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愛しい人が逝って1093日    テレビが壊れた。

 2014年製。
 50インチの画面は真っ暗になった。
 去年あたりから、それもコロナ禍の始まりごろからいいや。)と我慢をした。
 厚洋さんが具合が悪くなった頃、我が家にはテレビが3台になった。
 2011年までの地デジ放送の切り替えに備えた事と彼が退職して家にいる事が多くなった事とで、2009年に当時の薄型テレビにした。
 また、晩酌をして9時になると寝てしまう厚洋さんに迷惑をかけない様に、2階の真愛の部屋に小さなテレビを買った。
 そのテレビは時々、長風呂の真愛のお風呂用のテレビにもなった。
「テレビも色々だな。
 大きな画面は見やすいな。
 風呂には本でいいや。」
と厚洋さんは言った。
 当時の薄型テレビも真愛が退職の頃、テレビのアンテナが悪いのかチラチラする様になり、ついに液晶画面が真っ黒になった。
 しかし、光テレビは映るのでそのテレビは光テレビ用にした。
 そして、50インチのAQUOSを購入した。
 リビングで2人でテレビを見た。
 和室で2人で海外ドラマを見た。
 お風呂で厚洋さんが見ないドラマを見た。

 厚洋さんの具合が悪くなり、外に出る事が少なくなってからは、光専用テレビは厚洋さん専用になり、大リーグやサッカーのW杯・外国映画・外国ドラマを楽しんでくれた。
 自分の気に入った番組を探しては、無理矢理一緒に見せられた。
 仕事があってちょっと大変だったけれど、2人で映画館に行ってるみたいで嬉しかった。
 リビングで晩酌ではなく、和室でテレビを見ながら晩酌をしている彼と、テレビドラマの内容で話せるのはとても楽しい時間だった。
 二人がけのソファに並んで見ているのだもの、年甲斐もなくじゃれあってしまうこともあった。
 光テレビにして良かったとつくづく思った。
 彼が亡くなり、暫くはテレビを見ることもなかったし、傷んでいた二人掛けのソファも壊れたので光テレビを見なかった。
 だからだろうか。厚洋さんが亡くなって1年経った頃。久々につけた光テレビの写りが悪く、大きな台風の後に完全に映らなくなった。
 光専用テレビは自分で処分場に持ち込んだ。
 光回線を50インチのテレビに繋げて、リビングで見るようになった。
 お風呂場のテレビも真愛のベッドの横に置いた。
 その1年後、去年のことだ。
 テレビの画面の上4分の1ぐらいの明度が暗くなり変な映り方をする様になった。
 前兆として、アンテナの具合が悪いらしく、チラチラする局があった。だから、光テレビで全ての番組を見ていた。

 多少の見辛さはあったが、「まだ頑張られなければお小遣いが…。」と今夜まで粘ったが、ちびまる子ちゃんを見ながら、夕食の片付けをして振り向いたら、真っ黒になっていた。

 サザエさんは、ベッドの横から小さなテレビを持ってきて見た。
「TOKYO MER」の最終回だと言うのに、ちっちゃな画面で見るしかなかった。
 今、家にはテレビが一台しかない。
 テレビと一緒に生まれた真愛なのだからだろうか。
 貧乏でなってなかなか自分の家でテレビを見る事ができなかった生活だったからだろうか。
 想像力の欠如で聞き取りができなかったり、深夜放送を聞いて勉強した子ではなかったからだろうか。
 テレビがないと寂しい。
 真愛は、シーンとした中で、一人でいるのは嫌なのだ。
 テレビがちゃんと見られる時には、テレビの音を聞きながら仕事をした。ラジオを聞いてみたり、CDを聴いてみたりする時もあった。
 しかし、テレビが見られなくなると、他の音では駄目なのだ。
 自分ひとりの心臓の音が聞こえてきてしまう。
 画像と音声の両方が欲しいのだ。
 自分がテレビ人間だった事がわかった。

 厚洋さんが亡くなって、初めて厚洋さんがいないと「切なくて、寂しくて、怖くて、悲しくて、寂しくて、生きているのが嫌になるほど」彼に支えられ、助けられ、愛されてきたことに気づいた大馬鹿者の真愛だが、それと同じだと思った。
 いつもと同じ日の繰り返しが幸せなのであり、それに気づくのは、何かを失った時に分かるのだ。
 なんと愚かなことなんだろう。

 テレビは明日、買いに行くからなんとかなる。
 しかし、愛しい人はそうはいかない。
 にも関わらず、そんな大事なことをちゃんと分かって、毎日を暮らしている人が何人いるだろうか。
 真愛のように、亡くなった愛しい人を思い続けて、精神的に病んでいく人がたくさんいるんだと思う。
 もし、このnoteを読んでいるあなたに、「愛しい人」がいるならば、「愛しいと思うもの」がいるならば、今の幸せを感謝し、そのものが、いつ壊れてしまっても、後悔しないような生活をしておくべきだと伝えたい。
 明日は、厚洋さんが逝ってから、1093日めの素数日。
 あの時、あんな風に言ってあげれば良かった。
 あの日には、路チューぐらいしてれば良かった
 ケチらないで、もっといいものを。
 いじけないで、正直に甘えれば良かった。
って、思い出とともに後悔が増えてくる。
「後悔しない生き方なんて出来ない。」

 人は幸せの中では、「幸せ」は気づかない。
 ありふれた日常のなんと「幸せ」なことかも
               気づかない。
 今、あなたは本当は幸せなのですよ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります