見出し画像

女が夏の終わりに髪切ったってだけの話



昨年のことだ。胸まであった髪を、ばっさりと切ってショートヘアにした。


あの流行病をうっかり身に賜った夏の終わり、10日間自宅でぼんやりと色んなことを考えて、なんとなく髪型でも変えようかなという気分になって、そうして隔離期間が終わってすぐに、美容院の予約をとった。

ショートヘアになってみると「失恋したの?」とテンプレートみたいな質問をたくさんされて、図らずも自分の人間関係のなかで『女性が髪を切ったら失恋を疑う価値観の人』『そうでない人』を分類することになった。

バカ言ってんじゃない。失恋したときは、映画ドラえもんか水曜どうでしょうを流しながら、なりふり構わずターメリックで爪を黄色く染めて、最高のスパイスカレーをつくるのが一番効く。こんなにおいしい料理を作れるあんたを放っておくような男どうせ大したタマじゃないわ、とにんまりしながら茶色いどろどろをかき混ぜるのだ。井の中の蛙は大海の夢を見ながら、されど深き鍋の底を眺むる。


「髪切って変わったんじゃない?」と言われることがある。
髪を切ったから変わったのか、変わったから髪を切ったのか、順番はよく分からない。だいたい、人間性は何も変わり映えしていない。
けれども髪型を変えたことは、確かにわたしの生活に少なからず作用していた。


スカートを履かなくなった。全くではないけれど、少なくとも去年のような、すそのふわりと拡がったガーリーなシルエットの洋服はあまり撰ばなくなった。Tシャツとデニムしかなくても、どうやら人生は回っていくようだった。着られない服は増えたけれど、わたしのような優柔不断にはむしろ好都合だ。


旅先での選択肢は広がった。些細なことのように思われるかもしれないけれど、髪を巻かなくてもいいということは、かさばるヘアアイロンを持ち歩かなくてもいいし、コンセントと鏡をゆっくり使える時間と場所を確保しなくてもいいということだ。それがどんなに気楽で身軽なことか、世の多くの男性諸君は知る由もないだろう。


なにより、女性として扱われることを、恐れないでいられるようになった。

髪の長い容姿でいたとき、夜の仕事してそう、なんてことをたまに言われることがあった。断っておくがわたしは、本当にそれを生業としている女性たちに心からの敬意を抱いている。彼女らの仕事をりっぱな業と認めているからこそ、中途半端なわたしに花売るひとの姿を重ねられることに、違和感を感じていた。仕事やプライベートの場において、とくに男性から明らかに同性とは異なる接待を要求されると、なるほど今わたしはマージン抜きのお手軽サービスを提供させられているのか、と疑ってしまう。求められているのは、『わたし』という人間ではなく、もっと動物的で単純な『メス』という役割なのだ。

その価値と物々交換で、本来交わらない世界に住む人々の話を聞かせてもらえるならそれもやむなしと思った。わたしには、他に彼らに提供できるものがないのだから、と。

髪を切ると、かくも異なるものなのかと驚く程に周囲の反応が変わった。夜職に見えるというようなことはほとんど言われなくなったし、ありがたいことに『わたし』に耳を傾けてくれるひとが増えたようにも感じる。女性としての扱いを受ける時も、わたしは消費されようとしているのではなく、わたしのなかの女性という側面が認められているのだ、と都合のいい解釈ができるようになった。相変わらずセクハラまがいの言動もぶつけられることもしばしばあるが、それは彼らの弱さの露呈であって、わたしの在り方には関係のないことだ。


これは副産物なのだが、梅田のHEP前でひとり信号待ちをしていたって、夜のミナミをふらふら歩いていたって、「ねえお姉さん」と声をかけられなくなった。ショートヘアの女性というものは一見、意志が強く『黙ってなさそう』に見えるのかもしれない。年齢を重ねたせいも少なからずあるだろうが、これはすこぶる快適である。軽いナンパやキャッチ程度なら却って面白がれるものだが、長く女性をやっているとたいてい何度かは、身の危険を感じるはめになる。理性を欠いた一部の人間のせいで肩身の狭い思いを強いられる誠実な男性たちも含め、わたしたちはもっと怒ってもいい。
我々は、髪を伸ばすことはセックスアピールだという短絡的な思い込みがいまだ蔓延るような、くだらない世界に住んでいる。


去年の夏の写真を見ている。


胸まである髪をくるりと巻いて、ふんわりとしたブラウスをまとい、マーメイドラインのスカートを履いて、パンプスのヒールを鳴らしながら歩いていたわたしが、カメラに向かって笑顔でピースサインをしている。

たった1年前のことなのに、若いな、と思う。遠く懐かしいわたしに語りかける。

大丈夫、たくさん揺らいで、怒って、泣いて、めいっぱい楽しもう。次の夏が、また違う色をしてあなたを待っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?