見出し画像

ゲーム『The Beginner’s Guide』に隠された最も美しく最もさり気ないパズル“Devil Tower Star”について

The Beginner’s Guide って何?

『The Beginner’s Guide』は、前作のメタ的なユーモアに富んだインタラクティブアドベンチャー『The Stanley Parable』で世界中から高い賞賛を受けたDavey Wredenがその後年に発表した、非常にナラティブなゲーム作品である。

The Beginner’s Guide

とある個人ゲーム開発者“Coda”が制作し、どこにも公開しないまま封印していた未完成かつ抽象的なゲーム作品の数々を、その友人である Davey Wredenのナレーションと共に、それらがどういった意図で制作されたのか、延いてはCodaとはどのような人物であるのかを解説・考察し、紐解いていく。

プレイヤーに出来ることと言えば、ただナレーターの話を聞きながらWASDキーで移動し、マップを見て周り、時おり道中の簡単なパズルを解く程度である。ジャンルとしては、勝利条件や明確な目的が存在せず、ゲーム体験そのものやストーリーテリングに重点を置いた「ウォーキングシミュレーター」に分類される。

1時間半ほどで完結するこの作品は、制作者と鑑賞者との繋がりあるいは隔たり、創作をすることに対する意欲の源泉、承認欲求の存在といった非常に内省的でセンシティブなテーマを描いており、そして同時にそれらは、数多の作品・作者・鑑賞に溢れた相互に関係しあう社会の只中に居る我々にとっても共通する普遍的なメッセージとして、多くのプレイヤーの心を掴んでいる。

もしあなたがこの作品をまだプレイしていないのであれば、それは幸運である。
是非ともプレイ動画の視聴などで済まさず、一度実際に自らの目と手で物語を体験し、内に湧いたその感覚と向き合って頂きたい。

有志による日本語化MODもあるので、活用しよう。


↓以下、ネタバレを含む本題↓





“Devil Tower Star”

私はこの『The Beginner’s Guide』を初めてプレイした時から深い感銘を受け、以来その秀逸な物語の構造や高い美的センスなどを長らく愛してやまないわけだが、今回noteを書くにあたっては、そんな今更なレビューやおすすめポイントを述べたいわけではない。

ゲーム内に巧妙に隠された、しかし確固として誇示されている、とある、日本語でそれについて言及している記事が(自分の知る限り)未だ存在していない一つの要素について、記録を残すためである。

さて、物語的に美しく印象的な演出やエピローグが施されているにも関わらず、本作におけるDaveyが及んだ行動は事実なのか、Codaは実在するのか、などといった議論・考察は少なからず行われている。
これらは偏に本作の物語の構造が見事に作り上げたリアリティと、その結末が放つメッセージ性が如実に真に迫っていたことによる結果であろう。

しかし、そういった現実性の構築の中にあっても、登場人物達や物語の行く末・運命を暗に指し示したメタファーが、それらを決して阻害することなく、実に巧妙なさり気なさで隠されている。

それを解く鍵となるのが、「Devil Tower Star」である。

以下の通り、順番に紐解いていこう。

・2つの書き置き「デビル・タワー・スター」
・タロット大アルカナ「悪魔・塔・星」
・アイデア「あるゲームの鍵が全く別のゲームのドアを解錠する」
・暗号「151617」
・チャプター16「塔」

2つの書き置き「デビル・タワー・スター」

チャプター8「書き置き」は、数多くのオンラインプレイヤーが思い思いに書き残した(という設定の)メッセージが至る所に散りばめられた、洞窟と建築物で構成された閉塞的な世界を渡り歩くゲームである。

Notes

道中でDaveyが語るように全てのメッセージを律儀に読んでいく必要はなく、その内容も取り止めのないものばかりであることから、雰囲気を理解した後も実際に全てチェックしてまわったプレイヤーはそう多くないだろう。

実はこの膨大なメッセージ群をよくよく観察すると、その記述内容が完全に重複しているものがいくつか存在する。

「キャベツが私達の国を築いた(cabbage shapes our nation)」
「助けてー(HALP)」
「何かを書くのは怖い。非難されたくない。(Scared of writing something. Don't want to feel judged.)」
そして、「デビル・タワー・スター(Devil Tower Star)」。

Devil Tower Star

多くの人間がそれぞれに記した発言という設定の中で全く同じ内容のものが配置されている事実は、(ただ単に連投してるだけという十二分にあり得る可能性を除いて)いくらか重要な意味を持っていると捉えていいだろう。
他3つの内容に関して何が読み取れるのかは(正直わからないので)一旦置いておいて、ひとまず「デビル・タワー・スター」に着目していきたい。

タロット大アルカナ「悪魔・塔・星」

「悪魔」「塔」「星」の三つの単語から連想されるものと言えば、タロット22枚の組からなる“大アルカナ”以外にないだろう。
カードの図柄にはそれぞれ運勢の吉凶を示す意味・解釈が与えられており、これを用いたタロット占いが世界中で広く親しまれている。

占いの方法はカードを何枚引くか、何について占うかによっても多種多様に変わってくる。
ランダムに混ぜられた22枚のうち3枚を引き使用する方式は「スリーカード」と呼ばれ、1枚目は「過去」、2枚目は「現在」、3枚目は「未来」の状態を暗示するものとして、その運命を解釈する。

タロットカードには「愚者」から「世界」までの22枚に「0」から「21」までの番号がそれぞれ割り振られており、これを「書き置き」で示された「悪魔・塔・星」に当てはめると、「15・16・17」という連続した数字であることが明らかになる。

悪魔・塔・星

アイデア「あるゲームの鍵が全く別のゲームのドアを解錠する」

Stairs

チャプター4「階段」は、高く聳え立った建物の入り口へと続く長い階段を登っていくと、徐々に速度が落ちていき一向にそこへ辿り着けない  という体験のゲームである。Daveyの改変により建物へ侵入すると、そこが荒涼とした外側の世界とは打って変わった暖かな内装のリビングルームに、Codaによるゲーム制作のアイデアと見られる短い文章がいくつも宙に浮かんだ、いかにもプライベートな空間であることが判明する。

実はここで確認できるアイデアの中には、『The Beginner’s Guide』に登場する他の短編ゲームに加え、前作『The Stanley Parable』のエンディングや各ルートに関連した言及であると推測されるものもいくつか確認できる。
即ち、これらはCodaによるアイデアの種であるという設定と同時に、(『The Beginner’s Guide』制作者としての)Davey Wredenの他作品のファンへ向けたイースターエッグ的な役割も担っていると見ていいだろう。(あるいは、実際にDavey Wredenのネタ帳の内容と一致したものが使用されているのか。)

ゲーム内で鍵を手に入れると、全く別のゲームが開放される

そしてこのアイデア群の中に、“Devil Tower Star”を解き明かすためのヒントが紛れこんでいる。
それが「あるゲームの鍵が、全く別のゲームのドアを解錠する」である。

(日本語化MODによる翻訳は少しニュアンスが異なっているため、わかりやすく修正。原文は「A key in one game unlocks a door in a completely separate game」)

暗号「151617」

チャプター16「塔」は、Codaのゲーム群を無断で編集し他者へと公開したDaveyに対して送られた、明確な拒絶の意図を示したゲームである。
暗く陰鬱な雰囲気のなか塔へ向かって歩を進めようとすると、壁に触れるたび激しいフラッシュの明滅と共に入り口へ戻される不可視の迷路や、ノーヒントな6桁の数字を入力しなければ出現しない足場、そして最後にはそれらを長い時間を掛けて乗り越えたとしても根本的に開放の手段が用意されていないドアによって、その行く手は阻まれる。

Daveyの改変によってそれらをも難なく回避しいざ最上階へ辿り着くと、その行為に及ぶであろうことすら見越していたCodaによる、ゲームに手を加えるのをやめ、私から離れてほしい という旨のメッセージが記された一連の部屋が現れる。
Daveyはその中で自分の犯した過ちを悔やみ、それでも制御することのできない内なる承認欲求や謝りたいという利己的な思考にもがき苦しみ、物語はエピローグ(コーダ)を残して終幕する。

Tower

さて、このチャプターの中盤にある「ノーヒントな6桁の数字を入力しなければ出現しない足場」を解除する暗号は、Daveyの解析によって即座に「151617」であることが明かされ、ご親切に足元へと表示される。

151617

このパスコードはプレイヤーやDaveyにとって何の脈絡もない、長い時間を掛けた総当たりでもしなければ見当もつかないような、無意味な数字の羅列であるとして示される。

しかし既にお気付きの通り、暗号「151617」は 書き置き「デビル・タワー・スター」を変換した「15・16・17」そのものであり、これらは アイデア「あるゲームの鍵が全く別のゲームのドアを解錠する」によって結び付けられる。

だとするとこの「151617」は、Codaによって綿密に仕組まれた推測可能な解答だったのだろうか? 後述するタロットが示す意味合いを暗にDaveyへと伝える、あまりにも迂遠な激励のメッセージだったのだろうか?
確たる証拠がない以上これらの疑問が憶測の域を出ることはないが、ここでは「それは違うはずだ」と結論し、解法を次の手順に進めたい。

何故なら、この“チャプター16「塔」”が、“チャプター16「塔」”だからである。

チャプター16「塔」

本作『The Beginner’s Guide』は、タイトル画面からチャプター選択へと移り、エピローグを含めた17の章のうちから好きに開始点を選び、レンタルDVDよろしくリプレイすることができる。

チャプター16「塔」

このチャプター選択画面でのみ表示されるそれぞれに割り振られた章番号と呼称は、制作者Codaによって付与されたものではない。
Codaは当然これら16のゲーム以外にも無数に作品を制作している上に、『The Beginner’s Guide』はDaveyによって無断で編纂・公開されたという設定であり、ここにCodaの意思は全く介在していないのである。

そしてまた、この章分け・タイトル付けは、Daveyの手によって為されたものですらないと考えられる。
何故ならエピローグに位置するチャプター17「終章」は、それまでと同様のCoda作品のプレイではなく、そもそもゲーム世界として示されているのかどうかも曖昧に、おそらくDavey自身の心象風景・精神世界といった抽象的なイメージとして描かれている。ここにDaveyの意思は介在していないのである。

つまり、Codaが制作しDaveyが編纂・公開したとする作品集『The Beginner’s Guide』は、プレイヤー(あなた)がSteamにて購入しDLした(エンディングやエピローグのある)ゲーム『The Beginner’s Guide』の、言わば「作中作」であり、章分けやタイトル付けは後者に便宜上与えられた機能でしかないのだ。すごくややこしい話ですね。

さて、そうなると、この分割されたチャプターの第16番目のタイトルが、タロットカードのそれと一致する「塔(Tower)」であることは、単なる偶然などではなく、暗号「151617」に絡められた、“制作者”Davey Wredenによる演出の一つであることに、疑いの余地はないだろう。

Devil Tower Star

3枚のカードで運命を解釈するタロット占い「スリーカード」のルールに則ったとき、中央の「現在」が指している「塔」は、それまでに信じられていたプロセスの突然の崩壊、思わぬ破綻、誤解が招いた悲劇 などを暗示する。
これはチャプター16「塔」のゲームが醸している重苦しい不吉な空気や、その時点でのDaveyとCodaの両名に起こった状況・心情とも一致している。

また、「塔」のカードはほとんどの場合凶のみを意味するが、一方で、それらの変化によって齎される解放の兆し と解釈する見方もある。

Devil Tower Star

左方の「過去」が指しているのは「悪魔」。これは 不純な誘惑に対する敗北、弱い心による悪循環、やがて破滅を招く事物との出会い などを暗示する。
DaveyがCodaの作品に出会い強く惹かれると同時に、己の承認欲求の衝動や、役に立ちたいという認識による行き違いが生まれていった、物語内の大部分で示されていた過程を象徴していると考えてよいだろう。

そして右方の「未来」が指しているのは「星」。これは 絶望からの再生、無限の可能性、希望の光 といった目覚ましい吉兆を暗示する。

エピローグの最後、Daveyは訥々とした言葉を最後にプレイヤーのもとから去っていき、その後彼が何を為し、どうなっていくのかは終ぞはっきりと描かれることはなかった。あるいは自身も作品を作る立場として新しい道を歩もうと励むのか、あるいは行き過ぎた贖罪の念に追い込まれ自罰を選んだのではないか、あるいは何か別の方法で悔い改めようとしていくのかなど、プレイヤーによって様々な読解が可能な曖昧な結末だったが、この「星」の解釈を読み取るのならば、いずれの場合にせよ、それが彼らにとって希望的な善い未来を指し示していることは間違いないだろう。

Epilogue

以上のことから、「Devil Tower Star」は『The Beginner’s Guide』の物語全体を象徴するキーワードであり、その語られぬ行く末を暗に指し示す、隠されたパズルの解法でもあった、と言える。

おわりに

本ゲームの海外のファンの間では、「街灯を置く(lampposting)」という言葉が一種の慣用句として定着しているらしい。これはつまり「作品内で示された描写から必要以上にその真意や作者の内面までもを見抜こうとしたり、飛躍した論理で意味を付け加えようとしてしまう(歓迎されない)行為」を指しており、劇中のDaveyの同様の行為になぞらえている。
「作品」というものに作者とコンセプトと鑑賞者が存在する以上、それを読み解こうとする姿勢は避けられるものではなく、むしろ評価を行う上では無くてはならないものだ。肝心なのはその距離感と節度だわな、ということなのだろう。

私がここまでつらつらと書いたこの記事が、作品に対して街灯を置くような行為でないことを願いつつ、締めとしたい。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

おわり


参考

Fandom「The Beginner’s Guide Wiki」

https://the-beginners-guide.fandom.com/wiki/Main_Page

Wikipedia「大アルカナ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?