バカだといわれたので、バカだと証明してみるテスト


さて、人をバカ扱いしてきた相手の返答を二日間待ったが何の返答もない。
というわけで、私怨で申し訳ないが少々腹が立ったので、こちらに投稿しようと思います。くだらないTwに対する取るに足らない分析ですのでまあ、暇つぶしにでも見てください。

まずは件のTwを張らせていただいたわけですが、さてこの文章は三つの部分で構成されています。

1、【今回の災害を受けて「治水に金をかけろ」という意見が多い】という意見があるという前提

2、【(文系である)自分は「人の経済活動で自然を律すること」は傲慢だと思う】という災害の原因の主張の導入

3、【山を禿げさせたことによる、異常気象と治水機能の低下が今回の災害の原因である】とする災害の原因に対する主張

まあ、要約するとこんな感じですね。
大まかにそれぞれを分割してみるなら、大きく問題はありません。
問題は組み合わせると途轍もない問題を孕むということです。


まずは彼が何を言いたいかの分析

当該Twを分析するに、彼が言いたいのは結局のところ公共事業悪魔論だと思われます。
(公共事業悪魔論:私の作った造語で、「公共事業は政治家を肥えさせるので減らすべき」とか「公共事業を減らすことによって国民に還元を!」みたいな言説・論調のこと)
何故そう分析するかといえば、その後のTwがあるからです。それがこちら

民主政権云々の部分は別にして、彼の言う「山を切り崩しコンクリートで固め」の部分に該当する具体的なものを上げれば、高速道路建設・ダム建設・山林開拓などなどの公共的な大規模整地事業のことだと推察できます。
更に当該Twで「その結果高まった危険をさらなるコンクリで防ごうなどという土建ベースのマッチポンプを断とうとした理念自体は、自民党よりはマシだった」とあることから、彼の言う「土建ベースのマッチポンプ」というのはつまりは「今まで公共事業って金儲けのためにやってきた、その結果、こういった災害に耐性のある土地は失われていった、だから治水に金をかけろというのは違うと思う」というお話に収束するように見受けられます。
「主張はひとそれぞれ」
別にそれ自体を否定する気はありません。
主張は自由にされたらよろしい、だからリプに返答などしなければいいのです。だが彼は多くの人の引用RTやリプに「いやそうじゃない」と反論を展開していきます。

さてでは何がこんなに反論されているのか?

彼にはこの観点が不足しています。
文系と名乗るわりには、言葉に対する分析が希薄すぎて失笑モノですが、まあ、本題とは逸れるので割愛します。
まず多くの反論は「治水工事に疑義を呈しておられるが、では実際に起きる災害に対してどう対応するのだ?治水を行う以外に対応策はあるのか?」という考え方が基本となっています。
私も基本的には同じ思いです。で彼を批判したわけです。まあ、少々あおり気味に「ブーメラン乙」とだけTwしたので、流石にやりすぎたかとは思いましたが、まさかいきなり罵倒してくるとは

というわけで、怒り心頭の私は以下のTwをするわけです。

という私の主張ですが、結局彼はこれに何一つとして返答を返してこない。
彼は「公共事業などが原因で今回の災害が起きたのに、治水に金をかけるってのは違わないか?」と疑義を呈しました。
私は「貴方の主張は分かりました。ですが貴方の主張が正しかったとして、それが治水にお金をかけない理由になるのですか?」と主張しました。
問題はここです。「傲慢」とか「土建ベースのマッチポンプ」とか言ってますが、ではそれにお金を出さなかった場合に、どんな被害が出るのか?
対策費用が不足することでどのような弊害が起きるのか?という観点が完全に抜けていることになります。
彼にとっては”誰かの金儲けに使われている”という観点こそがもっとも重要なのでしょう。
まあ、主張は自由です。しかし、この論調が幅を利かせていたのが平成の30年間です。その結果、経済は打撃を受け、より深い失業率に繋がったという論もあります。
重ねて言えば、個人的に「誰かが儲け、誰かが損をしなければ経済は回らない」と考察をしておりますので、私は私が儲けることよりも誰かが儲けて経済をまわし、よりより就労環境や職業規範ができる世の中になることを祈っております。まあ、儲けたいという思いはありますがそれはそれ、それよりも誰か儲けられる人は儲けてくれと思っています。

つまり、言いたいことは近視眼的に自己保身な主張を展開されても一切賛同しかねるということです。

特に治水は何十年も先を見据えて作ります。
ですがそれが間違いなく大丈夫という保障はどこにもありません。
それこそ彼も別Twで言及していますが地形は変わります。彼は人間が手を加えることによって地形が変わることに言及していましたが、人間が手を加えずとも地形は変わります。
それを予想しきることは不可能ですし、それに対応するためには適宜、状況に応じてお金をかけて治水を行わなければなりません。だからこそ治水のお金を削ってはならないと、もっとお金をかけるべきだと思うのです。

更に重ねれば、「お金を儲けるために治水をするのは悪である」が真であったとしても、「次の被害を軽減するために治水をする」ことは悪になりえない。

この観点が抜けているわけです。我々何のために税金納めてるんですかね?と疑問に思いたくなる考え方です。

まあ、私はバカです。割りと自分でも知ってます。
でもね?近視眼的に何かに否定的に動くために、これからに絶対必要なものを萎縮させるような言説は、決して許してはならないと思います。
まあ、この記事を書いているのは私怨であり、支援でもあります。
罵倒に対する私怨と治水に対する今後の支援。
この両輪を持って私の愚考とさせていただきます。ここまで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?