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子育てパニック 読み聞かせ

 チャーちゃんも「はらぺこあおむし」が大好きだった。ニャンコには鮮やかな色彩は見えないと聞いた事があるが、チャーちゃんはカラフルな色が好きだった。
 チャーちゃんには読み聞かせというより,あの穴の中から指を出してじゃらすことの方が中心だった。
 厚洋さんが、息子にせがまれて読んだ本は、「機関車チュウチュウ」。
 真愛が息子を寝かせる時によく読んだ本は
「オシリスの旅」だった。
 何故だか分からないが、決まって同じ絵本を読んでとせがまれた。
 二人とも暗記するほど読まされた。
 息子のために絵本をシリーズで購入した。
「読み聞かせ」という言葉が出始めの頃だったと思う。
【本好きな子に育てたい】
 我が家の孫2人は、本が大好きである。
 そう育ったのは、もちろんママの読み聞かせのおかげである。パパも読んではいたようだが、専ら買って来る方が多いようだ。
 そういえば、上の子に
「読み聞かせたよ。『オシリスの旅』ね。」
って言ったのは、上の孫がまだ一才にならない頃だと思う。
 ママは、継続的にしっかりと読み聞かせている。それも英語の絵本が多い。
 ママは、英語の勉強が好きだったらしい。
 英語苦手な真愛の息子は、どうやら仕事に使う程度で
「お母ん。孫はバイリンガルになりそうだ。
 俺は着いて行けねぇ。」
とぼやいていた。
 学生時代に通訳のアルバイトをしていた厚洋さんの孫だから、ママに鍛えて貰えばトライリンガル、multilingualになってくれると思う。
 本好きの厚洋さんの背中を見て育った息子だが、一時期漫画本が好きで困ったことがある。
 本を読ませたくても、見向きもしなかった。
 みんなで一つの部屋にいた団地住まいとは違い自分の部屋がもらえ、自由に時間を過ごせたからかもしれないが、1番の影響は、真愛が彼の「週刊ジャンプ」のファンになり、近くのお店で購入し始めたからだ。
 真愛は、厚洋さんに馬鹿にされるほど「漫画」が好きである。厚洋さんにいうと馬鹿にされるので言わなかったが、
(漫画本で学ぶことも多くある。漫画本と馬鹿に
 するでない。)
と思っていた。
 まっ。最終的には厚洋さんが折れてくれ、彼は、石ノ森章太郎の日本の歴史を全巻買ってくれた。時代考証が素晴らしく彼も驚いていた。
 そして、『学校の子どもに読ませる。』と言って持って行ってしまったし、彼が退職してからは、真愛の教え子たちに読ませ、最終的に後輩に全巻プレゼントした。
 今あったら、結構な価値があるかもしれない。
 要するに、読書なんて環境如何でどのようにも変化するということだ。
 しかし、そんな息子が成人した頃のことだ。
 我が家に帰ってきて父親と話したのが、
「最近、読んだ本でさあ…。」
という本の話だった。
 息子が帰った後、厚洋さんと話した。
「拓はちゃんと本も読んでいるのね。
 D Jやったり、サーフィンやったり、
 色々やってくれるけど、結構マトモね。」
「俺の子だ。色んなことやりながら、
 色んな世界を見ながら、一番自分に合うこと
 見つけるはずだ。
 本も読んで、世界を広げているさ。
 俺の子❣️」
って、自分が本好きにさせたように威張っていたのを思い出す。
 読み聞かせは、【親も子どもも幸せになる時間】である。
 読み聞かせの魅力は、絵本を通して色々な世界を体験させてやれる事だ。
 我々大人は「空想」と「現実」の区別がはっきり出来るので、怖い映画を見ても気持ち悪い漫画を見ても作り話だと認識出来るが、小さな子は、それらが混ぜこぜになり、双方の世界を行ったり来たりしてしまう。
 絵本で読んだ事を「実体験」としては捉えてしまうことがあるのだ。
 だからこそ、そんな時代に「色々な世界」に連れて行ってやりたいものだ。
「動物の世界」「科学の世界」「芸術の世界」
「文学の世界」「空想の世界」etc。

何を話したのか
誰に会いに来たのか

 読み聞かせの素晴らしさは、【親子の絆を強められる】ことである。
 あの可愛いすべすべの良い匂いのする子どもと、ほっぺたを合わせるように、肌を合わせるように引っ付いて読み聞かせをするのだ。
「愛情ホルモン・オキシトシン」が出ないわけがない。
 普段、言うことを聞かない子どもが、じっと目を凝らし、その声を聞いて一喜一憂する姿を見たら、もうメロメロである。
 世のパパさんたちよ。
「子どもに読み聞かせをしてみて欲しい。
 今日の仕事の疲れが吹っ飛ぶかもしれない。」

 飛び出す絵本に夢中

 まずは、親が「読み聞かせ」を楽しむことだ。
 子どもの
「もう一回読んで…。」
「もう一回読んで…。」
が続いて、気づいたら親の方が先に寝ていたなんてザラにあったこと。
 読み聞かせは、せいぜい15分程度で終わる物がいいと思う。親が疲れて「読み聞かせ」を楽しめなくなったら、子どもも嫌になる。
 でも、「今日の本は何?」なんて、楽しみにされたら、親バカな真愛たちは、新しい喜びそうな本を買いに行くほど嬉しかった。
 厚洋さんや真愛は、決して上手には読めなかった。
 息子も何を読んでもらったとか、そんなに覚えていないと思う。(親の自己満足だったのかもしれない。)
 しかし、親の温もりや愛情を感じてくれていたのは、後々大人になって分かった。
 息子が親になった時、「親父が読んでくれていた時の優しい思い、幸せな思い。」を実感できるのも自分がしてもらってきたからである。
 家で、読み聞かせができるのは子育ての中でも数年間だけ。
 限りある時間を大切に、思い出作りをして欲しいものだ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります