頭の中のわちゃわちゃ 其の壱

今や左を向いても右を向いても、上を向いても下を向いても
新型コロナ、新型コロナ、新型コロナの一色。
「コロナ」の文字を見飽きて、最早見たくもない域まで達している。

令和二年が始まって四ヶ月後に、緊急事態宣言が発令されるなんて
夢にも思わなかった。

先日、SNSの書き込みの中に「コロナに勝つ!」の文字を読んで
喉に小魚の小骨が引っかかったような感覚があった。
地元の民放局の主力アナウンサー達が「コロナに負けない!」と言う
CMを見た時も同じような、指のささくれを見つけたような感覚だ。

ともすれば、うっかりと見過ごし忘却の彼方へ去ってしまう感覚だが
今は存分に時間もあるので、じっくりと向き合ってみた。
その結果、違和感の大元は「勝つ」「負ける」と言う姿勢だと気付いた。

いやまぁ、言いたいことは分からんでもない。
分からんでもないんだが、勝ち負けの問題じゃなくね?
と言うのが私の考えだ。

そもそも、いつから人類は地球上でそんなに偉くなったのか?
細菌やウイルスは生存する必要があって、生まれるのではないのだろうか。
一つを撲滅したところで、別のウイルスが誕生するのではないだろうか。

無論、それが原因で命が脅威に晒されるのだから対抗措置は必要だろう。
だがそれは決して、勝ち負けで語れるものではないと思う。
感染者がゼロになったり、事態が終息した時に克服したかのように見えるが
ウイルスと共存する一つの道が見付かっただけなのではないだろうか。

正直、ウイルスになったことがないから正確なところは分からないが
ウイルスの視点で考えてみると、単に存在し生き延びてようとしてるだけ。
宿主を殺そうとかやっつけようとか思ってないんじゃないだろうか。

つまり何が言いたいのか。
私は人間力が試されていると感じている。排除するのではなく
共存する道を模索し、先ずは自身が生き延びる術を身に付け実践する。
他者を思い遣る行為が廻り廻って自身に還ってくる。
そのことを肝に銘じて、日々の暮らしを淡々と丁寧に過ごそうと思う。



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