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子育てパニック 可愛くない

 歳をとると目も悪くなり、耳も悪くなり、根性も悪くなる。
 某薬局の15.16日は、シニアスDAYと称して、ポイントが3倍になるので、そのお店で大量買いをしてしまう。
 若い人達も高齢者を連れて買い物に来て、会計の時にその恩恵に与る。コロナ禍であるにも関わらず結構な人出で、そこここでマスクをかけての立話をしている。
(嫌だな。)と思いながら、通り越すと
「なんだかさ。
 子どもが好きじゃないみたい。
 可愛いと思えなんだ。」
と聞こえた。
 教員であった悲しい性なのだ。品物を探すふりをしながら、話を聞いてしまった。

 次男は可愛いと思うけど、長男はかわいと思えないんだと言う。
 忙しいのに「なんでー。」「なんでー。」と纏わりついてくるのが、鬱陶しいらしい。
「あの子は、私を困らせるために生まれて来たのかもしれない。」なんぞと言っていた。
 何やら、長男はおばあちゃんの言うことは聞くらしい。」
「イライラして、殴っちゃいそう!」
と聞こえた。

 このママさんは、とっても良い母親である。
 子どもに対する自分の接し方や心のあり様に悩んでいるからである。
 本当に問題のある親御さんだったら、こんな商品棚の前で話さないと思う。
《苦労してるんだな!》と思ったが、全くの赤の他人であり、子どもを殴っている所を見たわけではない。
 だから、赤の他人としては、知らんふりをするしかない。
 教員時代のことを思い出した。
 違う職種の方に
「小学校の先生をやっているのだから、
 子どもが好きなんですね。」
と断定され、
「私、子ども嫌いです。」
と答えたことがある。
 わがままな真愛は、我儘な子どもが嫌いだったし、小さくて言葉もわからない同僚の子どもなど「可愛い!」なんて褒めるけど心底可愛いと思ったことはない。子猫や子犬の方がよっぽど可愛いと思った。
 面白いのは、あんなに子供のことを考える良い先生の厚洋さんが、
「俺、ガキ嫌い!」
と言っていたことだ。
 そして、いつも真愛にいうことは、
「先生だって子どもを選ぶことができない。
 子どもだって先生を選べない。
 だから、嫌いのまんまでは、
 子供はかわいそうだ。
 金もらってやってんだから、少なくとも、
 嫌いを悟られないように、みんな同じように
 思いやってやらんとな。
 俺が嫌われることはいいんだ。
 俺は、彼奴のいい所を見つけてやれば…。」
だった。
 真愛は、「嫌い」でもいいが、「嫌いだから避ける」をしない。「同じにする事だ」と言うことは彼から学んだ。
 これは子どもだけではない、どんな人にもなのだ。それが、「平等」ってものだと思う。
 そのことによって、4月に「合わないな。」って思った子も、3月には「コイツ面白い。凄いいい所いっぱいある。手放すのが惜しい。」なんてことになる。
「嫌い」が「大好き」になるから不思議だ。

 そして、厚洋さんとの話の最後には、
「俺らは、教員だからこれで済むけど、これが
 親子だったら、困るだろうな?
 親が、自分の子どもを好きになれなかったら
 子どもも親も哀れだろうなあ。」
と言った事がある。
 子煩悩な厚洋さんには考えられないことだったのだ。
 真愛は、息子が小さい時には感じなかったが、反抗期の頃ちょっとだけ思った。
(なんでこんな子になっちゃったんだろう。)
嫌いになったわけではないが、「可愛い・好き」の感情が薄れて行く気がしたことがあった。

 結論から言えば、真愛は子どもを「所有物」「私の…。」と考えていたので、私の意のままにならなければイライラしていた良くない母親だったからだ。
 厚洋さんは、息子が生まれた時から、ずっと変わらず「ひとりの人間」としてその成長に合わせて認めていてのだ。
 そりゃ、絶対「パパ大好き」になるわね。
 厚洋さんの方がいい人間だもの。

ラッコ

 さて、会話の「可愛いと思えない。」と言う言葉に驚くことはない。こうした悩みを抱えている方は沢山いるようだ。
 特に複数の子どもさんを持っている方は、兄弟で「可愛さ」の差を持ってしまって悩むことがあるという。
 親子だって、他人。自分ではない人だ。
 息子が小さい頃に書いた詩の中で、
「彼が私だったころ
 羊水の中で
 ぷよぷよしていた頃…。」
と表現したことがある。
 妊娠している時は、息子は私だと思った。
 しかし、臍の緒で繋がっていても、すでに「私」ではなかったのだ。
 そして、出産し、臍の緒を切ったら、繋いでいたものすら無くなって、ひとりの人間同士で、考えなんて分からなくなるのだ。
 人間同士、相性だってあるから、合わないのは当然の事なのだ。
 だだ、親なので、
「育てなければならない。」
「愛情を注がなければならない。」
という思いの方が優ってしまう。
 だから悩むのだ。「こんな事を思う母親はよくない親なのだ。」と。

 そんな時は、親であるからではなく、
💮笑顔で微笑んでみて
💮抱き締めてみて let's hug.
💮膝に乗せて、頬擦りをしてみて
 意図的に「可愛がる動作」をしてみてほしい。
 これができるところが、親子のすごい所。
 これが、真愛の様な赤の他人がやったら、
微笑んだだけで「怖い!変なばあちゃんが…。」となり、
抱き締めてごらんなさい、「変質者」として通報されてしまう。
 親子だからやれるのだ。
「可愛がる動作」をする事で不思議と可愛いと感じるものだそうだ。
 実は、真愛はおばあさんになっても、厚洋さんにはそうしてもらっていた。きっと「厚洋さんには可愛がってもらいたい。」という欲求を満たすために、厚洋さんに刷り込んでいてのだと思う。
 心も大事だが、心を変化させるのは行動でもあるのだ。

お手伝い

 会話のママは一生懸命なのだ。
 きっと、時間的に精神的にゆとりがないのだと思う。一人で頑張っていると、疲れやストレスで人は壊れてしまう。
 出来れば、「ママの自分の時間」をとって欲しい。子どもがいない時間帯を作ってあげたい。
 おばあちゃんがいるなら、なんと言われようと
「宜しくお願いします。」って言って、旦那様とデートするとか、どっか違う場所に行くことが大事。
「いい嫁で、いい母親で、いい妻でと
     無理なんかしなくていいんです。」
 すみません。
 真愛はいつもそう思って頑張った挙げ句、
「私には出来ない。」と泣いて厚洋さんを困らせていました。
 人は追い詰められると、冷静さを失い感情的になる。
 子どもが言う事を聞かなければ、ガミガミと怒る。
 子どもだって怒られれば反発する。
 更に怒る。
「子どもなんか嫌いだ」
と奈落の底に落ちて行くのだ。


 もしも、感情的になりそうで、イライラしたら
🟠怒るのは10秒!
🟠1分以内にいつもの感情にもどす。
🟠それ以外のことをする。

「片付けなさい。さっきから言ってるでしょ。
 もう遊ぶのはお終い。💢」→10秒

 洗面所に行って、鏡を見て、ニコッ
 ついでに、腹式呼吸2回。スクワット1セット
 →1分後

 そして
「♪おやつにしようか❣️」
って言ってみよう。
 ストレスはたまらないが、脂肪は貯まる。
 昔の肝っ玉かあさんが素敵だったのは、この方法だったかもしれない。
(京塚昌子さん。大好きでしたね❤️)

 笑うかもしれませんが、「ブチギレたら怖そう」って言う方法はよく効く。
 それは、切れた後。直ぐ元に戻っている人に感じることで、いつもいつも怒っている人の小言は、あくまでも「小言」で耳は慣れてしまって、聞く気すら起きないからだ。
 ブチギレた後。
「ニッコリ」笑って、「どうぞ❣️」なんて言おうものなら、教え子たちは、「おおごと」になった。
「危ないぞ。」「変だ。」「いつもと違う。」「こりゃ、すごく悪い事をしたようだ。」
 いつもと違う「一大事」なのだ。

我が家の桜桃

「好き」になるのは、とっても簡単。
 その子の良い所を言葉に出して「褒めてあげる」ことである。
 教員の時に真愛の事を「誉め殺し」と言って笑った先生がいたが、最初は無理やり探していた「良いところ」がいつのまにか、探さなくても「素敵」に見えてくる。
 子どもを褒めながら、自分が自分の声を聞きながら、子どもの良さを刷り込んでいるのだ。
 これは、旦那様に対しても同じ
「うちの旦那様はステキ!」と言っているうちに、本当にステキに見えてくる。
(言い過ぎすると惚気話になり、仲間に嫌われる。笑笑)
 無理矢理褒めなくても、「予想外のこと」があったら、「驚いてあげる事」が良い。
「へぇー、凄いね。」
 子どもの良いところの発見である。
 子ども自身も自分の良いところの発見である。
 これは、自尊心をくすぐる。
 厚洋さんが雑学博士になり、本も出版したのは、きっと真愛の
「へぇー。そうなんだ。
 初めて知った。凄いね❣️」
の反応があって、彼の自尊心を高めていったからかもしれないと胸を張ってしまう。

「なんでー。」「どうしてー。」
って纏わり付くのは、子供だけではない。
 知りたがりの真愛は、この言葉を何度も繰り返し、厚洋さんに纏わりついた。
 それは、厚洋さんと話したかったからだ。
 きっと会話のママの息子さんも、ママとの接点がもっと欲しいのだ。
「ママ大好き」だから、ママにかまってもらいたいのだ。
 ママと話したいのだ。
 2人もいると大変かもしれないが、「なぜ」が途切れるまで、寸時に回答してあげて欲しい。
「雨なので長靴履いて」
「なぜ、雨は長靴なの」
「普段の靴だと足が濡れてしまうから」
「なぜ濡れるの」
「普段の靴は綿でできていて、水が染み込みやすいの」
「なぜ染み込むの」
「綿の吸水性が高いのよ。」
「吸水性って何?」
「水の吸い込みやすさ。
 綿の吸水性の高さは、綿の構造にあるのよね。
 こうんなん、こんな数珠状になっててね…。」
「濡れたら風邪引く…。」
なんて、いつものママの言葉が出てきたらもう長靴履いていると思う。
 まっ、長靴を履かないで言って、帰りに親子ともども水たまりで遊んでくるのは、我が家の嫁さんと孫たちである。
 真愛の大好きな親子である。

水たまりで 一波乱

 こんな会話が、十分以上続くのならば、
「この子天才!」であるし、
「ママも博学!」である。
 真愛と厚洋さんような禅問答になることはないと思う。

 それが、大人になれば「何故」なんてどこへやら、口すら聞かなくなる。
 子育てに困っている方に伝えたい。
「大変だけど、今が1番良い時期。
 今、味わえる子育ての楽しみを
 たくさん経験して、思い出作ってね。」
 辛い思い出も、良い思い出も
 みんな…みんな素敵な思い出に絶対なるから!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります