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子育てパニック 防犯意識

「上履きも到着し、名前付けも仕上げ段階に入りました🥺」
と、お嫁さんからLINEが来た。
 新しいステップに向けて頑張っている事が伝わってくる。
 このコロナ禍で、5ヶ月もあってない孫たちの成長も動画で送ってくれたり、LINEで電話して来てくれたりするから、よく分かる。

「お天気が良いので、ピクニック!」
と言う名目の「練習」をしているようだ。
 コロナ禍で人に会えない。公園で話がさせられない。家族以外の人との食事が出来ない。
 要するに、今の子供達は「コミュニケーション能力」をつけさせようにも、「家族」と言う小さな社会から一歩先に進めないのだ。
 そんな時に新聞で目にしたのが、
「子どもの防犯教育」だった。
 3.11を前に「命を守る備え」の特集だった。勤務していた時は、「安全教育」の全国公開もしていたのに、孫が新たなステップへの準備をしているのに、気づかなかった。
 但し、真愛の知識は「小学生用」である。
 
 幼稚園や保育園では、もっと手が有るため子どもが一人になる事は無いと思う。
 親と手を繋ぎ、先生と手を繋ぎ、友達と手を繋ぐ。
 その手を離さなければ安全だろう。
 だが、自然災害は幼稚園でも起こりうるし、阪大事件のように不審者が侵入するかもしれない。そんな時に大人の言うことを理解して動ける子にしておきたい。
 要するに、その幼稚園の安全教育のあり方を聞いて、親も理解し、家庭でも繰り返し教える事だ。
 さて、小学校入学前の防犯教育準備だが、小学生になると大人の手から離れる事が多くなる。「一人」になる時間が増えるのだ。
 その「一人の時間」に何かがあった時、どうしたら良いかを小さいうちから身に付けさせておきたい。
⓵子どもの規則正しい生活を心がけよう。
 今は、多くの地域で、「見守り隊」と称して地域の方が登下校を見守ってくれている。
 阪大事件の後からは、集団下校なるものも始めた。(そこに車が突っ込んでしまう事もあったが、一人で歩いているより安心だ。)
 ところが、忘れ物を取りに戻ったり、寝坊をして遅くなったりすると、その見守り隊の方々がいなくなった時間に一人で歩く事が有る。
 退職してから気になった事は、買い物に行く車の中から「一人歩きの小学生」を見る事だ。(親が忙しくて送って行けないのかな?
 何事もなく学校に行ければいいな。)
と思ってしまう。今の時代、真愛が声をかければ真愛が不審者になる。(地域とのつながりが希薄になったのを嘆くだけで情けない…。)
 だから、子どもの生活の中での「予想しなかった」「例外」「不規則」は、安全では無い。
⓶防犯ブザーを支えるようにしておく。
 防犯ブザーを持っていても使えなくては意味がない。
 学校でも安全の日にブザーの点検を兼ねて、鳴らす事はするが、「本当に怖い思い」をしても鳴らせなかったと言う子が多い。
 「鳴らしたり」「止めたり」の練習をして置かないと使えない。もっと重要な事は「鳴らす時」を教えるのではなく、「躊躇わず鳴らす」事を教えてほしい。
 ブザーを鳴らす事は、「アンタは不審者!」と言っている事だから怖くて鳴らせない。と言って、誰でも「変だから鳴らす」では、帰って相手を刺激してしまう。
 話しかけられたら、逃げられる距離を保つ、声をかけられたら「内容」を理解して、「YES」「NO」の意思表示をする。
 その上で「不審者だ。」と思ったら鳴らすのだ。そして、逃げるのだ。
 また、「助けてー」と叫ぶのも大事な事だが、「家事だーー!」の方が人は気づいてくれる。
⓷「知らない人について行かない。」は危ない
 よくお母さんが
「知らない人にはついて行かないのよ。」
と、ドラマのシーンで言っている。
 しかし、最近は「知っている人」によって危害を加えられ殺害という事件もあった。
 子どもにとって、学校によく出入りをする人は、「知っている人」なのだ。大人を見たらすべて不審者と思わなければならない社会になってしまったようで悲しい。
 だから、「知らない人」と抽象的な言い方ではなく「家族以外の人にはついて行かない。」と教えたい。
(家族で虐待があったり、尊属殺人があったりと報道されると、家族も信じられないのかと思う。末世だ。)
 社会から変えなければ、安全教育なんて出来ない。
⓸挨拶を積極的にさせよう。
 阪大事件があった後、特に教えた事があった
「学校内に居る大人の人に、
      笑顔で挨拶をしよう。」
 子どもから笑顔で挨拶されても、挨拶を返せない大人は、「変な人」と思って良い。その変な人が不審な動きをしたら「逃げろ!」と。
 子どもは、人とのコミュニケーション能力を挨拶や会話を通じて育んでいく。
 友達・先生・見守り隊の人・地域の人と挨拶をする事で「人間同士の心地良い距離感」を感じ取っていくのだ。その距離感こそが「なんか変だ!」を感じる力になる。


⓹「子ども110番の家」を知る
 驚いてほしい事が有る。
 全国に広がったこの
「子どもの110番の家」のスタートは、真愛が勤務していた学校のPTA会長さんの考えだったと聞いた事が有る。自分じゃないが誇らしい。
 子どもが入学したら、「子供110番の家」に挨拶に行ってほしい。集団下校の班長は、毎年挨拶に行かせたが、守ってくれる人の笑顔を知っておく事が一番の安心だ。
「今年から一年生になります。
     よろしくお願いします❣️」
可愛いお辞儀をさせなさい。
「守ってやりたい!」と思うでしょう。
 ところがだ。「子ども110番の家」のステッカーが貼られていても、いらっしゃらない事もあるし、ご高齢になられてしまった方もいる。だからこそ、確認とともに地域を知る事が大事なのだ。
 都会では通用しないのかな。
 田舎でも、新興住宅地なんてダメなのかな。
⑥安全と安心は別物。
 小学生の略奪誘拐は、自宅近くで発生する事もあるらしい。
「車の通りも少なく穏やかな住宅地、集団下校
 の列から抜けて一人になった時に起こったの
 です。」
と、何度となく聞いた事件のリポーターの言葉である。出来れば1人になる所まで迎えに行ってほしい。その子が通る場所にあるお店や庭に出ている方にも挨拶をして、見守ってもらえるような人間関係を作りたい。(そう!サザエさんの街が良いのだ。泥棒だって改心してしまう街が良いのだ。)
 最近はスマートフォンを持たせる学校も有る。GPS機能でどこに居るか分かるからだが、「位置情報」がわかっても「危険」と分かってもそこが遠ければ駆けつけるのに時間がかかる。持たせないより持たせた方が「安心」だが、「安全の保証」にはならない。
 
 ー自分の命は、自分が守るー
 安全教育を進めていたときの合言葉だった。

 子どもがひとりで夜歩けるって
        素晴らしい事なんだ。
(でも、なぜ1人で歩いているかを考えたら
      とんでもなく恐ろしいことだ。
 子どもは親とともに
    安らかに寝ていてほしい、夜は…。)

 私たちは、子どもたちが安心して暮らせる社会をつくることを考えなければならない。
 書くだけで行動を起こせない歳になってしまったが、書くことも行動の一つとしよう。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります