思った瞬間でもあった。}
(真愛は今までずっと頌春=コウシュンと誤読 
 していました。正しくはショウシュン。
 ですから、歌人はショウコさんでしょうね)

ー 十三歳童顔のまま笑ひたる
     子供の遺影に今日も語らむ ー
         奈良県 行方えみ子氏
{幼くして逝った息子さんか娘さんは何年経っ
 てもそのままの笑顔でいるのですよね。
 自分だけが歳をとっていくことは切ないです 
 が、私が亡き人を思わなくなったら、遺影に
 語らなくなったら、その遺影の存在すら無く   
 なるのです。
 頑張って墓守りをいたしましょう。}

ー 一読し嫌だと思った文章を
     もう一度読み世界広がる ー
          兵庫県 野村正孝氏
{分かるなぁ。本も人も同じ…。
  何でも同じかな?嫌だと思ってもその中に
 ちょっとだけの学びがあると
 いつも思いますね。}

ー 山里の木造校舎の思い出は
      教室一つ教師も一人 ー
         北海道 高野信子氏
{厚洋さんも真愛も廃校・閉校の最後の年の
 思い出作りをしました。
 たった一人の新入生であっても100人の
 新入生と同じ思いで迎えるのです。
 良い学校でした。
 良い保護者・良い地域の方々でした。
 良い先生達でした。
 とっても素晴らしい子どもたちでした。
 全ての事が忘れられない思い出です。}

創立100年の年 廃校になった

ー 万葉の額田王の歌を読み
      晦日の朝に珈琲を飲む ー
        兵庫県 野村正孝氏
{翌々日になればお正月。百人一首に選ばれな 
 かった美しい歌人。
 あかねさす紫野行き標野行き
      野守は見ずや君が袖振る
               (額田王)
 この歌に大海人皇子が歌います。
 紫のにほへる妹を憎くあらば
       人妻故に吾恋ひめやも
              (大海人皇子)

 晦日に読む額田王の歌ってのが良いな。
 真愛の旦那様もちゃんと「紫の妻」って真愛
 の事を歌ってくれました。
 紫の妻と佳き時(平成時代)暮らしたる
        我れ逝く庭の野菊の光 
              厚洋
 病床で詠んだ平成最後の歌会始のお題は「光」 最初で最後の詠進でした。笑笑。
 珈琲不味くなっちゃうかな?}

ー 八十になる朝咲きぬ在りし日の
        夫植えくれし白き山茶花 ー    
          栃木県 藤木ウメ氏
{亡き夫の愛した庭には、妻の喜ぶ顔を思って
 植えてくれた花木が沢山ある。
 深くなる思い出と共に必ず咲いてくれる花々 
 はずっと真愛を守ってくれている。}

道浦母都子氏選
ー 日曜日に雨降るたびに思うこと
      今日結婚式の人もあるのに ー
         大阪府 小川洋子氏
{真愛と厚洋さんの結婚式の日は集中豪雨みた
 いな降り方でした。来賓のご挨拶はほとんど
『雨降って地固まると申します…。』
 確かにしっかり固まって本当に幸せな結婚
 生活43年でしたよ。}

ー 来年で箱根駅伝百回目に
      母生きてれば同じ百歳 ー
        千葉県  小倉君子氏
{亡くなっ方の年はその年で止まるのではない
 のです。
『元気でいれば高貴高齢者になるのね。』
 なんてお仏壇で話してしまう。
 亡くなっても我々の胸の中で生き続けて
 いるのですよね。}

坪内捻典氏選
ー 木の葉散るモップみたいな犬を見た ー
         新潟県  土沼広美氏
{そのまま!可愛い!}
ー 道の駅半分こする蕪の葉 ー
         大阪府 今村詩織氏
{夫が半分こしてくれる物は何でも嬉しかった
 ですね。言葉の無い愛情表現ですもの。}
ー 吹雪く夜やコルトレーンと薪焚べる ー
         大阪府  川辺法隆氏
{捻典さんもコルトレーンをよく聴いたそうだ 
 現在はキース・ジャレットなどと薪をくべて
 いる感じ…。と評しているのが嬉しかった
 厚洋さんはMilesDavis。
 ジャズと暖炉とブランデーですかね。}

千葉県退職公務員だよりから
《俳句の部》
ー 老練の気概を見たり寒稽古 ー
         君津支部 鈴木毅氏
《川柳の部》
ー 嫁寝坊夜泣きの長さ推し量る ー
         君津支部 鈴木毅氏
{なんとなんと、厚洋さんの同僚だった方。 
 優しい毅先生のお嫁さんへの思いやりが
 本当によく出ています。
 俳句も短歌もやっぱり人なりなのですね。}


毎日が発見から
米川千嘉子氏選
ー 三回忌終えて今でもそこに居る
  そんな気がして呼びかける「オーイ」 ー
          千葉県 鹿目義孝氏
{真愛と同じです。もしも残されたのが厚洋
 さんだったら、鹿目さんのように思ってくれ
 ていたのかしら?
 奥様は幸せな方だったのだと思いました。}

ー スーパーにメモを見ながら買ふわれに
     メモ持つ人がほほゑみかける ー
        群馬県 中山恵子氏
{あるあるであり、分かる嬉しさ!}

ー をりをりの夜のわが身にしのび入り
     さびしきことを見する夢あり ー
              若山牧水
{有名な歌人です。
(夜の自分の中に「夢」というものが忍び込んできて、自分にとって「さびしきこと」を見せるのだと…。)
 不安な夢寂しい夢悲しい夢に涙して起きることがありますよね。
 牧水さんも感じていたのですね。

ー コリコリとコーヒー挽いて淹れたれば
       カップ二つに幸いの朝 ー
         京都府 田中詔夫氏
{厚洋さんも同じように珈琲を淹れてくれまし
 た。気づかなかった最高の幸せな時間なの
 ですね。}

ー 夫と諍い行き先も見ずバスに乗り
        優先席で居眠りしたり ー
         東京都 田中信枝氏
{真愛は泣きながら家出をし、いく場所がなく 
 て車で走りました。猛スピードで危険ですよ
 ね。
 バスに乗れる東京は安全安心…。
 気の迷い!御免なさいと私が謝りました。}

ー 初春の「そんなあんたはかわいい」と
      われを驚かす連れ合いの声 ー
         愛媛県 向井展朗氏
{年を経ると年上の夫に「可愛いね❣️」って
 言うようになりました。
 男の人って歳取ると素直で可愛くなります
 よね。向井さん家もですね。}
ー わくわくとじゃこ天揚がる「ほーなん」
  「ほじゃけん」「帰って来んかい」 ー
             平山繁美氏
{帰って来んかい!
 故郷は遠くにありて思うもの…。
 帰られない、帰りたい。
 故郷の訛りもそうなんです。
 故郷の美味しいものも泣くほど切なく食べた 
 いものですね。}

俳句
対馬康子氏選
ー 軒下に如来の高さ燕の巣 ー
       京都府 田中久美子氏
{如来の高さが魅力的}
ー 春風や土偶に乳房猫に髭 ー
       東京都 近藤敏夫氏
{猫に髭。春風が見えて来ます。
 何色の猫かな?
 髭が白って思うのは何故だろう。}

ー 子燕を巣にもどしやる漢かな ー
      京都府 森本 ひろ子氏
{男が漢であるところが無骨であり、
 その手に小燕がいると思うとその瞬間が
 優しい時間になります。}
ー 残雪や遺影と語らふ山の宿 ー
       千葉県 鹿目 義孝氏
(この方前号では短歌で一席をとっていらっしゃいました。)
 亡き奥様を思う切なさが胸を打ちます。
 そして、彼方に逝かれた奥様に
「貴女はなんと幸せな方なのでしょう。」
と申し上げたいです。
「厚洋さん。
 鹿目さんの思い伝わってますよね。」

厚洋さんのMook

 春休みについてのネタがあるかどうか、パラパラとめくって見ると面白いことに厚洋さんの選んだ俳句が載っていた。
 学級通信を毎日発行していた彼は、見出し文の代わりに俳句を載せた。
 俳句は季語があるし、秀句をちょっと読ませるだけでも感性は豊かになる。年間300句ぐらい耳から覚えるのだから、日本人のリズム感が鍛えられる。
 そんな中に三月に捻った彼の句が載っていた。

昭和61年4月10日

過ぎし日を語る夕べや花の宴
          マンボウ

2023年3月23日

 1986年4月8日。
 新築のこの家に引っ越して来た真愛達は、この桜に初めて出会った。
 新築のお披露目も兼ねて、学校の同僚を招き「夜桜の宴」を催した。
 その翌々日の句である。
 恥ずかしがり屋の厚洋さんが真愛の学校の同僚と一緒に呑んで語ってくれたのだ。
(あら!
 人前でも、こんなに陽気な厚洋さん
 になるのね。
 自分で建てた家って、やっぱり自慢ね。)
と彼の可愛さを見つけた事も覚えている。
 どんな過ぎし日を語っていたのだろう。
 真愛が中でお料理を作っている時に
「あいつはさぁ。
 料理なんかできなくってさぁ。
 俺がみんな教えたんだぜ。」
なんて悪口のような惚気話をしていたのだろうか。
「奥さん、料理上手ね。」
と言われると必ず応える新婚当時の真愛の話である。

 この句が秀句でないことは分かる。
 しかし、素晴らしい思い出の句であり、誰にも捻れない「今の真愛を感動させる句」である。
 俳句や短歌を生み出す原点は、心の揺れである。
 誰かのために歌う事もあるだろうが、自分の声を聴くのだ。
 心の声が聴こえたら、作るべきだ。
 こころが揺れたらそれを書くべきだ。
 誰も読まなくても…。
 
 それから37年。
 桜は3月の下旬に八分咲きになり、枝はベランダの上まで伸びている。
 あの日、厨で一緒に料理を作っていた母も逝き、同僚と夜桜の宴を楽しんでいた厚洋さんも逝ってしまった。
 息子は嫁をもらい孫も大きくなった。
 真愛ひとり桜の下で、誰に語ろう。

 過ぎし日を独り語りの花の宴 
               真愛

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります