今日は後ろから見ていたみたいに

はからずも昨日と似ているような逆のような体験をした。映画館に入ると知り合い二人が隣どうしで上映開始を待っていた。事情が複雑なのはそれが仲良くしている女の子と先輩の男だったからだ。彼女は自分含めなんの抵抗もなく誰とでも二人で出かけるし、なんならその人には気を遣うのでちょっと居にくいくらいのことを感じていると言っていた気がするから、その事実自体には何も脅かされることはない。でもやはりざわつきを感じたのは確かで、それは自分の知らないところで”何かが起こっている”ことに対するもどかしさのような気がする。二人は来てたまたま会って隣に座っていたのかもしれないが、だとしても二人が共有する時間の外側にすでに居る。

後ろから図々しく話しかけて二人の時間を破壊し三人目として参加することもできたが、そのざわめきへの対抗措置として"傍観する"選択肢をとった。その三人が同じ空間にいたこと&二人が一緒に映画を観ていたことをこちらが目撃したことを”私だけが知っている”というこちら優位の不均衡な状態をつくるというのが、二人が会っていることを私が知らなかったことへの怒りのに対する唯一の対処であると考えたからだ。もし参加してしまえば私は、その事実と同じレベルにたってしまうことになるが、それを外から眺めていることでより神に近い目線に立てる。そして誘われた人、誘われなかった人という差も生まれなくなる。

普通に「邪魔してはいけない」という気持ちもある。自分の「敵」を嫌いにならないようにするポリシーがあり、それもマウントをとりたい気持ちからだ。「どうぞご自由に」という余裕を見せることで平静を保つのが私のやり方。自分のなかにある束縛欲をなんとか表に出さずに日々生きている。「誰かにとって一番でなくても特別な存在になれればいい」と心から思っていたいけれど、この嫉妬があるうちはちっぽけな人間だ。

終わった後も、なんならエンドロールくらいから荷物を抱えてそそくさと会場を後にした。荷物が少なく済んだのでTSUTAYAのレンタルバッグに手荷物をつめこんで出かけている破天荒さを目撃してほしい気持ちを抑えながら、その去っていく姿を向こうに一方的に見られてはより外側の世界に立たれてしまうのでとにかく素早く動いた。

駅までの帰り道、この後二人でご飯を食べるのかなどと考えるとまたざわめいてきたが、家には寿司が待っているとのことだったので心を決めて歩いた。晩御飯がうんめえ寿司でなければその行動を正当化できず、今日一日をすっきり終われていなかった。ありがとう母ちゃん。

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