父との記憶
今、TVerで情熱大陸を観終わった。
主人公は今年、2024年8月1日に100歳を迎えた「阪神甲子園球場」だった。
放送の中で客席の清掃を担うご婦人が言った。
「甲子園球場が好きですよ、みーんな。入った瞬間、なんやろ、ときめくというか。すごいステキですよ」
この「入った瞬間ときめく」という言葉を聞いて、初めて甲子園のスタンドに入ったその瞬間の光景を思い出した。
小学生だった私は清掃のご婦人が言ったように、その瞬間、ときめいたに違いない。いまだにその景色を鮮明に覚えているのがその証拠だ。
でも、ときめいたのは、甲子園に初めてきたから、だけじゃなかった。
当時、父は日刊スポーツに勤めていてほぼ昼夜逆転の生活だった。だから父とがっつり遊ぶのは夏休みと冬休みのそれぞれの中の数日だけだった。午後、学校から帰ってきて家で騒ごうもんなら母に「シーーーッ!お父さん寝てるやろ!」と怒られたものだ。
その日も家で寝ている父を起こさないように、ていうか、父がいようがいまいが年中外で遊んでいて、その日もいつものように外で遊んでいたら、突然父が出てきて「省吾、今から甲子園行けへんか」と言ってきた。夕陽が私の顔を茜色に染めていたはずだ。
私は一瞬、甲子園が何のことかわからず、「え?野球の…」と言うと「ナイターや。観に行けへんか?」と。
私は父からの余りに突然の申し出に返事に窮したが、すぐにいかにスペシャルなことが今起こっているのかを理解し「行くっ!行こやっ!」と父を見上げた。
たまにキャッチボールをしてくれることはあった。しかし近所ではない、鈴蘭台西口から新開地で乗り換え、三宮をぶっちぎってさらに遠方の、あの、甲子園球場まで外出するなんてことはそれまでなかった。
普段の日に父とどこかに行ってその時間を共有した唯一の記憶。それが甲子園球場だった。そりゃあときめくさ。
でも対戦相手や勝敗など、他のことは何も覚えていない。
父と夕陽と甲子園に入った瞬間の景色。それだけを覚えている。
そんな100年分の無数の思い出と共に次の100年へと歴史を刻む甲子園球場は、私の中では世界一の球場だ。
100歳、おめでとう。これからも末永く。