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春の日差し

いつもと変わらない朝の光なのに、
「あっ。春だね。」
って思っ真た事はありませんか?
日による光の入射角なのだから去年の今頃もそう感じていたのでしょう。しかし、気温によって咲く花の様子が違っていたかもしれません。
現に、「上野の桜の開花を知らせる標本木は、去年より早く五輪咲いた」ようです。
何百年経っても全く同じ春の日差しはないと思うのです。

32年前から、結構空を見上げる事が多くなりました。それは、厚洋さんのお友達で「毎日の雲」を描いている方がいらっしゃり「地震雲」の話をお聞きしたからです。その時に、
「雲は、一度として同じに出た事はない。」
と聞いた厚洋さんが、
「全てのものが一つとして同じではないと言える。
去年の桜じゃない。
オートメーションで作ったものであっても、作られた時刻・場所が違えば同じじゃない。
76億の人間は全て違うのだ。まとめて人間じゃ悲しい。同じように生きなくていいではないか。
しかし、まとめて人間何だから、争うのはおかしいだろう?
まとめて、地球の生き物なのだから、誰が偉いとかあるのか?」
と真面目に個性,自由,見つめる目について話した事を思い出しました。
季節の移ろいを愛おしみ、自然への畏怖の念を2人でよく話しました。
今朝は、春の日差しが部屋の奥まで入って来ました。

外に出ても「暖かい春の日差し」を感じました。↓青い星のように風に吹かれていた花。
そっと触っても直ぐに散る花なのに、強い春風に裏を見せるほど吹かれても散らない命です。

今年は、たくさん出ている「土筆」↓

一つとして同じものが無い生命。
その命に囲まれて春の中に立つ
私の命もたった一つ
私の人生もたった一つ
生きなくちゃ!
たった一つなんだもの。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります