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『ひま』・『たいくつ』というメッセージのうちにひそむもの

 ☆妹一家の帰省と子どもたちの成長

 先週末に、妹夫婦が里帰りで遊びに来ました。昨年11月に生まれた姪っ子はもう4か月半に。生まれた直後は2.5kgだった体重もいまや7kg超とだいぶ大きくなっていました。成長したのは身体の大きさだけではなく、前回会った時にプレゼントしたガラガラを自分の力で握れるだけの握力もついていました。ガラガラを私が持って音を鳴らすと音の方向に反応を示し、左右に移動しながら音を鳴らすとその方向に追視をしてきたので、順調に成長しているんだな・・と一安心です。

 一方、4月から小学4年生になる甥っ子も、会うたびに目覚ましい成長の兆しを見せてくれています。
 甥っ子とはいつも人生ゲームで遊ぶのが常なのですが、昨年までは少し時間が必要だった一万円単位の計算を現在ではノータイムではじき出せるようになっていました。また半年前にはじめた将棋も、当時は駒の動かし方をやっとこ覚えているような水準であったのに、今では2枚落ちでほぼ互角程度の実力まで強くなっており、まったくもって2人のその成長するスピードには驚かされるばかりです。

☆『ひま』『たいくつ』というメッセージの内にひそむもの

 甥っ子については昨年あたりからしきりに『ひまだ~』『たいくつだ~』というのが口ぐせとなっています。よくよく考えてみると私自身についてはこの数年、『ひま』とか『たいくつ』という言葉をつかったことがないことに気付きました。というか、大人になってからは『ひま』とか『たいくつ』と感じることがなかったような気がします。とはいえこの間ずっと、1年365日中忙しかったわけではなかったので、なぜ自分がそのように感じることがなくなってしまったのだろうかと考えてみた時に、実際のところ時間があれば“寝よう”と即断していたので(笑)、『ひま』とか『たいくつ』と感じる必要性がなかったのかもしれません。

 そう考えた時に、『ひま』とか『たいくつ』という言葉は、世間一般ではネガティブなイメージで捉えられることが多いと思いますが、その実はとっても大切な言葉だな・・と感じました。

 甥っ子が口にしていた『ひま』『たいくつ』という言葉は、自身が“何か興味のあることをしたい”と考えてなければ決して出てこない言葉であり、言い換えれば自分自身が「成長したい」という“発達への願い”のあらわれといえるのではないでしょうか。私のように時間があれば『寝よう』と考えてしまうような人間にとっては全く縁のない言葉です。

 だからこそ、こどもがもし『ひま』『たいくつ』と口にしているのであれば、身の回りにいる大人は『うるさいな』と思うだけではなく、その言葉の裏に潜む“発達への願い”に寄り添い、応えていくことが求められるのだろうなと思います。

 とはいいながらも私自身、夜中の11時まで甥っ子に将棋の対局に付き合わされ、なんとか無理やり終わりにさせて、『やれやれ』とお風呂に浸かっていると突然お風呂のドアが甥っ子によって開けられ『ねえねえ〇〇ちゃん、次なにやろっか?』と言ってきたときには『本気かよ!!?』と思わざるを得ませんでした(笑)

 しかし姪っ子が産まれてからというもの普段は夜20時には我慢して寝なければならない生活を送っている甥っ子のことを思うと無下に断るわけにもいかず、いやでも「0時超えているんだからさすがに子どもは寝る時間だろ」とも葛藤しながらお風呂を上がるといつの間にか甥っ子は寝てしまっていたので『助かった・・』と思ったわけですが、甥っ子のエネルギーを持て余しているその心情は理解ができるような気がしました。

☆『成長したい』という発達への要求は、いつどの子にも共通するねがい

 思えばまだ4か月半の姪っ子も、もしかしたら甥っ子と同じように『ひま』とか『たいくつ』と言葉にはならないにせよ、そう感じているのかもしれません。

 姪っ子は“ゆびしゃぶり”をよくするようになっていましたが、もともとゆびしゃぶりは吸啜反射(口にしたものを吸う反射)の延長線上にあるだけではなく、触覚などの感覚統合につながるこどもの大事な“あそび”という側面も存在します。また、『アー』『ウー』という喃語も、大人たちに何かを訴えたいという意図だけではなく、自由自在に声を出すための訓練という意味での“あそび”という側面もあります。

 いずれにせよそのような指しゃぶりや喃語を発する赤ちゃんの行為の背景には、無意識的にではあるかもしれませんが「成長したい」という発達の要求が垣間見えるわけです。そう考えた時に、姪っ子もしばらく一人で寝かしたままにしておくと、授乳後でお腹も空いていないはずだしうんちやおしっこをしたわけでもないのに突然泣くことがありますが、もしかしたら赤ちゃんである姪っ子自身も甥っ子と同じように成長へのエネルギーを持てあまし、泣くことで『ひまだ』『たいくつだ』というメッセージを大人に投げかけているのかもしれません。

 このように、『成長したい』という発達への要求はどの子どもにも共通するねがいであり、それはこの世に生まれ出たその瞬間から年齢を問わず心の内に存在する大切な要求なのだと思います。その内に秘められた要求とそれが満たされない現実との間に矛盾が存在する時に、子どもは時に『ひまだ』『たいくつだ』という言葉であったり泣き声でその葛藤を表現するのではないでしょうか。

☆子どもの要求に応えられる大人と社会のあり方について

 子どものそのような発達への要求というものは、時に大人の手にあまるときもあるかもしれません。物理的にも経済的にも子育ての負担が家族に集中しすぎている現代の日本の現状ではその傾向は余計に顕著であるのかもしれません。

 だからこそ、その家族を取り巻く周囲の大人たちが積極的に関わっていくことが求められているのではないでしょうか。

 私自身、自分の子どももいないわけですが、だからこそ妹のためにも甥っ子や姪っ子のためにも出来ることはしてあげないといけないな・・と思います。

※写真は本文とは全く関係ないですが、9歳の甥っ子の手づくりのオムライス


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