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人間の向かうべき在り方、"ほんとう"の人間関係はどこにある?

この記事が素晴らしすぎたので、今回はテンションがおかしい回です。
月に一回もない現象だと思うので許してくれ〜
40代になってもこんな発狂はできるのだろうか、そうでありたいな


勢いに任せた感情の発散から、私の記事は始まる(最悪)

誰か!もっと!この方の偉業を褒めろよ!米俵とか、送ったり、神輿を建造したり!わっせ、わっせ!
学校や保護者会、地域の自治体も講演のオファー出せ!ドキュメンタリー班もご丁重に名作をつくれ!

もうこのテンションで"酔い"ながら書くことにするわ(好印象を捨てた日)

この人に潜む輝きにこそ、俺が生まれた意味がある(真顔)

この「価値の核」となる人との発見(出会い)からなるワクワク・妄想をしている時間が、一番自分のことを愛せているというか、輝いている実感がある。ありがてぇ。ほんと恵まれてるわ。泣きそう。盛ったわ。

youtubeで企画立てろ!AB○MAとか出…いや、それはいいや、寒そうやし
ハリウッドで映画化しろ!ツイッターでbuzzる漫画書いてけろ!
ラ○ンドとコラボしろ!全国の子ども食堂に「AI 寝るさん」を配置しろ!

■俺にはこの人の得たトロフィー(ゲーム的な実績解除)が輝いて見える
現人神級に珍しい(なぜ、それが可能だったのや? ここが大事なポイント。)

2023年にした妄想を、2040年の俺はどう思ってみているだろうか

この感動を皆さまにどう伝えればいいだろうか
公民館でプレゼンしたいわ。
みんなにワクワクしてもらいたいな
諦めきれなくなるよ、人間の成長・自己内省力の凄みに当てられると。

……………

俺も友だちづくり頑張ろう。
陰キャで、「多重に交流を避ける因子をもっている自分」と
「コミュニケーションフィールドに定まっている文化」と
「登場人物・相手 の性質」の分析をつぶさにしながら、着実にやれることをやっていってるという実感を得ていこう。

待ってろよ! まだ見ぬ俺の仲間、先輩、師匠、子どもたち!
(危うい自惚れも忘れずに分析しろッ)

「泣く子はいねぇが」(監督が5年もの年月をかけて構想した)映画のレビューをさっきnoteでみてたんだけど、それに似てるのかな、寝る氏の辿ったストーリーラインってのが。
ある種、"ほんとう"を探す物語というところは多分共通してて、僕の父は全てに腰掛けの状態で生きてるから、どこまで行っても"ほんとう"にはたどり着けないんだけど。(急に自分の身の上話を滑り込ませてくるやん)
その家庭で、僕はずっとその雰囲気を感じてきたんだ。
煮え切らない態度で社会と・妻と・親と・子どもである私たちと関わる、男。20年以上前に生まれた一人の昭和の男の生き様・態度を。
だからこそ、痛烈に輝いて見えるのだろう。同じ毒親という不遇な生育環境に生きながらも、彼をコントロールしている自覚を隠さず、共依存の加速・自己嫌悪の埋没に歯止めをかけ、泣き(感情を出し)、見つめ直す。
見れば見るほどこの切り取られた一部を偶像化して崇拝してきたくなっちゃうよ…。
というか数歳年上なだけとは思えないほど成熟してんな、文体が。…いや、人間が成熟してるのかな。
とにかくすげぇ。偉大なる先駆者ですわ。
さて、そのうえで私はなにを? 少なくとも血肉にはなるだろうから(いや、骨か?) まあ進んでいけば接続するでしょう。

今回はここまで
みんなもポケモンゲットじゃぞ〜! いつもいつでも本気で生きてる 知らぬ人がいる あ〜あこがれの にんげんマスターに〜 なりたいな〜 ならなくちゃ 絶対なってやる〜(三段活用)

………………
こういうノリきついかな。きついだろうな、書いてる人のノリに文字だけで巻き込めるならすごいよな。閉じた界隈ってほどここオタクが来るところでもない…ようにしか運用してないし。
でもね、気を抜くと暴発するんよ。この替え歌も「ここまで」って打ったことから脳がはじき出し始めて→アニメのポケモンでのシメ→オーキド博士のセリフ→そういやオープニングあったな…とシナプスが運んできたエンドロールミュージックなんですわ。
これも歪んだ承認欲求ですね
辛いですね 醜いですね
誰かに叱られてみてもいいかもですね
「あなたの変なノリが背後に挟まったせいで台無しです、訂正してください」って。
でもどうだろう、オタクの書いたブログ(note)を含めると、時々痛いノリが炸裂してたりするのも見なくはないのだが、真面目な(少なくともノリがうるさくない)日々の思い系noteの人にはそんな発作は見受けられない訳で、それはもしかしたら愛着の階級みたいなものがあるのかもしれん。試論。
オタクのノリを場外に出したがる人たちの抱える問題とは何なのか。


…………

そういや皆さんnoteの記事に対してコメントってしてますか?
てかそういうブロガーとの交流があったほうが楽しいっていう価値観で読者やってますか?
僕は今日散歩に久々に行ったんですけどね、挨拶してくれた人がいたので、それ以降「おはよございます」って声かけたら結構帰ってくるんですねこれが。存在の受容を示す儀式がこの地域の住人には存在してたんですね。とても気持ちいい気分になりましたよ。引きこもりには格別の体験ですね。無料だけどキャバクラ以上の効果を発揮してますよ。挨拶依存症になるかもしれませんね。
「じゃあ"あいさつ"言ってくる」
「あなた! もう"あいさつ"は止めにするってこないだ約束したばっかりじゃないですか」
「黙れ!そんなこともう憶えとらん。ワシにはこれが日々の薬なんじゃ」
「そんなこと言うて、ただニートしてるだけじゃないですか!」
「(苦悶の表情)」
「でも隣のヨシキみたいに酒代を浪費するよりはマシやろ」
「あんさん、近所でどない噂されてるか知ったはりますのん? 【声かけ笑顔おじさん】ってあだ名されてるんですぇ? そこまでして"あいさつ"を欲してるんですか」
「せや、ワシには"あいさつ"が必要なんや "あいさつ"がないと、ワシはワシで居られんようになってしまう…ウゥ…」
なんてことがあるかもしれないですね

…………
私はこの話題を個別の記事にかけやって指摘する自分に「これを読んでくれた人にだけ言いたいんや」って言い返してるところです
そうなんです 流れがないと駄目なんです それまでカレーの隠し味のバランスを確認してた人が急に僕のノリに来てもらっても困るんです
アクのない文体で毎日たんたんと日々のことを書いてるようなnoterの人から急にこのエグミに触れたらやけどするんです。だから徐々に沼地に引きずり込んでるんです。そうじゃないと、そうじゃないと、わしはわしは…

あれ、創作のノリがノリ移ってますね。
今日はおかしいですね。前にこんな感じでメンヘラ的な人の書く記事に引きずり込まれたことを書いたやつをお蔵入りにしたんですが、懲りないですねぇ、性ですか。
ピーチクパーチクやってるぁ。
止めてくれ、だれかオレを……

文字を書くとは、己の内なる魔物をも召喚・憑依させてしまうことなのかもしれないし、その魔物が自分ではない別の何かだとも言えない…というほんとうと向き合うことなのかもしれない

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