情報商材の煽り売りが禁止になったが、なぜ煽り売りは悪いのか?

世の中には多くの高額の情報商材が出回っており、1つの情報商材に対して、この内容は貴重だ!この内容は詐欺だ!と、両極端の意見が飛び交っている。今回、とうとうnoteでは売上公開による有料noteの煽り売りが禁止になった。

では、煽り売りの何が悪かったのか?

界隈を見ているとなんとなく悪いような気はするが、個人的には情報商材そのものは悪いものではないと思っている。そこで、良い機会なので、自分自身がどうやって買うもと買わないものを選んでいるのかを文字にしてみようと思う。

そもそもモノの値段は、どうやって決まるの?という話だ。同じコーヒーでも、自動販売機で300円で売っていたら高いと思うし、カフェで100円で売っていれば、めちゃくちゃ安いと感じる。奥さんに"スタバのコーヒーが飲みたい"と言われれば、そんな高いもん買わずにコンビニで買えば良いじゃんと言うが、奥さんからはそういうものではないと言われる。

このように、モノの値段は流動的なもので完璧に決められるものではない。同じものでも人によっては高いと感じるし、安いと感じる。ただ、基準となるものはあるはずで、それが情報商材では販売者によりコントロールされたり、悪質に利用されたりしていると感じる。

では、基準となるものって何?という話だが、それは市場価格だ。

モノの値段は、市場価格が基準となる。缶コーヒーであれば、日本では100円くらいが基準だと思うし、うまい棒であれば10円だろう。うまい棒が9円で売っていれば安いと思うし、100円で売っていれば粉々に砕いてやろうかと思う。

それでは、次に市場価格はどうやって決まるの?という話になるが、それは一般的なみなさんのお給料が基準になっていると考えてもらえば良い。私もここら辺をいつも深く考えているわけではないが、海外に出張に行くと、時おり考させられることがある。例えば、ラーメンは東南アジアで300円くらいで食べれるが、日本では800円程度になる。アメリカのシリコンバレーでは、普通の味噌ラーメンが1200円くらいしてびっくりした記憶がある。

タイの給料、シリコンバレーの給料、日本人の一般的な給料などを考えると妥当な値段設定だとは思うが、同じラーメンでもこんな風に市場によって価格差が生じる。今買おうとしている商品は、どこで誰がどんな風に作ったのかなー?なんて考えると、その商品が妥当な値段なのか、高いのか、安いのかなどある程度判断することができる。

それでは情報商材の市場価格はどのように考えれば良いのだろうか?ここが非常に難しいところだ。

情報商材の基本は『本』になると思う。本屋さんに行けば、たくさんの本が売っており、ビジネス書やノウハウ本などは、1,000円程度で購入できる。薄っぺらい内容の本であれば一瞬で書き終わるだろうし、めちゃくちゃ内容の濃い本であれば半年とか一年くらいかけて書いているものもあると思う。しかし、だいたい1,000円くらいで売っているおり、本の市場価格は書いた人の"お給料"で考えるとよくわからなくなる。

ただ、本屋さんにはたくさんの本が1,000円くらいで売っているので、本の場合は、まあ1,000円くらいが市場価格なんだなと考えることができる。また、1,000円程度であれば、外れの本を選んでもグッとこらえることができるので、この本は詐欺だ!なんてクレームが聞こえてくることはほとんどない(まれにあるけど)。

正直、どの本も1,000円程度というのは非常におかしいと感じている。ジャパネットの高田社長の自伝なんて、定価はめちゃくちゃ安いと思うし、もっと高くても買いたいと思う。それでも、市場価格に合わせた価格で売られており、本はなんてコスパが良い商品なんだと思いながら、いつも読ませてもらっている。

良い本は何年経っても色褪せるものではなく、いくら売れても値上げなんて起こらない。

一方、問題となる情報商材は、この市場価格を決める市場の操作が、販売者により行われてしまっている状態なのだと思う。

例えば、ある本が新宿の紀伊国屋書店でしか販売されないとする。しかも100冊限定販売で、いつ入荷されるかわからない状態だとする。この場合、通常の書籍であれば先着100人に1,000円で売ることになるはずだが、問題となる情報商材は、お金を出せば列に入れるとか、今買わないと手に入れられないとか、そういった煽りがものすごい。すると、焦った人たちがこぞって群がり、高値でも買いたいと思い、お金を払ってでも列に並ぼうとする。

実際は、データ上のものなのでいくらでもコピー可能(在庫は無限)だし、普通にググれば手に入る情報だったりする。それにも関わらず、限定などと煽って、30,000円とか50,000円とかに引き上げてしまう。低品質のものを煽って値段を釣り上げる行為は、販売者のためにしかならないので、取引の本質的な"取引するお互いが幸せになる"という交易の原理を満たしていないので良くないことだと思う。

noteの場合、いくらでもコピー可能なわけだし、自分で在庫を決められるため、限定というのは正直"嘘"だ。そのため、逆に最初の値付けはとても重要だと思うし、途中で変えるのはとても良くないと思う。妥当な値段であれば、購入者はみんな納得し、お互いがハッピーになれるはず。購入者を満足させるために、値付けは本気で考えなければいけない部分だと思うし、軽々しく変えてしまうのは、やはりあまり良くない。

煽り売りに関しては、世の中には誇大広告を打つ例はたくさんあるし、商売上別に悪いことではないと思う。経済を回す上では必要なことだろうから、この行為自体は過度に制御する必要はないと思う。

ただ、煽り売りの過程で値段を上げていく行為は、必ずいつか購入者の中に不幸だと感じる人が出てくる確率が高くなる。先で書いたように、交易の基本は、"お互いが幸せになること"だ。1,000円で満足できる商品も10,000円だと物足りなくなり、100,000円では詐欺だと言い出す人も出てくるだろう。そもそも提供できる数量が限られているわけでもないので、値段を上げる理由はないはずだ。

商売は、本来であれば、魚しか取れない漁師と肉しか取れない狩人が魚と肉を交換して、お互い満足するというのが基本だ。お互いが満足すれば、いくら高額でも構わないと思う。

Youtubeの教科書的なものやTwitterのフォロワーの増やし方とか、購入者が満足して、将来的にも幸せになれるものなら何万円でも構わないと思う。ただ、残念ながらそういった情報商材に不平不満の声が多くなっている。

実際、作っている本人が購入しても意味ない人は意味ないとか、サラリーマンはみんなバカだとか言ってたりするので、そもそも購入者を幸せにしたいなんて思ってないので、交易の原理に基づくわけがない。なので、値段を上げることに罪悪感はないし、それで損をする人がでてもお構いなしというわけだ。考え方は人それぞれなので、この点に関してはそれぞれが思うように行動すれば良いと思う。答えは数年後に出てくるはず。

ちょっと横道に逸れてしまったが、私が商品を購入する時は、市場価格を参考にする。情報商材の場合は本屋さんだ。1,000円くらいがだいたいの基準で、買いたい情報商材が高ければ、本屋さんで同じ分野の本を10冊くらい購入すると思う。(昔は、この手の情報商材に何度も騙されたので有益かどうかと妥当な価格かは自分で判断するようにしている。)

しかし、noteはnoteで独特の味がある。私自身もかなりの数のnoteを購入していて、ちゃんと書いている方のnoteは素晴らしいものが多い。そのため、今回の題材のような情報商材とは一緒にして欲しくない。本屋さんに並んでいるものとは、生々しさが違い、とても面白い。

今回、一部の情報商材のせいで規約が厳しくなってしまったが、これ以上厳しくなると、自由度の高い素晴らしいnoteも少なくなってしまうかもしれない。そんなことにならなければいいなーなんて思いながら、こんな記事を書いてみた次第だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?