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ひびく-くりかえす-かさなる
ひとりのアーティストの生演奏を聴いた。
ヴァイオリンとギターでしらべを奏でては、サンプリングルーパーのペダルを踏んで、さらに音を重ねていく。前の旋律をなぞることもあれば、まったく違うメロディラインをのせるときもある。突然響きを変えてみせたり、リバーブを効かせてみせたり、やさしい音色の上に鮮やかで濃い色を塗ってみせたりもする。
そうして、たくさんのフレーズを調和させて、ひとつの作品が完成する。
そういう演奏技術の存在は知っていたが、いざ目前にすると、その奥行きに圧倒されてしまった。
ある小節が、次の小節では全然違う役割を果たしている。その場で録音しているから、たとえ彼がまたどこかで同じ曲を演奏するとしても、全く同じにはならないはずだ。いまある音は、未来永劫、再び存在することがない。
こんなにも、音楽を時間芸術だと思ったことはなかった。
ひとつのアクションが空気を震わせる、というシンプルなできごとが何度も何度も繰り返されるなかで、重なって、ぶつかって、避けあって、あたらしい世界を描いていく。それはきっと文学とか、美術とか、歴史とか、生活とか人生とか、そういうものと似ている。時間軸にも空間軸にも、たくさんのレイヤーが存在している。
レイヤーを際立たせるのは、構成する要素の透過性だ。
わたしたちは透き通っていなければならない。うしろにある軌跡をにじませるために。
わたしたちは透き通っていなければならない。歴史の重なりを慈しむために。
わたしたちは透き通っていなければならない。となりにいる誰かの色を分かち合うために。
わたしたちは透き通っていなければならない。まだ見ぬ未来を忘れないために。
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