見出し画像

その賢さは本物か。

私は、コロナ休みに入り、今までどこか蔑ろにしていた自分と向き合うという時間が増えた。正直、今までの私は、やらなければならない目の前のタスクに支配されていたように感じる。確かに私はその目の前のタスクをこなしてはいた。だが、その本質は何だろうか。何のために、それをしているのかという本質を見失い、ただただ忙しなく過ぎる日々の中で、目の前の事を上手くこなしていたのだ。、いや、片付けていたという表現が正しいのかもしれない。

振り返れば、ドイツに来て一年が経ち、コロナの影響で、ほぼ前期のみしかシーズンを通してプレーする事が出来なかった。その中で一体私は何を成し遂げたのだろうか。いや、私は高校時代からちっとも変わってはいなかった。なぜなら、自分と向き合う事を疎かにしていたからだ。だから私は、ほんの最近まで気付きはしなかった。何が原因で、自分が結果を出せなかったのか。そんな事にやっと気付いたのが、このコロナ休みの時間だった。

自分と向き合う中で気付いた。自分と対話する事なしに、人は変わる事が出来ないのだと。なぜなら、自分と対話する事を疎かにすると、自ずとそのベクトルが他者に向かうからだ。私はそんな事にも気付けぬまま、この一年また同じ事を繰り返してしまった。自分は、まさに失敗例の典型パターン。最近そう思うことが多々ある。幸い、私はようやく多くの自らの失敗に気付く事ができた。だから、失敗から得た学びを生かし、「今」行動を変えていく。それが私が「今」すべき事であり、それが全てだ。

" 自分で気付かないと変われない "という言葉の意味が痛い程分かった。人から言われて気付いた事は弱い。なぜなら、所詮人に指摘された事であり、あたかも自分で分かったかのように勘違いするけど、それは自分の物にはなり得ない。私はこれまで、自分の頭で考える事を蔑ろにし、どこか他人に答えを求めていた。それが、自らの成長を妨げる足枷になっていたのだ。振り返れば、高校時代。今、上を走っている私の仲間たちはどうだっただろうか。間違いなく、常に自分と対話し、自らの頭で考え、自ら試行錯誤を繰り返し、自ら答えを導いていた。そういった賢さが私には足りなかったのだ。

つまり、「真の賢さ」とは、勉強が出来る云々ではなく、どれだけ自分の頭を使えるか、だと思う。
そんな「真の賢さ」こそが、人生において、最も使える賢さだと言えるだろう。

ご精読ありがとうございました!

サポート頂けるとそのお金が私の成長に変換されます!ありがとうございます!