見出し画像

あいりん地区の天井、飛田新地の床板

大阪関西国際芸術祭の展示会場に西成あいりん地区が含まれていたので、動物園前駅、というキュートな語感の駅で電車を下りた。確かにそこには動物園があるが、そのほかは決して、休日に水入らずでお散歩するような穏やかでゆとりのあるファミリー層向きのまちではない。

あいりん(=愛隣)なるやさしい響きは通称で、本来は釜ヶ崎というのが正式な地名となる。日本でも指折りの「ドヤ街」、つまり日雇い労働者の簡易宿泊所が立ち並ぶ街、女性の一人歩きは推奨されないような治安の土地と評されることが多い。

さりとてここは平和の国ジャポン、女に生まれりゃどこでだって怖い目に遭うときゃ遭うものだ。恐れを知らぬが短所で長所のまま20代後半を迎えた不届き者、ここはひとつと昼下がりの釜ヶ崎に繰り出した。


地下鉄の駅から階段を上る。目的地は薄暗い商店街のなかだった。明るいのは激安をうたう飲み屋の赤い看板ばかりで、それと同じ顔色をした老人が路地に転がっていびきをかいていた。名入れ刺繍の無い作業着が彼の制服のようだった。深い眠りを妨げないよう、ジェンガの終盤に自分の番が回ってきたみたいな心持ちでひっそりこっそり、忍び足で通り過ぎる。

商店街のひどく雑多な並びのなかに、ひどく雑多な構えで、目当ての建物があった。NPO法人が運営しているコミュニティスペースで、ゲストハウスとカフェという看板を出しながら、地域住民の文化的な生活を支援しているらしい。そこでは、住所や肩書きを持っているひとも持っていないひとも入り乱れて食事をしたり、俳句を詠んだり、冬将軍に連れ去られた仲間たちに手を合わせたりして過ごしているようだった。

身なりは小綺麗だがかつて路上で暮らしていた白髪の老紳士が、庭で精米をしている。歯のないおじいちゃんが杖をコツコツいわせてやってきて、お気に入りのぬいぐるみをお披露目する。40代くらいの女性が、酎ハイ缶をあおりながら、解剖学の教科書を開いている。東京から芸術祭のためにやってきたご婦人が、次に来るだれかのためにコーヒー代を置いていく。著名な詩人が訪れた際に残した詩が、コピー用紙に印刷されて配られる。アルコール中毒患者が空き缶でつくったからくり人形が、驚くほど滑らかに動いて、酒を注ぐ動作をしてみせる。

芸術祭の会場とはいいながらも、何か特別な展示があるわけではないのだった。あるのはただ、そこに住む人々の生活の一部にすぎなくて、サンプリングして美術館に運んでくることはきっとできない。けれども確かにアートそのものだ、と思った。意図的にしろ、偶然にしろ、定量化できないだれかの心が、ほかの心へとコミュニケートされようとするエネルギーをもっている。救いへの渇望も、干渉への嫌悪感も、怒りもよろこびも哀愁もいっときの快楽も、その場所ではすべての動力が受容されていた。

天井を見上げるとたくさんのひとの書道作品がびっしりと貼られていて、半紙から飛び出してきそうなくらい生き生きと文字が踊っていた。「愛」「応仁の乱」「あそっか」「三角公園にいます」「保湿がすべて」「闘春」「寺ちゃん」「野垂れ死に」。コーヒーカップが空っぽになるまでのあいだにそれを眺めながら、不思議な空気をたくさん吸い込む。帰り支度をはじめると、またいつでもご飯食べに来てね、と名も知らぬアーティストたちが送り出してくれた。



西成にはもうひとつ、芸術祭の会場が設けられていた。商店街から5分ほど歩くと、飛田新地という遊郭にたどりつく。その中心部にある会館に、有名アーティストの映像作品が展示されているという。

色町とはいえ時は令和、歌舞伎町すすきの北新地がそうであるように、きっと女性にももうずいぶん開かれているだろうと勝手な期待を抱いて通りに足を踏み入れる。すぐに、あ、これは違う、と本能が警鐘を鳴らす。

太陽の高いうちだというのに、道の両端に明かりのついた白提灯がずらりと並んでいた。『料亭』の上がり框にライトアップされた女の子がお人形さんみたいに座り込んで、にっこりと手招きをしている。わたしがその日たまたま中性的な服を着ていたから遠目に男性と見紛うたのか、呼び込みのおばちゃんたちが、いい子よー、かわいいよー、と声をかけてくる。距離が近づいてこちらが女であることがわかったとたんに口は閉ざされ、代わりに心做しか冷たい視線が投げられた。

やや俯き加減に早足で通りを過ぎ、会場となっている料理組合の会館に入る。もちろん、その土地において『料亭』とされる事業者の組合であって、つまりは遊郭の管理にかかわる建物ということになる。2階に上がると、かつての『検査場』が残されていた。
木造の床板が抜いてある箇所があって、覗いてみると小さな階段がつくられている。この床下に医師が入り、しゃがみこんだ女性の局部を見上げて検診していたのだという。在りし日の、そして今も受け継がれる、遊女たちの強さをひりひりと感じる。この穴を跨ぐ覚悟のないものに、道行く男性への手招きはできないのだ。

さらに奥に進んで会議場らしき部屋に入ると、目当ての映像作品が展示されていた。提灯の明かり、呼び込みの声、酒の匂い、体温のまじわり。消えゆく飛田の文化が、落合陽一氏の手によってデジタルアーカイブ化されている。説明のつかない映像の連なりにぼんやりと向き合って、時間が流れていく。


死と隣り合わせで命をつなぐ釜ヶ崎の日常と、生命力の余剰を消費する飛田の往来が、西成という土地には混在している。それらはかけ離れているようで、原始的な欲を満たすための営みであるという点では同じかもしれない。

安酒で寒さをごまかして路上で眠る夜も、財布を開いた男性に愛を囁く夜も、孤独なたたかいに違いない。彼らの日々には、わたしの生活よりもずっと圧倒的な生命の実感があるような気がした。

帰り道、まぶたの裏に昼間みた「野垂れ死に」の文字が焼き付いていた。生という字は線の交わりをもって成り立っているが、死という漢字には、接点があっても交点がない。人間はきっと、舞台から姿を消す最後の瞬間にはひとりぼっちになる。みんな等しくひとりぼっちになるということが、わたしたちの孤独の慰めなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?