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イナンナの冥界下り

真夏のある時期を迎えると否応なく、ある深層の次元の層に繋がりやすくなる。

それは言うならば、死を信じた思いが、その思い自体から発生し、重なり合った無数の世界観の枠組みに閉じ込められ、非正規に構築された特区、あるいは次元の狭間の亜空間のようなものか。

銀河の掟で、なるべくその次元に意識を合わせてはならない、という警句があり、たとえいかなる異形の姿で心に侵入してきたとしても、一瞬でも視線を向けることなく、ただ通り過ぎるままにする…

それはこちらの弱みを把握し、変幻自在であるゆえに、時に直視に耐えないヴィジョン、感触もある。とりわけ無念や悔恨の思いは、無秩序な世界観の枠組みの中で、自ずとそういった歪な性質へと転じやすい。

私たちの器への不法侵入の衝動には、救済への切実な情動が滲んでいることが伺える。しかし、肉体ある人の身では、それはあまりにも負荷がかかり過ぎ、並大抵の精神では耐えられないだろう。

非正規に構築された特区、と表現したが、それでも、無法地帯にまでは至っておらず、統治者として管理する者もいる。以前、迷い込んだ特区の只中で遭遇した “女王” もそんな役柄を担う神格の存在であり、イナンナの冥界下りの最奥で対峙した、冥界の女王エレシュキガルを想起させた。

ところで余談だが、私という存在にとって最も親和性の高い神話は、シュメールのそれである。親和性どころか、かつてそのストーリーの一端を、一人の当事者として追体験したことがあった。

だがその体験の渦中にある時は、それがシュメール神話に語られた状況とまでは思い至らず、後から繋がったものだった。神話というのは得てして、当事者らに共通したファクターから大きくかけ離れた解釈、アレンジが施されているため、一種のエニグムとなっている傾向がある。

私は《船》にいた。そして同胞たちの活動を管理する立場を担っていた。側近のパートナーがおり、よく相談し合う間柄のようだ。到着した土地にて、長期の事業が終わり、一部の同胞を土地に残し、再び故郷へ帰還した…

シュメール神話に描かれた父アヌ、その子供エンキとエンリルの兄弟、そして献身的なニンフルサグ、そして今回、名の挙がったイナンナとエレシュキガルの姉妹。その響きと面影に、郷愁の想いと葛藤の思いを禁じ得ない。

イナンナの冥界下り

冥界を統べる “女王” の配役を鑑みるならば、天だけではなく、地にも、そして地の底にも、いついかなる時も御業が行われていることを我々は知らなければならない。どんな領域にも、陰ながら支柱の役割を遂行する者が存在する。例えるなら、私たちがパーティーを楽しんだあと、人知れず会場を片付け、次のパーティーが行えるようにする役割だ。

それゆえ、皮肉な物言いだが、私たちは安心して過ちを犯すことができ、また、深い夢見に身も心を浸り、歓喜に溺れ、あるいは絶望の淵で途方に暮れることもできる。

それは外れることのないジェットコースターのベルトであり、消えることのないお化け屋敷の誘導灯である。ゆえに私たちは生と死に対し、勇気と覚悟を以て臨めるのである。

時に必要とあらば、否応なく夜間飛行にて、あの次元領域の中枢に降り立っての “冥界巡り” を余儀なくされるわけだが、なるべくその世界で視界に入る、きわめて凄惨で禍々しい光景の直視を避けながらの目的遂行が試される。

実は冥界巡りは今に始まったわけでなく、幼少の頃から何度も体験させられてきた。今でもはっきりとその光景が思い出せる(本当はさっぱり忘れたいが)。だが最近の訪問では、あたかも冥界自体が著しく変容したかのような様相を示していた。

人が想像し得る恐怖を総動員させたとしても、あの光景はそれを遥かに凌駕することは想像に難くない。陰ながらの守護もあったのだろう。精神が正常を保ったまま、無事に帰還できたことに感謝が堪えない。

一息つき、体験を振り返ると、あの次元領域で得られた理解は得難く、最も印象的だったのは、古よりあの領域を消滅させようという派閥と、そのままにすべきだという派閥が管理側に存在することだ。

両者の言い分として、消滅させよう党が主張するのは、他の次元への影響の拡大を第一の理由として挙げている。いくら管理しているとはいえ限界があり、領域そのものが絶え間ない想念の流入により無限に膨張しているためである。ならばこの際、次元ごと破壊してしまうのが賢明であり、得策ではないか、と。

一方、そのままにすべき党は、確かに他の次元への影響は免れないが、それでもどんな存在であれ、何を信じ、何を生み出し、何を為すかは自由であり、自分たちは警察でも、看守でも、役人でも何でもないため、独自の判断で消滅させる権利なんて持ち得ない。だから、厳重な管理下でそのままにしておくべきだ、と。

鶴の一声的な裁決を下す存在がいないため、皮肉なことに両者の意見の相違ありきの均衡状態が未だ続いていると言えるだろう。管理者の “女王” をはじめ、〈七つの星〉に属する者たちは総じて、そのままにすべき党側に属しており、私自身も同様なのだが、振り返ると確かに、消滅させよう党側に属する存在たちには、本能的に相容れぬ何かを感じていたのは確かだ。

因みに、この二つの派閥の影響は、現実でも何らかの形で古代から顕現している。例えば、歴史を紐解くと浮かび上がってくる、争いを繰り返してきた二大勢力というのが常に存在している。

時間の潮流の中で、幾多の対立の軋みから生じた想念は、時に冥界に糧を与え続け、同時に、冥界から放たれている亜種のエネルギーの流入が、この現し世に、形ある極性を形成させている、と言えるだろう。

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