蚊取り線香がだんだん白くなって落ちていくみたいに

そろそろ窓から入ってくる蚊に悩まされる季節だが、新居ではまだ対策をしていなかった。虫コナーズやアースノーマットも店頭に並びだしているけれども、私は蚊取り線香を選んだ。自然派な生活に憧れがあり、何より線香の香りが好きだから。

いざ使ってみると、鼻よりも目で楽しめるものだとわかった。焚火もずっと見てしまうものとして名高いが、あれよりもパワーがなく明かりが目にやさしくて本当に飽きがこない。立った煙がどっちに行くかとか、灰がいつ折れるかとか、見どころもたくさんある。テレビマンとかYouTuberが嫉妬するべき目の離せなさ。

窓際に置いた緑のグルグルが短くなっていくのを見ているあいだ、色んなことを考えた。そもそもなぜ線香の香りが好きか? 線香の香りは誰かの死に結びついた記憶を呼び起こすものだろう。しかし私は生まれてこの方身近な人の喪失を経験していないから、この香りに呼び起こされる悲しい思い出がない。むしろ、法事やお盆で人が集まっているときに嗅ぐ”にぎやかな”匂いだと勘違いしているところがあるのかもしれない。

線香は白くなって落ちていく。そのイメージは確かに人が燃えて灰になることの周りにある儀式にそぐうものだなと、週の初めに近づいた”死”のにおいに思いを馳せる。生まれたときから年末に会ったときまでずっと、むこうは会うたびに「大きくなったな」と言ってくるのと対照的に大きくも小さくもならないおじいちゃんだったが、三月にいとこたちもあわせて旅行に行ったとき、おいしそうな懐石をほとんど孫に譲ってくれたり、観光スポットについても車のなかで待つと言い出したりと心も体も生気をうしなっていた。旅行後に病院に行ってわかったのは、知らぬ間にできていたがんが大きくなりもう末期らしいこと。孫が大きくなるのをあんなに確かめたがっていたのだから、そっちのほうも時折気にしてくれれば手遅れにはならなかったのに。4月にまた会ったときはその話しぶりくらいからしか元気がなくなっていくのを感じなかったけれども、今週会った時はあきらかに腕が細く頬がこけていた。肌も白くなり、骨の色に近づいていくのだなと思ったけれど、あまり外出をしない人だからそれはもとからだったかもしれない。

生まれたときから変わらない姿でそこに居た人がやつれていくのをみてやっと、”生きていたんだな”と感じる。突然終わる人生もあるなかで、だんだんそれが近づいていくことを感じさせてくれるのは、せめてもの救いだ。それは私が置くだけタイプの虫対策グッズではなく、使い終わりまでの残りが一目でわかる蚊取り線香に感じている愛着と関係があるかもしれない。

近いうちに、悲しい気持ちと一緒に線香のにおいを嗅ぐ日がくるかもしれない。それでも私はきっと線香の香りを嫌いにはならないだろう。夏が来て蚊取り線香を焚き始めるたびに思い出すのは、それを使い始めた頃生きているおじいちゃんに会って帰った部屋の香りだから。

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