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『何のために生きてんの? 毎日何してんの?お前(本当の意味で)』

今日ふと思ったんですが、やっぱり

『何のために生きていて 毎日自分が何をしているのか(本当の意味で)』

そういうアイデンティティーが養われないように仕組まれている国だからこそ、刷り込まれた 年齢 肩書 経済力 が上の方が殿様で、家来はそれに従わなければいけない。

なぜなら、みんなもそうしてるから。(同じように刷り込まれてるだけなんですが。)

そして、そこには競い合わされる為の 正しさ はあっても、人間(社会)としての 正しさ は無いので、自らの人生観だけでなく倫理観すら見い出せず

だから、自分の向かう先ではなく、常に人が何をしているのか、自分が人からどう見られているかを気にしてしまう。

そうやって、その時々の自分を自分たらしめるために、自己(利己)正当化するのが当たり前になり、どんどん人との関わりやコミュニケーションの中身が希薄になり

傷つくことを恐れるあまり人の痛みも想像できないようになり、思考が薄情になってしまうから自己嫌悪にも陥りやすくもなり、自分を見失いやすくなるというか元々ないので、老人になっても刷り込まれた価値観でしか生きられない、常に みんなと一緒/ふつう にすがる事しかできず、若者にもそれを強要する事しかできない人間になってしまう。

そりゃ、マスクを着けろと言われたら着けるし、ワクチンを打てと言われたら打っちゃうし、日本の将来?若者の未来?孫が生きる世界?

(正直、俺/私に関係ないし笑)ってなっちゃうよね。

本来、ご年配(偉い人)は、社会の行く末や若者の未来に思いを馳せ、ひと肌もふた肌も脱いでこそ、そんな余生をこそ自らの生き甲斐にする大人、老若男女からの尊敬を集めるようなお立場になるのだと思うのですがね。

というか、そういう「誰かの為に」が一番気持ちいいし、強くなれるし、幸せなんで。たぶん。

そりゃ「中身空っぽの自分の為に」ではね...。

そして、話は戻って
『何のために生きていて 毎日自分が何をしているのか(本当の意味で)』という問いに対し、正解を書いて良い点を取って褒められる為に頑張る精神構造ではね…。
(だから手懐けられ飼い慣らされる。)

自分だけの正解を出さないとね。
答え合わせは死んでからで良いじゃん。笑 (銀魂ノリ)

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