座椅子は起き上がる方向にしか動かせないみたいに

 ひとり暮らしを初めて1ヶ月、やっと座椅子が届いた。注文は結構前にしていたけど、人気の商品らしく、遅れての配送となった。1ヶ月のノー背もたれ生活という代償を払う価値のある品で良かった。狭い部屋なので何よりコンパクトさと持ち運びやすさを重視したが、高さもありしっかり支えてくれるようでなによりだ。これからもよろしくお願いします。

座椅子を使うたびに思うことがある。

倒したいとき、1回ぐっと起きなきゃいけないのダルい

「もうちょっと前のめりになりたい」と思ったとき、身体を少し前に起こして座椅子をそれに合わせる形で折り曲げればよいが、逆のときは一筋縄ではいかない。一度最大まで身体を起こして、座椅子を最大まで曲げてから、一旦平らにし、そこから少しずつ起こすことで最適な角度を見つけなければいけない。ちょっと傾きが急すぎると思ったら、また座椅子をゼロ状態に戻してから調整する必要がある。手間がかかることはまだ良い。最初の「よいしょ」のことを言っている。これからくつろぐ方向に身体の調節つまみを回したいのに、一度最大まで張り切らなければいけないから。眠くても重い腰を上げてお風呂に入らなければいけないこと、ミントの味で目が覚めてしまうけれども歯を磨かなければいけないことと似ている。

この面倒臭さは、構造上仕方ないことなのでどうしょうもない。重力に逆らう方向に反作用を与える器械なので、重力方向に押して動くようではいけない。そう、座椅子の支えとはくつろぐわたしたちへの抗いなのだ。座椅子は座る人と同じ方向に力をかけられないから、わたしたちが身体を委ねたいと思ったときは一度、座椅子を解放してあげなければいけない。身体も口の中も、これから汚れるためにいちどきれいにしなければいけない。"汚れる"という解放のために、きれいにすることで抗う。抗ってくれるものにはいつだって自分からまみれにいかなければいけないのということ。

そういう相互関係に、わたしとわたしを支えるものはあったのだと気づいた。わたしたちが委ねるものには、いつも抗われていて、それを弱めてほしければいちどこちらが苦しい思いをしなければいけない。

支えてくれるからたまにはありがとうを言わなければいけない。

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