殺意は長続きしないって。

暗殺教室にハマっていた時期があってよく見てました。
その中で、
「そりゃそうだ。殺意ってそんなに長く続かねえよ」
ってセリフがありました。

当時見ていた私にとってぐさっとくるセリフでした。

お話の中では、憎悪とかのネガティブな感情が長くは続かないと言う意味合いで使われてるのだと、解釈しています。

「あんな風にはなりたくない」と言う気持ちは瞬間的な爆発力を持っていて、短期間ならば力を伸ばすためのエネルギーになります。
でもエネルギー量は多くないので、エンストしてしまいます。

反対に「あんな風になりたい」って言う気持ちは長期的にエネルギーになってくれます。
ところが、目標を持つこと自体が、結構難しいですよね。

身近なところで考えると、
体重が増えすぎて、医者から痩せないとだめって言われるのと、
モテたくって、ダイエットに励むのでは、
やっぱりやる気の加減が違います。

プラスのエネルギーって自分自身の内側から湧いてくるものなんですよね。
だから目標を持つこと自体が難しいんだと思います。


この言葉を思い出したのは、現に私が、ネガティブな感情で動いていたから、エネルギーを起こしてしまったからです。

課長の代理的なポジションに自然と立たされ、部署の人たちが助けてくれるわけでもなく、さらに新人教育という役割まで増やされてしまい、
「こんな人たちといるのは嫌だ」
と思って、何か変わるためのきっかけを見つけようと思いました。
このnoteを始めたのもその一環です。

ところが、自分を変えることもできず、他人を変えるのはもっと無理難題で。

ひと月前の自分は、殺意には遠く及ばないけれど、強いマイナスの感情を持っていたように思います。

ただ今は、腹をたてることに疲れてしまっています。

結局元に戻ってしまいました。
腹が立つようなことはあるけど、それに対してあれこれ講じたところで、改善に結びつくわけでもなく。と考えるせいで、腹も立たなくなる。

私自身が仕事を大体覚えたなと思った時期、大体1年半くらい前には、些細なことでとても憤っておりました。
その時は怒りをあらわにすることはありませんでしたが、都度都度指摘はしていました。

ところが、指摘している内容を理解してもらえない場面が多く、話通じない人に労力を割くのは無駄だなと感じてしまい、半年前くらいから考えることもやめました。

先月、変化するためのきっかけはあったのですが、残念ながら形になる前に流れてしまい、今は何を改善しようかと考える時間となりました。

しかし、プラスのエネルギーがもともと無かったので、この考える時間もエネルギー不足になってしまいました。

仕事における「ああなりたい」「モテたい」みたいな感情って何でしょうか。

暗殺教室はどうして暗殺にのめり込んでいったのでしょうか。

A組のみんなは、殺すために勉強した。

E組のみんなは、それぞれの目標のために殺した。

そういうことでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?