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どっちでも変わらないのに

 久々に「さだまさしさんのコンサート」に行く。
 1758人収容の大ホールにひとりで鑑賞?に行くのだから、さださんから見えるわけもない。
 にも関わらず、(どっちで行こうかな?)とずっと考えているお馬鹿である。

 去年三絃を習い始めてから、今までよりもずっと和服が好きになった。
 好きになったと言うより、今まで持っていたお着物をそのままにするのは勿体無い。
 それに、折角厚洋さんがプレゼントしてくれたのに…。結婚式と卒業式にしか着ていない気がするという「勿体無い」根性からである。
 着なくなった着物をなんとかって言う買取業者に頼んで売っても、二足三文だという。
(二足三文なんて言葉は死語だなあ。)
 着ないで売るなんてもっと勿体無いと箪笥に仕舞い込んである。
 去年は、暑くても三絃のお稽古に絽や紗のお着物で出掛けて行ったが、今年の夏は尋常な暑さではなく、着物を着終わるまでにお着物が汗でびっしょりになる。
 そんなんで、お稽古に行ったら暑さでボーッとして何も身に付かない。お稽古は格好ではなく真剣に取り組みたい。
 それでも、浴衣は3回着たし、絽の着物は一回袖を通した。

母の手縫の浴衣
3,500円の浴衣
お友達に頂いた浴衣

 お友達に頂いた浴衣。
 柄は、しっとりとした良い柄だが、お友達が細いので、痩せないとカッコよく着られない。
 夜陰に紛れて花火の夜はなかなか素敵に撮ってもらった。

絽の訪問着

 で、悩んでいるのは一重のよろけ縞の着物を着て行こうか、まだ暑いので絽で行こうかということだ。
 厚洋さんが(浴衣じゃない夏物の着物)で日常的に着られる色と柄の着物を退職してから作ってくれたのだ。
 しじら織というらしい。
 日常的に着物姿の真愛を見たかったのだろう。ところが、着物だけだったので、自分で帯を選び購入する迄に4年も掛かってしまった。
 帯を購入した翌年、厚洋さんはその姿を見ないまま逝ってしまった。
 だから、着物を着て出掛けられるうちにちゃんと着たいと思っている。
 しかし、一回しか着ていない絽の着物をクリーニングに出すのも勿体無いのでもう一度着ようかと悩んでいるのだ。

市川市民文化会館

 基本的に着物で行こうと考えたのは、さだまさしさんのCDに「dress code」の歌がある。
 根本的には、「心にも言葉にもドレスコードを持とうじゃないか。」という呼びかけなのだ。
 しかし、さださんのカウントダウンコンサートでは、お正月ということもあり、お着物で来場されている方がとても目を引いた。
 もちろんその方も、そのお連れ様も素敵なお召し物で美しい方だったから(羨ましかったのだ。厚洋さんがいたら真愛もやりたかったなぁ。)着物でコンサートに行って見たいと思っていたのだ。
「ちょっと目立ちたい!」と思ったわけだ。
 しかし、過日の龍馬四重奏(和楽器)では、一緒に盛り上がれず、浮きあがっちゃった感は否めない。
 ホールの座席をもう一度調べてみたら、一階席だが結構真ん中から後ろで右端っこである。
 ファンクラブのサイトで購入したから好きなところには座れない。
「ここじゃ、何を着ても目立たないな。
 それに明日は、熱中症警戒アラートが
 発令されたしね。」
と、自分に言い聞かせて洋服で行くことにした。
 和服できっちり締めて、途中で熱中症になって救急車で運ばれたら
「さだまさしさんのコンサートに行くので着物で来たら暑くて…。」
なんて言ったら馬鹿みたいだ。
 着物で行ったからって、演奏がよく聞こえるわけではない。
 かえって浮いちゃうかな?

そのままが美しい

 田舎者のお婆さんだから、出かける時には悩むのだ。
 どっちを着て行こうかな?
 どれを着て行こうかな?
 しかし、電車に乗って東京に近づくにしたがって、どの人も普通の格好でとても素敵に見えてくるのだ。
 これが、「垢抜けている」ってことなんだと思う。「お上りさん」という言葉は死語になっているかもしれないが、田舎者の踏ん張りである。
 さて、結局どんな姿で行ったのか、ご想像あれ!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります