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今宵、何点の星の下


土曜日の夕日が沈んだころ、最寄りの駅から電車に乗って街へ出る。


大手葬儀会社の紙袋を抱えた喪服の老夫婦がくたびれた顔で座っている、その前に立つ。

今日はどんな出来事が待っているだろう。吊革の感触を確かめながら、窓の外に視線を投げる。できたての夜に透過度50%のレイヤーで、自分の姿が重なっている。




いつだったか、デート帰りのあの子は言った、
「65点くらいの夜だった」と。

それが彼女にとって愚痴だったのか自省だったのか、哀愁だったのか闘志だったのかはわからない。気づいた時にはその『65点くらいの夜』を一緒に過ごした相手を恋人と呼んでいたし、SNSにアップした蹴上インクラインでのツーショットには、だいたい98点くらいの笑顔で写っていた。


いまでも彼女はあの夜を思い返して、65という数字をつけるのだろうか。


電車を降りて、喧騒のなかを歩き出す。

信号が変わるのを待ちながら、ふと空を見上げた。ビルのあいだに広がったベタ塗りの灰色。分かっていたのにすこし寂しいのは、心のどこかで期待していたということかもしれない。

たくさんのLEDの、光化学スモッグの、黄砂の、花粉の、その向こうにある満天の星を思う。
宮沢賢治のみた、牛乳をこぼしたみたいな天の川がある。願いごとがいくらあっても足りないくらいの流星が降ってくる。月面のクレーターにお湯をいっぱい溜めて、地球を見ながらお風呂に入りたい。水星に図書館をつくったら、長い長い1日のうちに何冊の本が読めるだろう。



夜空の見えないところがどうしようもなく美しくて、けれどそのことをわたしは測り得ない。


仕方がないから、今日もわたしは夜に満点をつける。

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