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救済なきセイフヘイヴン

先の記事で、〈虚飾の花弁〉と呼ばれる、この現実次元特有の共依存のエネルギーが、実は外からの影響を受けてのものだと言及した。

程なくして、それを目の当たりにするかのようなミッションの機会が訪れた。今回はいわゆる “潜入捜査” で、単独による捕り物ではなく、あくまで実地調査とのことだった。

潜入捜査自体は慣れた口だったが、他ならぬ今回の調査対象こそ、私にとってどうしても抵抗感を覚えてならない存在であった。“彼ら” との因縁は、(人間時間で)およそ四半世紀前に遡る。

渋々、彼らの姿、形態へと自らを偽装し、外だけでなく、内に宿るエネルギーも敢えて封印し、隠すことが余儀なくされた。封印したということはほぼ生身となるため、これはとても危ういことなのだ。

さて、夜間飛行にて、ある次元領域に飛び、そこで自らを誇示するかのように築かれた彼らの歪な居城へと侵入した。彼らの性質を言葉で正確に描写、表現するのは困難だが、最も近いのは、この世で言うところの、狂信的な教団、急進的なコミュニティのそれであろうか。

彼らは独自の思想体系をもとに、ごく近い密度にある、この現実を含めた多次元の領域に影響を及ぼしている。言わば、虚飾の花弁の “茎” のようなものか(“根”は、別にある)。古代より今日に至るまで存在した、教団などの創始者、伝道者の大半は多かれ少なかれ、彼らの介入、干渉の影響を受けてきたことだろう。

人として生きる私が物心ついた頃より、一部の偏った信仰、崇拝、または因習に対し、どうにも抵抗があり、毛嫌いしていたのだが、その理由、背景を四半世紀前に直接、彼らと初めて接触したことで理解されたわけだ。

何とか彼らの懐に入り込み、城内を隈なく捜査中、ふと最近、知人との会話の中で聞いたこんな言葉が思い出された。「今の時代って、まるですごく豪華な入れ物の中に何も入れず、入れ物だけを価値あるものに見せて、売ろうとしているような傾向が強いと感じます」と。

その言葉を象徴するかのように、件の城は外観こそ異様な威容さを顕示しており、まるで巨大な聖堂、荘厳な教会のようであったが、内部はというとほぼ何もなく殺風景で、迷路のように入り組んだ回廊に、まるでコピーのような同じ姿の者たちが意思を持たない表情で、意志もなく歩行を繰り返していた。

彼らの挙動を模倣し、風景に溶け込みながら慎重に進み、いよいよ虚飾の塊のような城を牛耳る幹部連が集う中枢に近づくと、彼らの一人に声を掛けられた。程なく儀式が始まるので案内しましょう、と。断れず彼の後をついてゆくと、古びた病室のような地下の一室に通された。

内に宿るエネルギーを封印しているため、幸い、正体は勘付かれていないようだ。その部屋で行なわれた “儀式” の仔細は、ここでは記すことはできないが、昔観た、内容もほとんど覚えていない、確か『マニトウ』というタイトルの、カルトホラー映画がふと頭をよぎった。

統治や支配しようとする者にとって最も好都合なのは、皆、同じ考え、方向性であること、かもしれない。多様な考えがあるゆえ、反対勢力が生まれ、統括することが困難となる。それが争いの最たる原因であると言ってもいい。

ならば、いかなる手段を用いても、考えを等しくしてしまえば、平和と安定、調和がもたらされる、というのが、次元領域に根付く最たる思想である。現代において、確かに他人の意見に共感したり批判したりと、大多数に同調している方が楽かもしれない。

同じファッション、同じ髪型、同じメイクさえしていれば集団の中で爪弾きにされる心配はないだろう。 同じ志向性が寄り添い、必然的に排他性を増してゆく。しかし私は、孤独な異端児にこそ、最大限の尊重の眼差しを向けたい。その者が確固たる意志と誇りを持つ限り。

一種、異次元の治外法権特区、量産された同一の考えに、自己を取って替えられた者たちのセイフヘイヴンと見なされている、あの空虚な城をあとにし、ほろ苦い思いを胸に、現実に帰還した。

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