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ももやま子ども食堂の9年間を報告します

9年間のももやま子ども食堂での活動を報告します。
特に、1人の男子との出会いから彼が青年になるまでに私が見たこと、感じたこと。写真は6年生の彼らと公園で遊んだ帰りです。私が肩車をしているのが、ヨシキ。右側にいるのが今回の主人公のユウキです。
 

2015年


2015年5月地域の子どもを見守る支えるために沖縄県でももやま子ども食堂は活動を開始しました。週に1回休止中の喫茶店を借り、地域のボランティアと地域の子どもたちが集いカレーライスや沖縄そばを食べました。ユウキは当時小学五年生。1年生の弟と幼稚園の妹を3人でほぼ毎週来てくれていました。よく外で遊んでいるのか日に焼けた、寡黙で時々恥ずかしそうにニコリと笑い、黙々と食事をする。兄弟以外に仲の良い友達を二人連れてきてくれており、カレーライスの付け合わせで出されたきゅうりの酢の物を「うまいうまい」と何度もお替りして食べていました。残った食材などは自宅に持ち帰る家族を守り、助け合い生きている、生き抜いているとなんとなく感じていました。この兄妹に会うことがいつしか楽しみになりボランティアだった私はなるべき早く仕事を切り上げ駆けつけるようになりました。

2016年


こどもの貧困対策がスタートし、ももやま子ども食堂も補助金を得て週に5日活動を拡大する構想が進み、専従スタッフを考える中で私に打診がありました。世の中で彼らをこんなにも応援しているのはお母さん以外には私だけだろうと勝手に意気込み子ども食堂のスタッフになりました。彼の中学生までの1年を見届けたい、何かできることがあれば手伝いたいとと思っていました。そうしてスタッフなり、週に1回の子ども食堂を週に5回開催に変更しました。すでに通ってくれていた子どもたちやその保護者に「夕方から夜の居場所作りを始めます」と伝えて了解をもらい子どもたちには放課後来てもらいました。ほぼ毎日ユウキと顔を合わせます。学校終わりに自宅アパートにランドセルを置き、こども食堂にやってくる。お気に入りの椅子に座り静かに漫画を読む彼。その近くで別の子たちとトランプをしているのを見て時々にこっとするぐらいで、彼はあまり言葉を発しない。表情もあまり変えず、でも居心地が悪いわけではなさそう。気持ちを閉ざしている、何かを押し込めている、その何かはなんだろう、そんなことを考えながら毎回彼らと過ごしていました。ユウキ含めた6年生4人組がそろそろ小学校卒業だという2月。小学校卒業おめでとうのお祝いをしようと子どもたちとスタッフとで話し合い、1泊2日でペンションに泊まることになりました。他の子たちは花火もやりたい、バーベキューしたいと色んな意見を挙げてくれますが、ユウキは話し合いに参加するものの発言することはありませんでした。彼のやってみたいことも聞いてみたいと私は思い、別の日に彼と夕食の買い物に行きながら聞いて卒業旅行でやってみたいことがないか聞いてみました。約5分沈黙があり、ボソッと『登山』と彼はつぶやきました。5年生の頃に自然体験学習で行った石川岳登山が楽しかったことを少しずつ話してくれました。『それはとってもいいね!ぜひみんなに提案しよう』と彼に伝え、みんなも大賛成で登山旅行となりました。当日健脚ユウキはどんどん山道をガシガシと登っていきます。ユウキに離されないように私は後ろをついていきます。どうやら体調が悪いメンバーがいたようで、後にインフルエンザだったとわかりました、私と彼以外ゆっくりと進んでいます。頂上まであと少しという看板が見えた時に、ユウキは後ろを振り返り『みんなー、もう少しだぞー!』と叫びました。寡黙な彼が叫びました。彼の大きな声を聴いたのはこれが初めてで一瞬何が起こったのか驚くほど、そのあとにじわーっと私の中に何かが混みあげてきました。心の中で小さくガッツポーズでした。頂上で風に吹かれ気持ちよさそうに景色を見つめる彼としんどいながら何とか頂上にたどり着いた他の子たち。とっても良い思い出になりましたし、彼の新たな一面を見ることができたのが嬉しくなんだか少し安心した気持ちになりました。中学校もなんとかやっていけるといいな、やっていけるようにこれからも彼を支えていこう、そんなことをスタッフで確認しあいました。中学校入学式前々日の夕方、彼らと私たちでジェンガをして遊んでいました。お節介にも中学入学が気になる私は彼らに明後日の入学式について尋ねました。そうするとユウキの弟のシンがこう言いました。『こいつ(ユウキを指さし)学校まで迷うぜ、入学式間に合わないかもかわいそー』と茶化しながら。よくよく話を聞いてみると、ユウキは中学校に一度も歩いて行ったことはない。通学路が不確かだそう。彼の住む場所から中学校までは歩いて25分ほどかかります。隣の区になるためユウキたちの生活圏からはたしかに離れており不安もあるかもしれない。そんな兄を気にかけ茶化しながらシンは重要なパスをくれました。私はユウキに「夕飯まで時間あるから散歩しながら中学校行ってみようか」と言うと、『ジェンガ終わったらね』ということで通学路練習散歩になりました。片道25分ほとんどまっすぐな道のり。木の枝を振り回しながら歩く彼を横目に見て、私はとても嬉しい気持ちでいました。中学入学の準備を手伝いたいという私のお節介な目標が果たされ、通学路を歩くという尊い経験をさせてもらいました。ももやま子ども食堂はこうしたことを積み重ねていく居場所なんだとユウキやシンからヒントをもらった気がしました。

2017年

中学生になった彼は大きめの学生服でこども食堂に遊びにきていました。元来まじめな彼は上までぴったりボタンを留めて毎日欠かさず登校していました。学校と家の往復、時々こども食堂。私たちは一つの工夫を試みました。3兄妹で来ているものを、中学生だけが来る日というのを設定しました。中学生のみで定期テストの話や、少し大人になっての過ごし方があるだろうと考えました。特にユウキは下の兄妹3年生の弟、2年生の妹が時々泣いたりぐずったりするのを横目で見て苛立つような表情を見せることがあり、兄妹一緒じゃないほうがいいのでは?という思いからでした。シンは一緒がいい!と話しましたが、ユウキは中学生だけも良いと反応しました。シンが困らないように緩やかに少しずつ中学生の日を作りあげました。転機になったのは秋の連休明け。ユウキと一緒に来ていたヨシキがこども食堂に来なくなった。聴くと学校にも行っていないそう。
「まあ明日は来るんじゃん」
ということを口々にしていたが、あっという間に2週間、1か月となり、ヨシキは不登校になり、ほとんど家から出なくなった。この話は次回のエピソードヨシキverで書くため割愛。そして12月になりもう一人の友達が大病を患い入院。中学生の日にユウキ一人になることが増えた。色んなことに葛藤していたんだろう、彼はがむしゃらに遊んでいた。弟のシンとその友達と一緒にとことん遊んでいた。私は見守り、彼らと遊ぶことしかできなかった。ある夕食時モヤモヤむしゃくしゃした様子で夕ご飯をかきこんだ彼の目には涙が見えたような気がした。家族、友達のこと、思春期、色んなことが彼の内側でグルグルぐちゃぐちゃしていたのだと思う。中1の冬あの時どんな気持ちでいたのか、いつかユウキに聴いてみたい。

2018年


彼は中学二年生になり頼れる存在になった。小学生との鬼ごっこでは盛り上げ(彼にとっても楽しい鬼ごっこだったはず)、室内の清掃も手伝ってくれた。小学生がこども食堂内で遊んで散らかした玩具を自然と彼は片付けてくれていた。それを見た私は『ほぼスタッフだね』と言うと、彼は「まあね」
と言い、片付けを続けた。あっという間に来年は中3生、高校受験だと考えた私は彼に何かお節介をやこうと考えていた。彼の視野を広げる、彼にさらなる自信をつけてもらう活動が何かできないかと考えて思いついたのが地域ボランティア活動だった。毎月社会福祉協議会からのニュースレターにはボランティア募集のコーナーがあり、よく見ると簡単な清掃作業もある。このレターを彼に見せると「やってみてもいい」と言い、彼と私は社会福祉協議会の方のコーディネートで地域の高齢者のお宅の清掃ボランティアを始めた。土曜日の午前中に彼とお宅に伺い、窓ふきや電球拭き、お風呂掃除などを1時間程度行った。知らない人のお宅に伺っての作業だがユウキは黙々と作業をこなしていく。彼の素直で真面目な性格が功を奏した。その作業風景を見ていた方は「今日はコーラ買ってないから買ってこようね」と声がけしたり、若かりし頃の話をしてくれたりと作業中の私たちに嬉しそうな表情で見守ってくれた。ボランティア清掃の帰りにどうだったか聴くと、「楽しかった!」と彼は答え、新型コロナウィルスが流行する前まで何度かボランティア活動を経験した。そしてその活動が中学校で認められ彼は表彰されることになった。彼とお母さんはとても嬉しそうにそのことを報告してくれ、彼も自信をつけたように見えた。さらに彼はももやま子ども食堂は子どもだけじゃなく地域の人とも交流する場であることを身をもって私たちに教えてくれた。それが今でも続くごちゃまぜ居場所の探求の原点である。

2019年


中学3年生になった彼は地域ボランティア活動も積極的にやり、入院された方のお庭の水やりボランティアを担当してくれた。入院されている間、この方が大切にしてきた庭の草花に夕方水を遣りにいくというもの。彼のアパートの割と近くということもあって、彼はほぼ毎日水やりをしてくれ、ある時私にドラゴンフルーツがなっていると教えてくれた。私はそれをどうにかその方にお届けできないかと考え、ユウキもそれに賛同した。ドラゴンフルーツを直接手渡すことはできなかったが、病院のソーシャルワーカー経由でその方に渡り食べて頂いた。その方はそのままお亡くなりになってしまったのだが、そのことを彼に伝えると「一度会ってみたかったなー」と呟き、彼の内面の豊かさを垣間見た気がした。会ったことのない方の庭に水を撒き、その方が大事に育てた果物を大事に思う、その姿勢や思考は学ぶべきことが多くあると感じました。ユウキはお節介をしてあげる対象ではなく、共に地域を編みなおしていく仲間であることをこのことから実感しました。

2020年

高校生になった彼は変わらずに子ども食堂に通い続ける。とはいえ、コロナ禍で休校、入学式も遅れる、自宅待機という状態が続いた。私たちも葛藤しながら活動の継続する方法を模索しました。彼とはLINEで主にやりとりをして自宅にお弁当を届けさせてもらうなどという方法をとりました。コロナ禍で困っていることは何かと聞くと彼は「本がないから読書感想文が書けない」と答えました。市立図書館が閉まっているため読むべき本がないということでした。人の出入りが少ない時間に彼に子ども食堂に来てもらい本を借りていきました。読書感想文の課題を課す時に、学校の先生方は自宅に蔵書があるのかどうか想像できたでしょうか。本がないと話す彼に私もハッとさせられました。新高校1年生の彼に、「自宅に本がないんだ」と言える先生との関係性はできあがっていたのでしょうか。大混乱の中、こうした小さな困りごと、やりにくさを個人と家庭に全て負わせてしまった社会の在り方をとても考えました。彼はいつもボソッと答えてくれます。その呟きに私はいつも学びと気づきをもらっています。そしてこの呟きは彼だけではなく、彼以外の誰かの呟きでもあるのです。彼は彼自身を語ってくれていますが、他方誰かの代弁もしてくれている、そうしたことにいつか感謝を彼に伝えたいと思います。

2021年


高校2年生のユウキは友だちの紹介でファーストフードのアルバイトを始めました。週に1回こども食堂に来る日以外はアルバイトをして、自分の携帯代、お昼代、家にも少し入れ、残った分で洋服を買ったり、アクセサリーを身に着けたり、美容にも気を使う今時の男子高校生。ほんの少しだけできたお金の余裕で彼がオシャレ以外に取り組んだのがベーゴマでした。こども食堂では以前からベーゴマをして遊んでいたのですが、その時には見向きもしなかった彼が挑戦するようになり、ベーゴマを回せるようになりコロナ禍の彼の趣味になっていきました。コツコツ作業がもともと得意な彼はネットでいろいろ研究し、偶然にも私の東京のベーゴマ仲間に連絡を取り、そこからベーゴマをいくつか購入する段取りをつけていました。アルバイトで広がった彼の世界はベーゴマによってさらに広がり、東京との縁が生まれました。そして、ボソッと私に相談がありました。「東京の人からベーゴマ買うんだけど、振り込みの方法がよくわからない」とのこと。小学校6年生の時の通学路練習のように時々彼は私に生活経験を一緒にする機会をくれています。私たちは銀行のATMの前で集合し、ベーゴマの費用を振り込みファーストフード店でお茶をしてベーゴマ談議に花を咲かせました。このATMでの振り込みという些細な経験ですが、私はまた尊い体験を一緒にさせてもらえたというじんわりとした感動に浸りました。

2022年

高校生の彼は私立の大学に合格しました。昨年はあまりこども食堂には顔を出さず、アルバイトと学校とガールフレンドに忙しいと聴いていました。大学に合格したのも彼の友人から聴きました。年末にユウキの母親から連絡が入りました。
「大学入学金が準備できそうもなく困っている。年明けすぐに入金しなくてはならないがどうしよう」というものでした。本人からも私に連絡が入るとのことでしたので合格祝いに回転寿司に行きそこで詳しく話を聴くことにしました。最初は世間話から入り、ガールフレンドの話になると顔が曇りうまくいっていないことを打ち明けてくれました。今回の想定した本題ではなかったのですが、じっくり聴き初めての恋に一喜一憂する彼は、本人はとても悲しい表情でしたが、こうした話までしてくれるようになったことが嬉しくもありました。本題の大学について話を聞いていると思いがけない話に。この大学を選んだ理由は将来青年海外協力隊に参加してみたい、この大学の進路先にそう実績として記されていたことが志望理由の一つと聴き、彼は以前にも作文に書いてくれていたのですが、私が青年海外協力隊に参加した話をとても興味深く聞いてくれ今でも心に残っているそうです。私は『海外に行きたいのであれば尚更困ったことは早めにヘルプが出せるように練習しておかないと海外では命取りになるぞ』と伝えました。そこから入学準備の具体的な話になり、額が大きいために母親に話しにくいこと、ここまで棚上げしてしまいどうしたらいいかわからないことを話してくれました。大学入学で何を学びたいのか、その覚悟をしっかり親に伝えることは学び以上に重要だと思うと説き、彼はすぐに母親と相談し、お母さんも協力してあちこち動いてくれどうにか入学準備も間に合いました。ここでの私たちの学びは、子ども食堂は高校生も来られる場所であり、そのためには高校卒業をした後に必要なサポートを子ども食堂はできると良いということでした。彼らが高校受験の時には受験勉強もみることになるとは2016年には想像もしていなかったのですが、まさか2022年には大学入学の準備にも関わることになったことに驚いています。そして今後は彼らと居酒屋に一緒に行き乾杯することもそう遠くはありません。

2023年、2024年

髪の毛をピンク色にしたり、とてもいい香りをしていたり、イケてる若者だなーと感じるユウキは大学生活も楽しめているようです。大学生になってからはボランティアとして週に1回通ってくれています。
先日、中学生の学習の手伝いをしてくれていたそうです。ユウキがももやま子ども食堂でボランティアを志願した理由を聞くと、「こどもの頃大学生たちにしてもらっていたことを自分がしてみたい」と答えました。彼が今から小中学生と関わっていく中で、どんなことを感じるのかとても楽しみです。


そして、このレポートをユウキにいつか見せてみようと考えています。私があの時感じていたこと、考えていたこと、彼はあの時どうだったのかを聞いてみたいと思います。私にとってはドラマチックだったことも彼にとってはなんでもないことであったり、私が忘れていることを彼は覚えていたり、この9年間を振り返る会をユウキと設けてみたいと考えています。
その時は是非会場に来て、直接ユウキの話を聴いてみてください。

こどもたちに導いてもらって、ここまで来ました。
子どもたちがやってみたいこと、必要だろうなということを見て聴いて想像して、それを活動にしていきました。
これからもこどもや若者たちに導いてもらいながら地域で生きることを体験していきたい!

ももやま子ども食堂のホームページもご覧ください
https://under-momoyamakodomo.ssl-lolipop.jp/


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