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赤ちゃんのころからみんな支え合って生きてんのや

かつて押しも押されもせぬ繁華街だったまちの、小さな喫茶店に入った。世は十日戎、新春飾りのまだ残る店内に、タバコの煙のすきまを縫って身体を滑り込ませる。

300円の珈琲を片手に細々とした仕事の作業をしていたら、ふいに斜向かいのテーブルから獣のような男の慟哭が響いた。

車椅子に乗った、70代後半くらいの老人だった。介護事業所のスタッフと思しき男性を前に、自立した生活がままならなくなっていることへの苦しみを、嗚咽の合間に訥々と訴えていた。見れば彼の車椅子のアームレストには、剥がれかけのテプラで介護事業所の名前が記してある。彼がまだ自分の老いを受け入れられずにいて、毎日かりそめの福祉に頼っているのだろうな、ということがなんとなく想像できた。
向かいに座った男性は、老人がぼろぼろと落涙するたび、冷えきったおしぼりで頬を拭いてやっていた。

「大丈夫、人間なんて赤ちゃんのころからみんな支え合って生きてんのや」

大丈夫、大丈夫。
古くは益荒男をそう呼んだ言葉が、すっかりやせた老体に繰り返し投げかけられる。
そのうち落ち着きを取り戻した老人は、促されてゆっくり、珈琲を飲む。空のカップが震える手でソーサーに置かれて、かちゃかちゃと騒いでみせた。

男性のほうが腕時計を気にしはじめていた。おそらく、介護サービスの提供時間が迫っているのだった。
次、競馬で勝ったら、上等なやつでなくたっていいから、ホームセンターに新しい車椅子を買いにいこう。
2人は未来の約束をして、店を出ていった。

その日わたしは同じまちで、たまたまストリップショーの写真集を開く機会を得た。
美しいドレスを着た女性たちが裸に剥かれていく姿は、エロティックとは別の芸術性をはらんでいた。そういうものは性の切り売りだと思い込んでいたけれど、カメラの前に惜しげなく肌色をみせる彼女たちはむしろ、手前勝手に消費されることに対して激しく抵抗しているようにみえた。

原始的に、野性的に、母の胎から舞台に躍り出た姿のままに。耳障りな衣擦れ音をたてる化繊のジャケットも、背中に静電気を走らせるニットも、きつく締め付けるベルトもブラジャーもぜんぶ脱ぎ捨てて、在りし日の自分の輪郭を大気下にさらしていく。


全身の皮膚に思い出させてあげよう、赤ちゃんだったころの自分を。大丈夫、誰もが互いを消費しているし、誰にも一方的な消費などさせない。わたしたちはあの日からずっと、支え合って生きている。

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