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#シロクマ文芸部『最後の日』

 最後の日、そうわかったのは病院からの電話だった。
「今日はいらっしゃいますか?」
看護師さんは落ち着いた声で言った。

 父が入院してから妹と一日交代で行っていたが、その日は妹の行く日だった。
「次男が熱を出したのでこれから病院なのですが、今日は妹が向かっていると思います」
私がそう言うと、一瞬間を置いて
「お姉さまも来ていただけないでしょうか」
看護師さんに焦った様子は見られなかったが、これは行かなくては…と思い、息子の病院の後駆けつけた。
妹と姪たちはすでに着いていた。

 長男はその日休日出勤だったが、病院は近いので帰りに寄ると言っていた。
 父は薬のせいで苦しがっていた痛みはないようで落ち着いているように見えたが、血圧はどんどん下がっているようだった。
もう話すこともできなかったし脈拍も遅くなりかなり危ない状態であることはわかった。
  
 後で聞いた話だが、病院ではそろそろ危ないとわかっても駆けつけるようにと焦らすような言い方はしないということだった。
よく考えたら病院から電話があった時点ですぐに察しなければならなかったのだ。

 長男が夕方5時過ぎに病室に着いた時、それを待っていたように父は深い呼吸を一回して逝った。
長男は、仕事がまだ終わっていなかったのにPCが突然動かなくなってしまって仕事にならないからやめて終わらせて来たと言っていた。

 長男が1歳半の時、母が亡くなってその後父がよく面倒を見てくれた。
次男が生まれた時も直後から母がしてくれるような面倒をずっと見てくれた。

 次男は父が亡くなった当日、急に熱を出して父の最期には立ち会えなかったのだが、一番可愛がっていた人にそんなことがあると聞いたことがある。
長男を間に合わせてくれたPCの故障も何か偶然ではない気がした。

 若い頃から体が弱く、戦争も訓練だけで終わってしまった父が、85歳まで病気がちながらも長生きできたことは幸せだったのかもしれない。
娘や孫達に見守られながら逝くことができた。
 誰にも見守られたくないと思う人は、1人の時に逝くと聞いたことがある。

 妹と私で一日交代で見ていても、もしかしたら2人ともいない時に亡くなるかもしれないけれどそうなっても後悔しないようにしようねと妹に言った時、「父は絶対みんなに見守られて逝くよ」
と言った妹の言う通りになった。

 窓の外に見えたその日の東京タワーはいつもより悲しい光を放っていた。
毎回楽しみに眺めていた東京タワーも、それからしばらくは見ることができなかった。

病室の窓越しに見るタワーの灯
点滅のひかり闇に消えゆく



小牧幸助さんの#シロクマ文芸部に参加させていただきます。



#シロクマ文芸部

#最後の日

#小牧幸助さん企画

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