見出し画像

ミッドナイト・タンデム

深夜の国道。郊外にある職場から、自宅のある街まではいくらか距離がある。残業のあと、彼女はほとんど灯りのない片田舎の道路を、窓を開け、少しでも家までの距離を縮めるため、疾走していた。

すると気付かない間に、蚊が二匹入り込んだようだ。いや、すでに車に乗り込んだ時点で潜伏していたのかもしれない。自宅までまだ一時間ほどかかる。刺される前に追い出してもいいが、少女の頃より空想好きの彼女は、旅の道連れである彼らの会話に耳を澄ませてみた。

蚊A 「おい、聞いたか。Cが “アレ” と遭遇したらしい」
蚊B 「本当か、羨ましいな。どの “アレ” だったんだ?」
蚊A 「近くにいたやつの話じゃ、〈闇の風〉だった、と」
蚊B 「そうか、よかった。〈光の霧〉じゃ苦痛を伴うしな」
蚊A 「そうだな、ネーミングはよさげなのに皮肉だな」
蚊B 「あぁ。しかし〈闇の風〉にしろ、〈光の霧〉にせよ、“アレ” って結局、何なんだろうな…」
蚊A 「絶対的な “力” みたいな? まぁ考えてもしょうがない」
蚊B 「あぁ、“アレ” と遭うその時まで、できるだけ血を吸い続けたいものだな」

自分の空想にも関わらず、彼女はそのイメージに苦い笑みを浮かべた。出ていったのか、まだ居るのか。ハンドルを握りながら、蚊の気配が薄まった気がした。

蚊は何も持っていない。人はあまりに多くのものを持ち過ぎた。人は、人たる特性として、また、人たらしめん属性として、“尊厳” を発明した。だが、数多の尊厳という名で包装された品々は、許容量を越え、一人歩きしていった、あまりに多くのものをなだめる、義理チョコに過ぎない。

人は “アレ” に恐怖する。畏怖する。そして覆い隠そうとする。だが、蚊は “アレ” を認めている。彼らにとっての “アレ” とは、人のプライオリティ。その証は、生の残熱である赤い血の滲んだ手形。

「あぁ、これか」とも、蚊は認識しない。
「あぁ、そうか」とも、蚊は思考しない。

神々の鉄槌、と “アレ” を蚊は畏怖しない。
神々の慈悲、と “アレ” を蚊は賛美しない。

“アレ” を “アレ” として捉える。いや、捉えることさえしていない。そこに無為がある。私たちにとっての〈闇の風〉〈光の霧〉は、肉体次元を凌駕し、精神、意識を飲み込む。

飲み込む、という言い方も正確じゃない。飲み込む行為には、ある種の意志が含まれるから。ただ、それらはそれらとして、そこに因果なくあり、私たちの精神なり意識を、ただ “通り過ぎてゆく”。

それは絶対の力であり、比類なきイノセンスだ。

ようやく深夜のドライブが終わる頃、閉まったコンビニの駐車場で、旅の道連れがすでにこの空間にいないことを確認すると、彼女は窓を完全に閉めた。入ってくる風もすでにない。彼女が窓を開け、閉めたことには、何も含まれていなかった。

旅の道連れにとっても、その空間からの移行の過程には、何も含まれていなかった。少なくとも、空間からの移行の過程、などと、きわめて空間的に物事を捉えてしまったのは、彼女自身だったのだから。

彼らには、夜も、バックシートも、対向車も、スピードも、所要時間も、退屈な移動だけのドライブも、気まぐれな同乗者とのタンデムも、ない。それらは、知性による理解と認識という名札の付いた、彼女の抱えるスーツケースからはみ出した、決して軽くない荷物の一部なのだから。

不理解は、理解という礎の上に蔓延る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?