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とびきりの辛酸を、グラスに注いで

※これはおよそ2年前、酔っ払いが終電に揺られながら書いた最悪の文章です。最悪ながら、二度とおなじ言葉は紡げないであろうというこのライヴ感がウケるので原文まま掲載とします




せんせいあのね、きょうは久方ぶりにバーにいきました。大阪はアメリカ村という、その名の通りおよそ日本人の常識は通用しない街の真ん中にある、ちいさなお店です。


カウンター席に座ったぼくは、カルダモンの香る黄金の液体を優雅に嗜んでいました。左隣に座ったのは、みごとなまでにダウンタウンの風情を醸し出しているカップルでした。精神薬を飲んでるからモクテルで、とオーダーする外国人風美女と、タトゥーだらけの右腕で何らかの葉っぱを燻している男です。

バーテンダーや周りの客をまじえてお喋りがはじまり、楽しいお酒であったはずなのですが、突如「お前のせいやろ!」とタトゥー男の怒号が響きました。何らかの原因で突如、美女が男の逆鱗に触れたようです。
美女は反論する気力もないといった表情で口を噤んでいましたが、しばらくして泣きそうな顔で店を飛び出してしまいました。

彼女さん大丈夫ですか、とバーテンダーが心配そうに空いたグラスを下げると、
「いや、あいつは色々複雑なんすよ、家庭環境とかね。俺が連れ回してるみたいになるから、早く帰らせてやんないと」
男は言い訳がましく答えて、美女の前に置かれていた灰皿を引き寄せました。薄い金属が石の上を滑る、冷たい音がしました。
それからおもむろに顔を上げ「辛いカクテル、ありますか」と何事も無かったかのようにオーダーを入れました。
バーテンダーは少し考えて、「タバスコはお好きですか」と赤い小瓶を手に取ります。「タバスコ大好きっすね」と男は言います。

しばらくのち、男の前に置かれたソーサー型のシャンパーニュグラスに、燃えるようなつめたい赤色が注がれました。

ひとくち煽り、男は「旨い」と言いながら、しかしうらはらに眉をひそめます。
続くふたくちめには「でも、けっこう辛いっすね」と真顔を見せます。
さんくちめ、「酸っぱいなあ」と笑います。

「これやばいですよ、お姉さん飲んでみてくださいよ」
ふいにぼくの前に、その赤が差し出されました。
ぼくは少しだけ味見をしました。たしかにそれは辛く酸味があり、刺激的でありながらまろやかにまとまった美味しいカクテルでした。

「わたしはこれ、好きですね」ぼくがそれを男の手元に返すと、マジすか?と男は苦笑してみせました。

それから、意を決したという表情で立ち上がり、
「やっぱ、あいつの帰り送っていくっす。俺にはちょっとこれキツいわ。あげます、飲んでください」男は赤いグラスをもう一度ぼくの前に置きました。

そうして彼は3口だけ味わったお酒をあとに、美女の後を追って店を出てしまいました。
がらんと空いて色を失った左側に思いを向けながらぼくは、その辛く酸いカクテルをゆっくりと味わいました。

そういえば先程から、右に座ったべつのお兄さんがぼくを懸命に口説いているようでした。歯の浮くような文句にずっと生返事をしていたぼくは、話を遮り「飲んでみますか」と左から来たグラスを横に流してみることにしました。
お兄さんはそれをちろりと舐めて、顔を顰めてみせました。
「君はこれ、美味しいって思うんや」


せんせいあのね、ぼくはこの街で、他人の艱難辛苦よりもうまいものはないと思うのです。


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