回避できたミスと過ちを犯してしまった獣


 奉公先に、新人2人が入った。
 ぼくはアルバイトとという感覚で働いていないのでアルバイト先とは表現したくないので奉公先等と表現させて頂く。まあ実際には元々ぼくに昔から色々と教えてくれたり、お世話になったりしていた人なので彼の思う事に順う様なものなので奉公先で良いかなと。
 以上、前置き。
 職場はいつも人手が足りておらず、3人欲しいところだが2人と上司、また1人と上司のみの場合もある。
 なので新人は入る事や、育つ事はとても我々にとって非常に重要な事案なのである。しかし、今回新人2人をアシストしたのは、ぼくよりも先輩にあたる幾許か年下の女性、いや“女子”だった。
 再び話はそれるが、ぼくはこの仕事をアルバイト感覚では働いていない。その為、彼女(ら)の働きぶりには目に余るものがあった。
 新人2人の前で退屈そうに凭れ掛かり、だらしない格好で勤務を熟している。見るに耐えない。他の“女性”らも基本的に勤務中は退屈げ態度でブスッとしている。ぼくともう1人の男性のみがいつも動き回っている。
 そんな彼女らの背中(物理)を見てうちでの働きぶりはこんな程度で良いと思われても困るので、退勤後にそれとなく注意を促そうか考えていた。
 だが、事勿れ主義なぼくは一度頭の中でシミュレーションしてみた。しかし、鳥渡しか年齢が変わらない訳の分からない男に注意されて以後居心地が悪くなり、退職されるのが一番問題であると、ぼくの頭の中の富岳が瞬きをするよりも速く導き出した為、苦虫を潰す思いで堪えながら勤務を終え、マスク越しのハッピースマイルで送り出した。
 その後、以前事勿れ主義では出世できないとぼくに話してくれた彼にぼくが勤務中に富岳を使い苦虫を潰した話をしたら、「言わなくて正解」と言った。どうやら富岳は正解を導き出していたみたいだった。
 しかし、それでは何の解決にもならないどころか新人2人にも悪影響を及ぼしてしまうのは時間の問題である。そこで富岳はまた事勿れ主義を回避し彼女らに何を言うべきかという問題に相対した時に、ほんの僅かな時間を置いてクラッシュした。
 つまり、ミスはしていなかったが、この先何にも繋がらない答えだったのだ。同輩にも新人にも客にとっても何も正しくない。
 そして、帰路に着く際に今まで通り電車で帰っていると、定期を変えた事をすっかり忘れていて運賃が発生してしまう帰り方をしてしまっていた。どうやらこの富岳は計算しかできないらしい。
 キセルになってしまうが、一度戻って、定期圏内で帰ろうかと思ったが、時間が惜しく、そのまま時間を買ったと思って乗り続けた。
 その方向の最寄駅にはカラオケがあるので来てしまったからには寄ろうかとも考えたがサンクコストに陥ってしまわないように自制した。
 いつもこの様なミスばかりをしてしまう事に茫然自失になりながら乗車率100%を超える電車内を見渡すと、斜め向かい座る少年が見覚えのある表紙を手にしていた。
 一瞬時が止まった。本当に止まった。富岳がクラッシュしたのではない、ただぼくが息を呑んだだけだった。
 彼が手にしていたそれはぼくが産まれてはじめて読了できた、「いたいのいたいのとんでゆけ」という小説だった。間違いなかった、間違い用がなかった。何度も読み直した、電子書籍版でも買ったあの本だった。有名な本ではないけれど、いちばんすきな本。
 「それ、めっちゃおもしろいよ」
 彼の元に歩み寄り、口に出してしまいそうなその一言を呑み込み、最寄駅で降りる。そして彼も立ち上がり降りてきた。これは電車を間違えたぼくに待ち構えた運命なのだろうか。そんなことを思いながら。話しかける勇気もなく帰宅の途に着く。
 30分もかけて歩く。今日はとても寒い。無駄に交通費もかかってしまった。そう思いながら少しでも時間を取り戻そうと夜間通るべからずの廃れた公園を抜ける近道を歩いた。
 その暗闇の中で、目にも留まらぬ速さで駆け抜けていく獣が横切った。
 恐らく、狸だった。小山の様に積まれた枯葉の奥に穴があり、きっとその中に巣があるのだろう。ぼくよりも早く帰ったのだろう。

以上、富岳により回避できたミスと無駄な運賃を払ったという過ちを犯してしまった事実と目の前を猛スピードで駆け抜けた獣の話でした。


これがきっと狸さんのおうち

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