見出し画像

絵に思う事について考えるの巻

月曜日だったかな、飼ってるドゼウさんが冬眠から目覚めたらしく、活動し始め顔を出してきたのを確認した。それをきっかけに真冬に着るような服を洗って、全て綺麗に片づけたんだ。

したらば、一昨日は驚くような真冬の寒さ!!!おまけに雪みたいな雨。
寒空の中白い息で買い物に出て、ガクブルの祝日を過ごし今日を迎えた。

おはようございます、AltOfだよ!

これまで、自分の人生を豊かにするためだけに絵を描いていた自分。描き方も自由にペンを走らせて、いろんな描き方をしたりして、自分らしさを見つける目標もなく今まで適当に描いてきた。聞かれると答えられるものがなくて何もしてこなかった事が恥ずかしいほど適当にやってきた。

小学生の時は、言われたものを自由に描いて提出しただけで賞を取ったりすることも珍しくなかった時代もあった。中学時代の授業では(作業が早く終わって時間が余り)先生から追加別のお題を出されたり、行ける高校の心配よりも美大を勧められたりすることもあった。美術の授業態度は最低最悪、言われた事は適当にさっさと終わらせて、授業妨害はしていなかったと思うけど先生に対して反抗的で好きな事しかしてこなかった学校生活。それでも通信簿の5段階評価で美術図工は4以下を取ったことがない。

絵を描くのが苦手な人や絵が得意だと自己評価の高い他人へマウントするみたいに自分の事を書いてみた。確かに先に書いた自分の経験は嘘じゃない。

けれども実際は、自分が絵が上手くて得意でなんでも描けて、センスが良くて、稼げる他者から認められた人間だなんて一度も思った事がない。自分は絵が下手だとも思った事もないけれど、上手とも思った事が無い。賞をとっても、先生からの評価が良くても親から褒められ認められ喜んだ事はない。だから、目標をたてて努力もした事もない。当然、自信につながるわけがない。

これは事実、本心だ。

放たれて自由に楽しく絵を描いていたら、まだ違った認知が生まれて居たのかもしれない。

「くだらない絵ばっかり描きやがって」と罵られ、「クソみたいなぽんち絵」と言われてきた。殴られたり蹴られたりするついでに罵られたりした。

自分の世界としてシールドを張るみたいに自分が好きなように描く事しかしてこなかったため、買いかぶりされてテーマやゴール地点もないコチラのセンス頼りのお任せで人から絵を頼まれると、ペンを初めて持った3歳児みたいに「どうやって描くんだろう?」と、途端にうまく描けなくなる。

己の空想世界が充実した高い想像力を持っている天才肌でも無いので、他者を魅了するセンスを持って自発的な出力をすることも困難だ。

オマケに拗らせた価値観と下手くそなコミュニケーション能力を持つ自分が、ひとたび絵を介して人と交流しようとすると毎回9割確定で面倒な事が起きる。

自分よりも神様の様に手が届かない、遥かに上手い人だと感じる憧れるスキルセンスを持つ人と交流できた時、自分の絵を認めてくれた人は自分の事もその人自身の大事にしている物事の様にとても大切に扱ってくれる。

けれど、その自分のスキルを認めて褒めてくれて、それからご好意からなのか周知してくれる行為で、無駄に自分の知らないところで反感を買う事になったりする。いつのまにかコチラへ面倒な態度をとる人が増えたり、何故か険悪な状態が増えていたりする。自分がボケッとしてる間に知り合いが自分の事についてのネタでネガティブに寄って騒いでたりする。

予想外のパターンでは、自分よりも遥かに上手く、自分はプロじゃない相手は現プロなのに物凄いマウントで事ある毎に自分の立場が上だという攻撃的な会話しかできなくなる相手に遭遇した事もある。

どちらも、どんな結果であれ自分にとっては出会えてよかった学びが多い人達で、叶うならば末永く仲良くしたいと思うのに精神衛生上離れたくなるような結果になった出来事だった。

また、相手がこちらに対して自分と同等、或いはコチラを少し上手い(またはプロほどの天地の差はないが、嫉妬対象になるくらいの上レベル)と判定してくれた場合には非常に厄介な交流が幕開けとなる。向上のための有意義な指摘合い…ではなく、重箱の隅をつつくような言い回しでスキルを助言する体で侮辱したり、挑戦しようとするカテゴリを本人の意思とは反対に「向いていない、得意分野を伸ばしたら」等という発言で挑戦の意思をへし折ってきたりする。(プロを目指し、或いはプロが大衆から得る収入の為に得意分野に集中しろと言われる編集においての助言はこれに含まない。)

もちろん、自分はそんな言い方されてもやりたい事はやる人間なので、それが理由でやりたい事をやめるだなんて判断には至らない強情さはあるが、正直なところ何様で人のやりたい事を止めに来るのか会話のキャッチボールも出来ないし本当に理解し難い。

どんな世界でもそうなんだと思うけど、仲良くしていても同業は皆ライバルだ。切磋琢磨して同じ目標地点に向かう場合、得られるものがお互いに全てが等分ならばこんな事にはならないんだろう、いや強欲な人はそれでは満たされない場合もあるのだろうが。お金、賞賛・承認、仲間色んな要素は人それぞれ重みが異なる。何に価値観を置いているのかは異なるものの、向かう先が、得たいモノゴトが同じゴール地点だった場合にはどうしてもライバルになる。肝心な手法は明かさないし、隙あらば相手の戦意を喪失させたい。自分のファンが、仲間が他に注目したり、他のコミュニティで活動し始める事は認めがたい。自分が置いてけぼりになるのは耐え難いし、勝ち上がる世界だと認めて相手を出し抜く勇気もないから助言をし合う仲間と言う体で靄に身を潜める。

どんどん上手くなる人は一心不乱に自分と向き合い集中し、気づいたらスキルは上がって、気づけば経歴が増えていく。この世に生まれて筆を持った瞬間に金賞受賞できるような天才は極まれだ。上手な人は今上手いから認められているのではなく、走ってきた過程と走っている今その努力を継続し続けている事を賞賛されている秀才なのだと思っている。

結論、めんどくせぇ。人間めんどくせぇ。生きるのってめんどくせぇな。

ネット上くらいは人間じゃないもので居たい。自分の中にある偏見だけど、絵描きもクラフターも、クリエイターたちは自問自答ばかりしてきて己の感性を磨いてきた人間は偏屈な人が多い。会話や対面的な交流、自発的な言動で他者とのコミュニケーションをとって人格が磨かれてきたのではなく、自身の沼で育った価値観と自信と経験値が大半を占めた人格だ。自分と他者の違いを認め柔らかく受け止め流すだなんて得意じゃない事も自分はよく知っている。充分に癖が強い、自分はもうその癖が緩む年でもない。

そんな自分が仲良くできる人種はほんの一握りだ。周りを振り切った自信のあるスキルと揺るがない価値観を持った自身の軸がブレない強い人間。日ごろから我に振り返ろうと、メタ認知しようと「人としてどうあるべきか」の努力をしすぎて謙虚になりすぎた結果、努力もセンスも素質がある自身のスキルがそれなりにあるにも関わらず、その事に気づけないどころか周りが自分よりも皆凄いと見てしまう原石の様な人だ。あとは、自分「AltOf」と価値観など気は合うものの身を置いている世界が異なり、こちらの活動について関わるつもりが無い、全くこちらの活動に興味関心がない人だ。

先日、友人にちょっとエゴを押し付けてしまった。自分はその友人のセンスが常日ごろから良いと思っての言動だったけれど、何を言ってもそれが相手を追い込む発言につながる可能性がある事も判っていないわけではない。判っているものの、やっぱり良いものは良いと思っていると、つい自分を押し通して言ってしまった。多分、何回もやらかしている。気づくのはいつも事後だったりする。

電波に乗せて、ごめんなさい。

どの位置に身を置くか、それは人それぞれの自由だ。相談する相手も、相談を受ける相手も、その選択は個人の自由だと思ってる。だけど、その先に相手の負担がある可能性を少しでも想像しているのなら、それは押し通してはいけない。ごめんなさい。

その友人は、きっとこちらが良している事がどの部分なのかを理解していないだろう。気づいていないのか、認めたくないのか、それも自由だ。どんなに理解し合ってる者同士で話し合いをしたって自分の考えが相手に100%伝わるだなんて事はない。でも、ついでだから言っておこう。

友人は自分が出会う人には珍しく、先の人種に全て当てはまった人だ。本人は自覚していないのだろうけど、自分にある価値観を大事にしていてブレず芯のある物事への見方が出来る芯のある強い人だ。もともとセンスの無い人だなんてこの世にいる訳がないと思っている自分ではあるが、本人が適当に描いたといったアイコン画像が良くて声をかけやすかったし、描いて見せてくれたドット絵はとても可愛かった。音楽においてはど素人の自分が言うのは身の程をわきまえない発言になるけれど、なぜそのカテゴリに身を置いていないのか疑問があるくらいのセンスを持っている人だと感じる。これまでに見せてくれた作品が本人にとっての自信作では無かったのかもしれないけれど、他者の好み感覚だなんてそれぞれだ。自分の価値観を大切に守りながらも他者の価値観を壊そうとしない人格で、創作については目標地点や考える事も貪欲になれる方だと思う。自分よがりなものではなく、需要と供給への大人な事情についてやバックグラウンド、幅広い視野でものを見て考えられる思考力もこの友人の魅力だ。あとついでに言うと、自分の絵を褒めてくれたりはするけれど、好みじゃないからこちらの活動には関心が無さそうなところも、普段ならトラブルにつながっているような交流をしていてもトラブルになっていないのだろうと思っている。こちらがしている事を話す時にトラブルが想像できない、自分のなかで躊躇いが無い数少ない相手だ。そんな友人を自分の下手で失うのは嫌なので、相手の嫌がる事は可能な限りしたくないと思っている(笑)

友人は、こちらがそちらに合わせて趣味を移行し喜ばせようとしていると考えての言動だと思っているのかもしれない。けれど、こっちは初めから友人の好む絵を描けると思っていないし、友人の楽しんでいる世界に足を踏み入れてカテゴリを友人に合わせに行けるほどの器用さと才は無い。あと、一つのカテゴリに収まって入れないのが自分だ。友人の話す内容に自分の好みが時々重なったり、自分の描きたい絵を時々話したいと思った時に声をかけたりしているつもりだっただけで、相談したい事は単純に友人の意見を聞いてみたかっただけ。ごくごくシンプルにいつも的を得た返答をくれる友人の根っこの人格を信頼して、その解釈と価値観で答えてくれたら充分だったんだという事だけはここに残しておこう。

色々言いたい事を言ってみたが、これまでの経験から自分は絵をまじめに描いて、多くの人に見せたりして公に活動していった先に起こるであろう未来が怖い。大の大人が、こんな長文をウジウジ打ち込む程度に拗らせているくらいに恐怖を感じている。

絵を描いて言葉暴力を直接受けるのはむしろ慣れているので、単に自分の絵を下手くそ呼ばわりされる事や揶揄われるのはむしろ「正常」だ。そんなことで絵を描くのをやめようだなんて思った事は一度もないので、そっちのメンタルはつよつよなんだ。そこはどうでもいい。

怖いのは、人間関係の渦に溺れる事だ。絵を描く活動の中で自身の「人間操縦が下手くそ」なせいで、仲良くなった誰かが傷ついたり、仲良くなった誰かと誰かが言い争いを始めたり、仲良くしたくないのに誰かが自分を利用して承認欲求を満たそうとやってきたりする人間イベントを乗り切ってまで自分の絵に公開するほどの価値があるとは思えない。

プロになれるほどのメンタリティとセンスや努力の絵の才があるわけでも無いし、ドロドロぐちゃぐちゃとしたガムの吐き溜めダストボックスの中から抜け出す手段を自分は未だに体得していない。だから、細々と楽しんできたし、平穏な毎日が壊れそうで怖いんだ。

でも、そんなこと言わず、改めて努力する事もしてみようと思った出来事があった。

先日、葬式があり親族が集まった。叔父が小学生の子と話しているのが聞こえた。「AltOfって絵が上手いの知ってる?」と話していた。「うん知ってる、AltOfの絵はすごい」と目の前で言ってくれた。叔父の事は嫌いじゃない。むしろ学生の頃は凄く良いお兄さんだった。後に金の亡者で超絶ナルシストだと気づいて面倒な大人だと判定してからは距離を置いていた。小学生の返答にも驚いたけど、叔父に絵を見せた記憶が無かったので心底驚いた。

自分はその小学生と仲が良い。時には人生相談だってしたりする。未来ある小学生にとって、大人って楽しそうだなと思うお手本になりたいという気持ちが強くある。

その小学生の目に自分の絵が「良い」と映っているならば、その小学生が大人になっても、その評価を崩さずにいてくれる位のスキルは持って居たいと思った。単に「絵が描ける凄い大人」ではなく、楽しそうに見えるその大人も、実際は「目標があり、得意分野でも地道な過程を乗り越え楽しんで作出し続けている努力をしている人なんだ」と見ていて欲しい自分のエゴだ。

それで今回の記事はちょっとした決意表明みたいなもので綴っている。

さて、タイトル回収をしよう。

改めて絵について考えてみたんだ。良い絵って何?ぶっちゃけ判らん。
ただ、毎回自分が心を動かされる好みの絵は、デジャヴを感じるように「もともとそこに存在していた」感がある絵だ。X上で仲良くなった人の絵も、見せてもらった時に、二次元なのに「まるでそこにずっと存在していた感」に衝撃を受けた。友人が描いた絵の中で自分が良いなと思った絵もそうだ。
何か誰か、どこかのそれをパクってる既視感とは違う。紙の上、液晶の上なんだけど、なんかそこに存在している様に感じる妙な感覚だ。そうした感覚を持つ絵に魅了される。絵のことについては、まともに学んできていないけれど、唯一考えてきたことと言えばこの「どうしたら、この存在感を出せるのか」だった。残念ながら未だに方法は解らない。自分にとって、天井知らずの永遠なる目標がコレだと思う。

そんなわけで、絵については漫画を描けるわけでもない、物語を考えらえるわけでもない、存在感のある一枚絵を描くコトなんてできない。だから、そこはあんまり深く考えず、見てくれた相手に感覚をゆだねる事にした。

具体的な目標はLive2dの軽量ながら高稼働のキャラクターを作って販売に挑戦しようと思っている。これが目標で、まずは絵を描いていきたいと思う。

儲けよう、注目され人気を集めようとはやっぱり考えられなくて、小学生や中学生がちょっと親におねだりしたり、奮発したお小遣いで買えるようなキャラクターをコンスタントに売り出せるスキルが欲しい。拡張性を高く工夫して、汎用キャラにオリジナル性を持たせられるものを。

学生時代、不登校になったことはないけれど、本当に学校が嫌だった。

リアルを生き抜くのがしんどくて、ネット上で気軽に変わり身を得てひと時でも一日の中で人生が楽しめるチャンスをつかむ人が増えたら良いなと思う気持ちが根底にある。辞める事も、挑戦することも気軽なアバターの存在は、こうした考えを持っている人たちにとっての楽しみを作る種みたいなものだと思う。

学校が辛くても、他で居場所があるというのは生きる上で重要だ。大人になっても逃げ場所や自分が安心して身を置けるコミュニティは生きる上で必要だと思っている。ネットの海で溺れてしまっては人生は辛くなる一方だけれど、ハサミは使いようだ。ハサミは危険だから安売りするなだなんて、そんな馬鹿な話は理解できない。何をどう使うかは人それぞれで、合法にモノ売る側の人間にはその責任はない。自分が売り出したキャラがド変態キャラとして動こうが、地雷系として動こうが購入者の自由だ。むしろ自分は魅力的なキャラ設定や物語を考えられない側の人間なのだから、売り出した汎用キャラに性を与えて動かしてくれるのは有難いと思う。

「絵」そのものの話へ戻すと、自分は設計図が大好きだ。読めないけど電子回路の図面も好きだし、間取り図なんかも観ていてワクワクする方だ。パターンの展開図も良い。絵描きさんが描くキャラデザシートもアートとして見ていて、特に配置やデザインが工夫され凝ったキャラデザシートが大好きだ。だから、自分も世間で言う一枚絵とは違った趣向で「キャラクターデザインシートを作品として描く」ようにしようと思った。Live2dはデフォルメしたキャラで作る事になる、原画があってのデフォルメだ。まずはデザインシートを描き溜めて、Live2dに挑戦したいと思う。

そんなわけで、めちゃくちゃ絵にまつわる言いたい事言っておいて、一枚も絵を載せない記事だなんて言動不一致チキンすぎる。最近描いている途中の絵でも貼り付けて今日は終いにしよう。

まずは、先日のペイペイパルパルの彼1彼2が認めてくれた絵はこちら↓

はい、塗っている最中で止まっています。

最後は、以前にLive2dで自分のテスト用に作っていた「碧ちゃん」の設定(モチーフにした動物とか、顔つきとか諸々全て)を忘れてしまったので、改めて作り直そうという事でデザインシートテンプレートをどんな風に表現して描こうか模索しながらキャラデザ描き進めている途中の「碧ちゃん2」シートを貼って終わる。

原画のキャラデザなので、デフォルメLive2d用じゃなく影も描きこむ絵にしている

相変わらずひねくれた長文日記だね!
今日も読んでくれてThanks!