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泥棒の体温
春驟雨の通り過ぎた夕暮れ時。とある場所でひと仕事を終え、戸締りを済ませる。最寄り駅に向かおうとして、自分の傘が玄関の傘立てから姿を消していることに気づいた。
買ったばかりとはいえありふれたビニール傘だ、さもありなん、失ったことへの諦めはすぐにつく。代わりにすこし形の違う似たような傘が1本残っていた。きっとだれかが間違えて持っていったのだろう。
一瞬、ためらう。
さっきまでのはげしい時雨は過ぎ去ったけれど、ねずみ色の空はまだぐずついている。
わたしの他にもう、この建物にはだれもいない。この傘の持ち主が戻ってきて傘を取り替えたがる可能性も、限りなく低いだろう。
そもそもビニール傘なんて街の共有物みたいなもので、循環するわけだし。
たくさんの言い訳を並べ、最後にぽつんと残されたその傘を手に取った。返すあてもないのに、お借りしますね、とこころの中でことわってからそれを開いて、雨の中を歩きだす。
わたしのものよりひとまわり小さくて、よくみれば骨は一本外れている。持ち手のすぐ上は錆びているから触れないように注意が必要だ。でも、わたし一人が小雨をしのぐには申し分ない。
相合傘は苦手なたちだ、相手が差してくれている時はことさらに。わたしと反対側の肩や荷物が濡れてはいないかとか、歩くスピードはどうかとか、身長のあるわたしのために傘を高く持ち上げる腕が疲れてはいないかとか、そんなことばかり気にかかってしまう。
自分が傘を持っている場合もまた、相手のほうに雨粒が吹き込まないよう風向きにも注意していなければ、だからといってこちらが濡れて服の色を変えていたら相手が気を使うだろうし、なんていろいろな考えがめぐる。
そういうごちゃついたこころの空模様を楽しめるのは、あたらしい恋の芽吹く季節くらいだ。
濡れた地面を踏むスニーカーから、そろばんを弾くみたいな音がする。自分のものでないものを持ってきてしまった背徳感にすこし心拍数が上がっているせいか、雨だというのに足取りが軽かった。
だれだかわからない他人の傘に守られている。しかしわたし自身のリズムで歩いている。
わたしの傘もきっといま、だれかを雨から守っている。そのだれかもまた、自分のためだけに傘の傾きや高さを変えながら歩んでいる。
それぞれが助け合いながらも手前勝手に進んでいることに、不思議な心地良さを覚えた。分かち合うことと奪い合うこととは、案外近いところにあるのかもしれない。
あなたはあなたの物語を、わたしはわたしの物語を生きて、たまになにかを交換したり分け与えたりしながらも、雨の日にははんぶんこじゃない一人前の傘を差そう。
相手の傘であることに、互いが気づかなくたっていい。気づいた時に、あったかい言葉が贈りあえたらいい。
花冷えに風邪をひかないように。
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