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遠くの隣人、となりの異邦人【23/03東京旅行記③】


2日目の、つづきのはなし。

宿に帰ったらヤマちゃんがいて、娘の名前が決まったのだと教えてくれた。お嫁さんが入れたがっていた字と、ヤマちゃんがうんと悩みながら選んだ思いを詰め込んだ、いい名前だった。

その日はヤマちゃんの横に、朝きりりと描いたんだろう眉毛をふにゃふにゃにした50代くらいのお姉さんがいた。カナさん、と呼ばれていたから、なんとかカナさんか、カナなんとかなんとかさんなのだろうと思う。
カナさんはいいとこ連れてってあげる、とわたしとヤマちゃんを近所のカラオケスナックに連れ出した。歌うぞぉ、と意気込んでいたくせに、席に着いて先客の男性陣が歌っているのを聴いているうちに瞬きが増えていき、マイクが回ってきたころにはもう目を閉じてお地蔵さんになってしまっていた。

代打を任命され、恥ずかしいけど久保田早紀を歌った。あなたにとって私ただの通りすがりちょっと振り向いてみただけの異邦人。流浪の旅人にはお誂え向きだ。ヤマちゃんはスピッツの楓を入れていた。訥々と語り、滔々と歌うヤマちゃん。


いつしか時計の短針は2を過ぎようとしている。カナさんはまだ別の店に行こうとふにゃついていたけど、ヤマちゃんはすでにタクシーを手配していた。さすが東京のサラリーマンはできるなあ、恐れ入る。わたしはヤマちゃんとカナさんを見送ると、不思議な夜に別れを告げて宿に戻った。



寝不足で迎えた3日目。
朝6時から開いている近くの銭湯までぶらりとお散歩し、お風呂をいただく。
戻ってきて支度を整えた。何をするかは全く決めていなかったが、ゲストハウスの共有スペースで朝食をとっていたら、長期滞在しているらしいおじさんと会話が弾み、彼の勧めで浅草演芸ホールに向かうことにした。


もともと落語はよく聴くほうだったけれど、最近ことに寄席や落語のかかる会によく行くようになっていた。西に住んでいると生で聴くのは上方落語ばかりになってしまうが、そろそろ江戸の寄席文化にも浸かってみたかったのだった。


朝出会ったおじさんが、演芸ホールに程近い「結構ナイスな感じ」の喫茶店を教えてくれていた。
開演までの1時間をそこで過ごすことにして、ガラスの扉をがらりと開ける。賑わう観光地のど真ん中にあるというのに、客はわたしを除けば、スーツ姿でタバコをふかす禿頭の男性だけ。店員はおじさんに聞いていたとおり、大御所芸人みたいな50代の男性と、彼の白髪のおかあさんだ。
モーニングセットを注文すると、ぺかぺかと蛍光灯の光を反射する安っぽいテーブルに、お母さんが木のトレイを置いてくれる。トレイの上にはさらに、仕切りのある透明なプラスチックのプレートが載っていて、塗装のはげた白いコーヒーカップ、マーガリンたっぷりの厚切りトースト、固ゆでのたまご、食塩の瓶に傷だらけのスプーンがそれぞれの部屋に納まっている。

コーヒーを半分空けても客足はない。暇そうにテーブルにもたれかかる息子さんの方に、目の前の演芸ホールでの作法について尋ねてみる。すると「うちらが寄席のこと知ってるわけないよ。こんな近いのに、わざわざ店閉めてまで行かないでしょ」とにべもなく鼻で笑われた。なるほど、近いところに存在するものほど、疎遠になるものかもしれない。チャンスをとらえることに必死にならないで済むのは、それがいつでも手の届くところにあるからだ。



開演時間の10分前に店を出て、チケットを購入して演芸ホールに入った。みんなが当たり前みたいにお弁当を食べている、見慣れない寄席の光景。
真ん中より少し前、男性がひとり座っている、その前の席につく。が、男性が荒い息遣いでビニール袋を漁ったかと思えば、カルビ丼をがしゃがしゃ取り出し、噺家さんが蕎麦をのむみたいに大仰に米をすすりあげ、くっちゃくっちゃ咀嚼をして立派なげっぷを響かせていたので、しばし辛抱してみたもののやはり少し離れたところに移動した。心の中でノートを開き、我慢ならないことのリストに「生きている音の大きい寄席の客」を書き加える。新しい発見のあるのはいいことだ、となぜか満足してページを閉じる。


幕が開き、可愛らしい前座さんが覚えたてのネタを披露したあと、袴姿が新鮮な女性の噺家さんの二ツ目昇進を一緒にお祝いする。落語だけでなく講談、浪曲、奇術に曲芸と色物も豊富な番組、まさに怒涛だ。なんだかんだ、関西弁のスタンダップ・コメディでひときわ大笑いしてしまったのは、やっぱり西の血なのだろうか。(そのコメディアンの方については、関西に戻ってから「飲み友達だよ」という知り合いに3人も出会った。この島国はあまりに狭い)


浅草演芸ホールの寄席は昼と夜で入れ替えがないので、その意思があれば昼席の開演から夜席の終演まで実に9時間居座ることが可能である。であるのだが、さすがに5時間弱の昼席を通しで観てしまうと、座っているのも笑っているのもこれ以上は楽しみが減弱する一方のような気がした。昼の主任(トリ)を見届けて、演芸ホールを後にすると、再び観光客でごったがえす浅草に紛れこんだ。

乗りたい路線の駅がわからなくて10分ほど雷門のまわりをぐるぐる回った。東京というやつは本当に選択肢がたくさんで、方向音痴と優柔不断に優しくない。



この日はまた別の、1年近く会っていなかった友人と待ち合わせをしていた。約束の時間までカフェで作業をして、駅のチョコレートの看板前で落ち合う。ずいぶん前から行きたいと言っていた、お気に入りの店に連れて行ってもらうことになっていた。ビジネス街のチェーン店なのに、気が良くてパーソナルスペースの把握に長けた店長さんが迎え入れてくれた。

友人とはたくさん話をした。最近どんな感じで生きてる?好きなコンテンツは盛り上がってる?あの人は元気にしてる?
本当はちょっぴり怖かった。だれかと久しぶりに会うときは、会わない時間にすこしずつ生まれたずれのチューニングが必要で、その調整だけで時間が過ぎてしまうことがまれにある。互いが人生のハンドルを切るフェーズにいるときは余計に。
けれど、置かれた状況が変わっていてもわたしたち自身は変わっていなかったし、1週間ぶりに会うような親密さでフラットに言葉を交わすことができた。当たり前が当たり前であることに、ほっとしていた。

誕生日にと、プレゼントの紙袋を受け取った。真っ白なキャンバス、絵の具、筆。驚いたのはまさにその日の朝にお風呂でぼんやりと、ああ帰ったら絵を描こう、と決めていたからだった。まだ真っ白なままなのに、わたしの表現を求めてもらえることが、ただ嬉しかった。


友人が電話で席を外してはじめて、店内の賑わいがどっと耳に流れ込んできた。
奥のテーブルでは、年度末の宴会らしいサラリーマン集団がおおきな声で笑いながら酒を飲み交わしている。彼らの白襟に刺身醤油が飛びませんように、とおせっかいな祈りを唱える。バイトの女の子がバックヤードでWBCの試合を観ていて、勝ってますかと聞いたら指でマルを作ってくれた。春が来ていることも、野球が盛り上がっていることも、みんな気づいていて偉い。


友人とは、いつになるかわからない次の約束をして別れた。帰り道、昨日もおとといも視界の端にいたスカイツリーが、ちょっぴり優しい色に見えた。



ゲストハウスに帰ったら、ヤマちゃんとカナさんが待っていてくれた。昨日のお礼を言って、関西のお土産を手渡した。ひとり旅だとよくこんな突発的な出会いがあるから、多めに手土産を買っておく習慣がついている。
最後の夜だったけれど、なぜかまた会えるような気がして、二人とは連絡先を交換しなかった。また遊ぼうねと言われて、必ず、と返す。

距離が近ければ親しいわけではないし、遠いことと疎遠であることとはイコールじゃない。それを知っているきょうの夜、わたしは約束を恐れないでいられる。


宿泊している部屋の前まで上がっていく。薄暗いリビングでチリ人の23歳の男の子とすれ違って、すこしだけ話をした。彼は韓国に留学中で、日本には観光で来ているのだといっていた。地球の裏側にある彼の国の言葉は分からないから、部屋に入る前にチャルジャヨと挨拶をしたら、なんでコリアンなんだよ、と太い眉を下げて笑ってくれた。



おやすみなさい。また、会うべき朝に会いましょう。

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