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空間そのものがわたしである

今日から8月ですね。

そうか2021年も下半期か・・・と思ったら、すでに1ヶ月前から下半期に入っていましたね。しいたけ.さんの『2021年下半期の占い』とかちゃんと読んでいたのに・・・。私の中では夏が来たら下半期、という設定なのかもしれない。

蝉が鳴いていて、空が青く高く明るく、じっとりと暑いけど、そこらじゅう開けまくった窓から風が入ってきて、カーテンが揺れて、ああ、夏だな・・・・・と感じる。こうやって夏を感じられるのが、本当にゆたかだな、と思う。

今のわたしについて書いておきたいのだけど、うーん、どこから書こうか、いつもnote書くときは迷うな。
まあいいや。

大きく2つあって、ひとつは、「わたし」の認識が変わりつつあること。

私が思う「わたし」というものはなくて、ただの「雲」で、「雲」が浮かんでいる「青空」そのものが本来の自分なのだ・・ということがますますわかってきた。

「青空」という、「空間そのもの」がわたしであるということ。

一見何もないように見える空間は、目に見えない超細かい小さい素粒子(量子)で満ち満ちていて、その素粒子、つぶつぶは無限の全てのエネルギーを持っていて、それらが結晶化して私の体になったりお花になったり水になったり、本や車や道路や木や雲になったりしている。

全てはわたしという本質、つぶつぶであること。

つぶつぶは満ち満ちているので、わたしが動いたときは、わたしという身体、物体が移動したのではなく、つぶつぶが超高速で閉じたり開いたり(消えたり点いたり)して、身体が動いたように見せている。

パソコンやスマホの画面で点が動く感じに近くて、そこでは点という確固たる実体はなく、ディスプレイ上で小さな点が瞬時に点滅することで点が存在し移動して見えますね。そんな感じで、今noteを書いている「雲」のわたしも存在している。

だから、わたしはどこにも行かなくて、いつでもどこでもわたしは世界の、宇宙の、中心にいる。周りの景色が変わるだけ。

空間である「わたし」と、思考し自我を持っている「わたし」は、お互いを対象とせず、主客一致している。

とはいえ、このへんの感覚がずっと掴めなかったんですよね。
今までは、例えば「ハイアーセルフ」という存在があって、それとは別に「わたし」が存在して、という、「自己」と「他者」という二項で思考してきたから。

でも、「そうか頭で考えるから(言語化しようとするから)わかんないんだ!」と気づいて、その感覚そのものを感じようとしたら、なんかわかってきた気がします。

でね、このへんの理解が、「なんで青空に雲が発生するんだろう?何がどうなったら、雲は発生するんだろう?」という問いの答えとつながったんですよね。

つながったといってもはっきりわかったわけじゃないんですが。つまりまだ言語化できてないんだけど、この間観た『トランセンデンス』というジョニー・デップが主演したSF映画がきっかけで気づきがあったんです。

『トランセンデンス』は、めっちゃ端折って書くと、死ぬ間際の天才物理学者(ジョニー・デップ)の意識を妻がAIに移植した結果、感情を持った超頭脳AIが誕生。進化し始めた彼は世界を変えていくが・・・といった話です。

ストーリー自体には詳しく触れませんが、映画の中で、超頭脳AIになったジョニー・デップは愛する妻と触れ合いたくて、身体を持つんですよね。そして、「これでやっと君に触れられる」と言うんです。

実はこの映画を観る前に、知人と「なんのために身体はあるんだろうね?」という話をしていたんです。

そのとき「身体はさわられるためにある」ということになったんですが、映画の上記のシーンを観て、この答えがわたしの深いところでパチっとつながったんです。

「身体」という3次元的物体がなぜ創造されたのか、存在するのか、と考えると、やはり「触れる・触れられる」ためなのではないか。

なんでかというと、やはり、愛というエネルギーを、「感じたい」からじゃないのかな、と思うんですよね。

じゃあ「感じる」ってなんなのかと考えると、例えばずーっと同じ適温の部屋にいると、熱いのか寒いのかわかんなくなっちゃうんだけど、お部屋から外に出ると、夏だったら暑い!し、冬だったら寒い!と「感じ」ますよね。

つまり、「感じる」とは、異なる振動数と出会い、共鳴し合うことなのでは?と思ったのです。

つぶつぶである「わたし」は、「わたし」に触れることができない。
「わたし」そのものであるときは、「わたし」がわからない。

でも身体があることで、五感を通して、六感を使って、「わたし」に触れることができる。
「わたし」の振動、鳴り方、発しているグルーヴを感じることができる。

自分を触ることでも「わたし」を感じられるけれど、自然を含む他者という振動数が大きく異なると存在と触れ合うことは、新たな共鳴を響かせ、未知の「わたし」というエネルギーをダイナミックに感じることになる・・・。

感じ合ったエネルギーは、調和し、「生きている」という生命の感覚を生み出す。

地球、宇宙という全てとつながる感覚がそこにはある。

「青空」であるわたしという視点で見れば、自分も他者も同じなんだけど、他者を存在させることで、愛をよりダイナミックに共鳴させ、生命の感覚を感じられるようにしたんじゃないかな・・・。


なんかね、最近自分が「生きている」ことがすごくおもしろくて。

昔は生きている「わたし」が現実であり本体で、死んだらこの世界から消えると思っていたけど、今は、見えないこの世界全体が「わたし」であり本体で、生きている肉体であるわたしは特別な瞬間のように感じるんです。

実は年頭に、「2021年の抱負」というnoteを書いたのですが、そこで「今年は官能を味わう年にするぞ〜!」みたいなことを言っていたんですね。そして今、下半期になって、自分が何を言おうとしていたのか、しようとしていたのかがわかった気がします。

なんか色々アップデートされていて面白い。
ここで書いたこともまたどんどん更新されていくだろうな。
常に最新、常に未熟で、完全なわたしを生きている・・・。

無の先、無の奥の、官能とゆたかさを、丁寧に味わいたいな〜と思う今です。

いろいろ寄り道しましたが、これが2つ書こうとしたことの1つ目です。
2つ目もそのうち。

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