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私がこども食堂にハマる理由がわかりました

2015年から沖縄のこども食堂に関わっている。9年目だ。
27歳でマダガスカルの協力隊から帰ってきて、通信制サポート校で働いて約6年。その仕事ごひと段落して(逃避して)沖縄にきた。
ある日沖縄タイムスを読んでいると、『沖縄でこども食堂が始まります』という記事に目が止まり何故かピンときた。子ども食堂なんてワード聞いたことない時に。そこからボランティアとして関わりどハマりしている。
何故ここまでどハマりしているのか考えてみた。二つ理由がありそう。

一つ目、
こども若者と過ごすことで、遊ぶこと、遊んでもらうことで、わたしの中の“こども”や“自然体のわたし”を引き出してくれる、そんな期待がある。
こどもたちとベーゴマする時、ベーゴマを子どもたちに教えるよりも、夢中になってみたい気持ちが湧いてくる。
鬼ごっこしていても、『大人』の鎧をいかに外せるかを楽しんでいる。
こどもたちの躍動や、心の有り様は、昔むかし私の中にもあったもので、
それを今、手にして発揮している、皆んなを羨ましく思い、あの時こどもだった私はこうだったなと回想することもある。最近は子供だった頃を思い出すことが多い。

こどもたちのはちゃめちゃが私の中のこどもを呼び起こす。
空気を読む、目標に向かう、成果を出す、報連相、お金を稼ぐ。
必要なことだが、私はあんまりうまくできない。思うようにいかない。苦手だ。

社会にうまくハマらないからなのか、こども食堂でこどもたちに遊んでもらい、私の中のこどもを探求している。アリの行列を眺めたり、水たまりにジャンプしたり、そんな感覚を取り戻したいと思う。

こども食堂で私は私のこどもを探している。

もう一つの理由、一つ目はこの一年ぐらいで感じていたもの。
2つ目は最近気づいたこと。

地元が欲しい

18歳で地元千葉県白井市を離れた。大学は神奈川、20代半ばはマダガスカル。帰国後は浜松と広島。そして沖縄にきた。
20年以上よそ者で過ごした。沖縄に来て約8年地元千葉に次ぐ滞在になった。顔見知りが増えたな、コザの人はヒトを繋ぐのが上手なため知り合いは増えた。
パークアベニューや一番街を歩いていると知り合いに出くわすことも増えた。
それが嬉しいんだと気づいた。この街に知ってる人がいる、自分を知ってくれている人がいる。
それはこども食堂に通う子ども達も同じ。こども食堂ではない日に近くでこどもたちと出会う。または久しぶりの子と会う。
『なんだっけ、だれ?』と言われることもあるが、街の子を知っている、冗談半分に『ふしんしゃー』と言われることもあるけど、挨拶したり、手を振ってくれたりが嬉しい。
この街に知り合いがいる!

仕事を通して80代の夫婦とも友だちになった。

地元を離れて、“地元”みたいな感覚で過ごせるようになってきたことが嬉しい。
こども食堂をやっていると子ども達を中心に知り合いは増える。だからこども食堂は楽しい。

だから私はこども食堂にハマっている。なくてはならないコミュニティになっている。
私はわたしのために子ども食堂をライフワークにしている。

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