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古いものは捨てられない

 石炭の匂いと煤だらけの恋の思い出話を書いたが、その時探した昔のアルバムの中に古い古い押し花があった。
 燻んだ赤い色は、兄夫婦の結婚の長さをみせつけているようだった。

兄の結婚式のカーネーション

 1973年11月25日。
 千葉のステーションホテルで執り行った結婚式の引き出物と一緒に持ち帰った花である。
 この日、真愛は日記に
「兄を取られた!」
と書いてある。
 父の居なかった我が家では、兄は真愛にとって父親の存在でもあった。
 背も高く、見てくれも良かった兄は真愛の自慢だった。
 実業団のバスケットにスカウトされて遠く離れた時は切なかった。
 会えば、こき使われて「ああだ、こうだ。」と口うるさいが、そう言ってもらえる事が嬉しかったのだ。
 兄のお陰で、先輩のお姉さんたちは、よく真愛を可愛がってくれた。
「お兄さんによろしくね❣️」
 しかし、真愛は兄を取られそうでちゃんと伝えなかった。
 当時の実業団のバスケット選手は、仕事をしながら練習をする。
 どちらの疲れが原因かわからないが、機械に巻き込まれ怪我をしてその会社を辞めた。
 そして、夜間の大学に通いながら今の仕事をし始めた。
(どん底の苦労をしてのし上がっていった今の
 兄も最大の誇りである。)

兄貴

 ↑この写真の中で履いているバスケットのソックスをもらった。それが堪らなく嬉しくって、真愛は結婚した後もバスケの時は履いていた。  
 その履き心地も足首の保護も良かった。
 気がついた時には、真愛のソックスの履き方はルーズソックスとなって流行っていた。
 そんな些細なことも自慢の一つだった。

 その兄がお嫁さんをもらった日である。
 余程、妹に生まれたのが悔しかったのだろう

ー 白い涙のひと滴と
  未来の幸福を願う心と
  高らかに鳴り響くウェディングベルを
  吸い
  赤い花はここに
  永遠に枯れず  ー

 赤い花は真愛である。
 その2年後に真愛は厚洋さんと結婚する。

真愛の結婚式 兄26歳

 自分が白い涙を流した時には、義妹の思いも兄である厚洋さんの思いも考えなかった。
 しかし、引越しで出てきたこの押し花を捨てられなかったのは、カーネーションの赤い色がどす黒く自分の根性の悪さを表しているようでゴミとしてすら人に見せられなかったのだ。

フリージャ

 高校の卒業式に胸ポケットに刺してもらった花である。
 その頃は、「卒業式にコサージュ」なんて習慣を知らない真愛はとても感動した。
 何せあまり遅刻をしない真愛(機関車の恋から)が遅刻をしたのだ。
 息を切らしてギリギリに入ったせいもあって、3月初めの体育館は冷え切っていたのに、胸のフリージアの良い香りが清々しく香って来た。
 女子校だったので、校歌を歌う美しい聲達、長い髪の美しい友の横顔、まるで「学生時代」の歌詞のようだった。
 乾涸びた花も捨てられなかったのだ。
 フリージアの花言葉は「素直」
 厚洋さんと付き合い始め、自分の事を全て素直に話せる、偽りのない自分で居られる心地よさを知った。
 彼に言われた
「お前の素直なところがいい。」
 その時にも思い出した高校の卒業式の時のフリージアの花を…。
 真愛の良さは馬鹿が付くほど正直で、素直。
 花と一緒に捨てられないものだ。

いつのもの?

 厚洋さんと婚約中に行ったレンゲばたけの物なのか、家庭訪問の帰りに取った物なのかよく覚えていない。
 しかし、何故「れんげ草」を推し花にしたかは覚えている。
 12月29日に厚洋さんのところに
「失恋した!」
と泣きに行った夜にも歌ってくれた歌。
 通い婚のように毎晩押しかけた真愛を嫌がらず、必ず歌を歌ってくれたその中の歌。
 1月15日の婚約後にも、真愛の部屋に来ては歌ってくれた歌。
 小さい頃から好きだった「れんげ草」の花。
 白いフレアスカートをれんげ畑いっぱいに広げて花冠を作るのが大好きだった。
 だから、ビリーバンバンの「れんげ草」の歌のように厚洋さんにあげたのだ。
 萎びていくのが悲しくて「押し花」にした。
 ちなみに、はな言葉は、
「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」
「私の幸福」「感化」である。
 まさに、厚洋さんに捧げるに相応しい花だったのだ。(その時は気づいていなかった。)
 私の幸福は乾涸びているのかな。
 乾涸びても感化された事は、鮮やかにこの身の中で生きている。

 紅葉の葉っぱは高校の修学旅行、嵐山の紅葉かな?(これは全く記憶にないが捨てられない)

小学校の卒業式

 トドメは、小学校の卒業式に先生方に書いてもらった色紙だ。
 友達は殆どがサイン帳なるものを持っていて、先生や友達に書いてもらっていた。
 我が家は貧しくそんな高価なものは買えない。母が買ってくれた色紙一枚だった。
 それが最高に良かった。
 校長先生から始まって、職員室の多くの先生に書いてもらえた上にお茶まで飲んで、母の話までしちゃう良い時間をもらえた。
 そして、捲らないで一目で見られるのだ。
 母の苦労を思いやる和子先生。
 兄を思う堅一先生。
 そして、水仙の花を描いて
           「美しい心で」
と添えてくれた先生。
(実は、この先生の名前が思い出せない。)
 真愛が詩画を始めたきっかけはここからである。
(星野先生が描かれる前から、始めている
 が詩も絵も根性も悪かったから、本になるの
 はずっと後である。)

最初の詩画集「夢幻)

 小学校の教員になり、卒業式に子どもからサインを要求されると必ず「水仙の絵」を描いて言葉を添えた。
 真愛が6年生を担任した時は、卒業式には必ずクラスの子にフリージアの花をプレゼントした。
「この花の花言葉は「素直」です。
 人の言葉に対して素直に聞くことも大切です
 でも、絶対に忘れないでください。 
 自分の心に対して
 素直な人間であり続けられることも大切なの
 です。」

フリージア

 色褪せて、乾涸びた思い出はどんどん捨てられなくなっている。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります