そうか、自分からさよならを言わなくてよいのか

ここだけの話だが、本好きのパートナーがこの夏、インスタグラムに開設した読書アカウントには数字が入っている。「531」。私が告白した日。「本を読みたいけど、その気が起きないほど毎日疲れている。これが年末年始まで続く」的なことを昨日LINEで伝えられた。

この町にブックホテルなるものが出現した。私はパートナーに「時間あるときに二人で行けたらいいね」と言ったら、その二日後に一人で行ってやんの。それをインスタグラムのストーリーで知らされる私。頭を鈍器で殴られる感覚。あちらからすれば、「一人にさせてほしい、自由な時間は」と言ったところだろうけど、しばらく二人きりなんてない私にはなかなか耐え難い仕打ち(という単語を敢えて使わせていただく)、「ブックホテルに一人で行かれて激怒」事件で「今までありがとうございました。友達に戻りましょう」と伝えるとすれば、それは書店で出会った私たちらしいというか、なんというか。数日経った今は「衝動的に言わなくてよかった」と思っている。

なんて話を書店の常連勢にしたら、「あちらのことはそれほど詳しくないけど、(さよならを言うのは)もったいないですよ。早まらないでください」と言われた。珍しいご意見。この手の話は、「あなたの味方だよ」みたいな顔(disっているわけでは全くない)をして「もう次に行った方がいいよ」と言われることが多いので、「もったいない」という言葉は新鮮だった。私より一回り上世代は「次行きなよ」派が多い印象なので。

ときどき「なんだかんだあっても、あなたの存在がパートナーの心の支えやら癒しやらになっていると思うよ」的なことも言われる。うーん。わからない。これは本当にわからないんだ。

共催イベントの企画で実行委員間で交換日記をはじめて、自分のターンが回ってきたので、書き進めた。文字を書くのが好きな人、嫌いではない人、ノートに文字を書くことにフリーズする人がいる中、とりあえずバトンを受け取った私は一気に書き進めた。下書きに1時間半、清書に1時間をかけた。写経している感じというか、乱れている心を落ち着ける時間というか。友人たちが書く文章でちょっとだけ前が見えなくなるときもあって、でもそれはよい意味で心揺さぶられる感じ。

ふとスマホを見たら、だいぶ年下の友人からインスタグラムを通じてDMが届いていた。前回の投稿を読んだうえで、「話、いつでも聞きますよ」って。うーん。正直に言うが、まず私は「私は一回り年上なのに情けなさ過ぎて、ダサくて、本当に草」と思ったし、目の前の景色が霞むくらい(盛り塩くらい盛っている)、心にぐっと来るものがあって、嬉しかったな。

交換日記を書き終え、すっかり常連と化したカフェバーでカレーを食べながら、常連勢と雑談。「あなたは飄々としているように見えて、実は違うんよね」と言われながら、「私もやっぱり、わざわざあなたからさよならを言わなくてもよいと思う。今みたいな時期もあるってことで」と淡々と、やさしい言葉をかけてくれた。

私は、自分で言うのはだいぶアレだが、パートナーにやさしい言葉をたくさんかけてきたつもりだ。だからそれと比較し、物足りなさ、寂しさを抱いているのだろうと思う。だが、パートナーがこれまでにくれたやさしい言葉を忘れたり、聞き漏らしたり、気づかなかったりということも、きっとあるのだろうな。なれているか、なれていないかではなく、私はパートナーの心の支えになりたいよ。会えなくても、声を届けられなくても。

私は、私と会うことを優先順位の上にしていない、なんとまぁ多忙なパートナーのことが好きだけど、一途な自分のことも好きなのかもしれないと、帰り道にふと思った。ブラックストーンが売り切れている煙草の自販機を見ながら。『NANA』は今でも好きな漫画だ。

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