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2022 ベトナム・タイの旅① ~成田から福岡~

変化する風景 ~2022年8月1日 成田から福岡~

   香椎線

 行きたい場所に行けないという状況。旅が好きな者はその状況に悶え続けてきた二年半だったに違いない。特に海外旅行に出かけることを楽しみとしてきた者にとって、外国に行けない日々は「想像のできなかった未来」であったことだろう。
 三年ほど前、私は東南アジアを舞台にした物語を書いてみた。それをきっかけとして東南アジアについて調べていくうちに、現地に行ってみたいという思いが強くなっていったのだ。
 東南アジアと言ってもいくつも国があり、その国々はそれぞれ違った個性を持ち、似ているようで違った歴史を歩んできている。行先が変われば旅での印象も大いに変わることだろう。私は東南アジアに行ったことがなかったので、いざ出かけるとなれば初訪問となる国の選択は大事だ。そこでつまづくと、その先に続いている筈だった道が閉ざされてしまいかねない。人間とは印象、特に良からぬ印象を深く刻んでしまう生き物である。
 私は以前からベトナムの歴史や文化に興味があって、ベトナムに関する本を何冊か読んでいた。初めての東南アジア訪問はベトナムにしよう。自然な流れだ。まずは興味のある国に足を運ぶ。だが、興味という検討段階に実行の気分が点火されると、興味の行方は更に広がっていった。
 ネット上を探っていると、海外一人旅におすすめの国としてタイを挙げる人が多いことに私は気づいた。タイは鉄道路線が多い。私の旅は鉄道に乗って町を歩くのが基本線だ。楽しくなりそうではないか。タイも行こう。そうやって興味が広がった結果、東南アジアを一周してみたいという思いが強まったのだが、私の思いに立ちはだかるかのように疫病の流行という壁が道の前を塞いでいった。それがこの二年半という年月である。

 2022年8月1日。月曜日である。月の初めであり、週の初めだ。きりのいい日が旅の初日となったのは航空便のスケジュール上の都合で、敢えてそうした訳ではない。それはともかく、私は三年間恋焦がれた東南アジアに向かうために成田空港にやってきた。
 成田空港は国際線の空港として知られるが、私がこれから搭乗するのは福岡行きの飛行機で、今夜は福岡に泊まる。最初の目的地はベトナムであり、首都のハノイだが、福岡からでも四時間半ほどの時間を要する。成田からだと更に一時間以上の所要時間が加算される。時間はあるが金はさしてない身分なのでベトナムまではLCC(格安航空会社)で向かう。普段の旅ではLCCに乗る機会は少なく、今回で三回目だ。座席空間の狭いLCCに長時間乗るのは未体験であったので、できるだけ飛行時間が短い路線にしたかった。それがこの変則日程の理由である。
 成田空港には三つの旅客ターミナルがある。その内、第三ターミナルは少しはずれた位置に立ち、そこから何社かのLCCが発着している。これから乗る福岡行きもそこから出発する。
 泊まりがある旅に出るのは一年四カ月ぶりだった。近畿地方の未訪の私鉄路線を巡り、帰りは四国の高松に出て、高松からLCCに乗った。飛行機に乗るのもその時以来であり、その時に乗ったのがジェットスターという会社だった。これから乗る福岡行きはジェットスターGK502便で、出発まではまだ少し時間がある。私は搭乗ゲートのベンチに座り、窓の向こうに見える銀色とオレンジの機体を懐かしげに見つめた。
 10時30分に成田を発った飛行機は定刻より15分早い12時30分に福岡空港に到着した。二年半前に私は台湾一周の旅をしていて、その時も福岡空港に向かい、飯塚という筑(ちく)豊(ほう)の町で一泊し、翌日に北九州空港から台湾に向かっていた。その時以来の福岡空港で、その時は着いてからうどんを食べた。福岡のうどんは観光客向けに語られることは少ないが私は大好きで、来福すると食する機会が多い。台湾旅の時に寄った店とは違うが、この日に立ち寄った店も以前入ったことのある店だった。
 さて、福岡である。外の空気を吸ってみようと展望デッキに上がり、自動ドアを抜けて外に出ると熱気が顔に伝わった。関東地方も連日猛暑だが、福岡も相当に暑い。暑いのだが、私は夜まで適度に時間を消費する必要がある。今夜宿泊するホテルは低料金設定な、いわば寝るだけのためのホテルで、早めにチェックインするような類いの宿ではない。日没くらいまで人混みを適度に避けながら時間を潰したかった。
 明日利用する国際線ターミナルの位置と、そこに向かうシャトルバスの乗り場を確認した私は、大したプランも持ち合わせていないまま地下鉄の乗り場に向かい、二駅先の博多(はかた)駅にやってきた。

 博多駅は平日の午後だというのに多くの人が構内を歩いている。夏休みだからだろうか、若い人の姿が多い。私は人混みから離れたかった。空港も駅も福岡は都会の空気が漂っている。ICカードに千円チャージして、博多14時51分の鹿児島本線上り電車に乗った。
 思案の先に候補地は二つに絞られていた。香椎(かしい)線の海の中道(うみのなかみち)駅か、香椎線の宇美(うみ)駅だ。香椎線は一度乗ったことがあるが、砂州を気動車がのんびりと走るローカル線で、都会のターミナル博多から一番近く鉄道旅の旅情が味わえそうな場所でもあった。
 15時06分に香椎に着いた。香椎線に乗り換えるために跨線橋を渡ると、西戸崎(さいとざき)行きと宇美行きがどちらも停車している。香椎線はこの香椎駅を挟んで二つの方向に線路が延びていて、香椎~西戸崎は海の中道という観光地を抱えているのに対して、香椎~宇美は都市郊外の住宅地を走る路線であり、筑豊の山々に近づいていく区間でもある。
 一度しか乗っていない香椎線だが、記憶に鮮明なのは砂州の上を走る印象が強い西戸崎方面で、記憶の中の宇美方面の景色はぼんやりとしたものであるから、私は宇美行きに乗る気持ちを強めてホームに下りた。だが、思いのほか宇美行きが混んでいたため、反射的に西戸崎行きの車両に乗り移ってしまった。車両はどちらの方面も白を基調とした外装に、通勤型ロングシートであるものの一人ずつ独立した座席を持つきれいな車両だ。この車両は記憶の中にはない。最近登場したものだ。なぜ言い切れるのかというと、車体に蓄電池車両であることを示す文字が入っているからである。最新技術で走る列車という訳だ。
 調べてみると、この車両はJR九州BEC819系という蓄電池車両で、簡単に言えば、パンタグラフや回生ブレーキから電力を蓄えて、その電力を使って非電化区間、つまり架線が張られていない区間でも走行可能な電車、ということらしい。鉄道工学には疎いので、原理も分類もうまく説明できないが、一応電車ではないようだ。だからといって気動車と言い切れる存在でもない。ちなみに、香椎線は非電化路線なので通常形式の電車は走行できない。
 白い車体に「DENCHA」という愛称を掲げた二両編成の西戸崎行きの列車は、15時10分に香椎を発車した。車内は空いている。ドアとドアの間に一枚ものの窓を嵌め込んだDENCHAの大きな窓の向こうに、どこにでもあるような都市近郊の風景が映し出され、そのよくある風景は、やがて記憶の中にあったとおりに砂州へと変わっていった。
 単線の線路の周囲から建物が少なくなり、砂地の中に線路が延びていく眺めとなった。線路の脇には低い土塁のような盛り上がりが続き、車体の下から砂が走行風に乗って舞い上がる。それは以前に乗った時に見た風景と同じであり、その時に感じた非日常な景観が確かにそこに存在し続けていた。車両こそ国鉄時代から使用し続けていた古い気動車から新しいものに更新されたが、沿線の自然というものは容易に更新できるものではない。
 香椎から10キロほど、所要15分で海の中道駅に到着した。海の中道とは九州本土と志賀島を結ぶ全長8キロの陸繋砂洲に付けられた地名で、奈良時代の文献にも登場するほど歴史のある場所である。陸繋砂洲とは海岸から砂が堆積されて海上の島と繋がった砂州のことをいう。砂州は最大幅が2・5キロで、最少が500メートルほどで、地図で見ると細い岬が海に向かって鍵状に突き出したような形になっている。
 そんな海の中道にある海の中道駅は片面一線のホームを持つ簡素な無人駅だった。降りるのは初めてであるが、木に囲まれている風景には少しだけ懐かしさがある。窓の外に見た風景なのだろう。だが、駅舎はおそらく新しいものであるようだった。鉄筋の小さな造りで黒い外壁は隣接する観光案内所のようなスペースと統一されて、小さくまとまった駅となっていた。広くはないが整った駅前の雰囲気は観光地の玄関らしく動線も整備されている。歩道を辿っていくと海浜公園のゲートが立っていた。
 コンビニでビールでも買って海を眺めるつもりでやってきた私は、家族連れやカップルばかりが歩く駅の前から離れ、香椎線と並行している道路を渡り、海岸に向かった。しかし、そこもきれいに整備された公園で、コンビニなどはなく、広大な駐車場と、その先に見える近代的な観光施設の建物が存在感を主張している場所だった。海岸でビールなどしている人は居そうもないし、ビールを購入するのさえ難しそうだった。
 日差しの強さばかりを実感しながら、大した収穫もなく駅に帰ってきた私が見た駅の光景は、先ほどよりも増えた観光客の姿だった。このまま宇美方面を目指そうかと思い直していたのだが、とても座れそうにない。無理に座るほどの距離でもないが、暑さで行動力が減退しているのだ。
 時刻表を確認すると香椎行きより先に西戸崎行きが到着するようなので、私はそちらに乗ることにした。西戸崎は岬のような細い砂州の先端近くに立つこじんまりとした終着駅。そんな記憶がある。旅の気分が盛り上がるかもしれない。
 16時01分にやってきた列車は海の中道でそれなりに乗客を降ろすと、木に囲まれた線路をゆっくりと走っていき、4分で終点の西戸崎に着いた。
 記憶の中にある西戸崎駅は駅前がひっそりとしていて、わずかながらの商店と細い道が横切るだけの風景だった。久しぶりに訪れた西戸崎駅前は少し様相が違っていて、きれいなマンションがいくつか立っている。マンションを背にして駅の方を見やれば、小さなホームの奥に空き地が広がり、その先に博多湾の青い海面が見える。駅の横が広大な空き地というのはどこか殺風景であるし、何か寂しくなる眺めでもある。なぜ駅横にこのような空き地があるのかは不明だが、次に訪れた時はここにマンションが立っているのかもしれない。
 いたたまれない気持ちになりながら、わずかながらの旅情を求めて、私は駅前を横切っている細い道を歩き始めた。マンションが遠ざかった頃、左手に船着き場が現れた。建物は小さいが待合室に入ってみれば冷房も効いて快適だ。壁に貼り出されている時刻表を眺めると、博多港方面と志賀島方面に向かう船の乗り場のようだ。次の船までは少し間があり、これから船で志賀島に向かうには遅い時間帯だったので船に乗るのは諦めたが、小さな停泊場と、そこに広がる博多湾の大きく青い眺めは風情と爽快感があり、私は嬉しくなってスマートフォンで写真を撮り始めた。
 青々とした海に向かって写真を撮り続けている私のそばに、いつの間にか東アジア系の学生風の男性が近づいてきた。写真を撮ってほしいと彼はゼスチャーで示し、カメラアプリを立ち上げたままのスマホを私に手渡した。彼は海を背景にポーズをいくつも作りながら、もう一枚、あと一枚と要求してくる。その表情は楽しげで悪い気はしない。
 20分ほど西戸崎に滞在した私は香椎に戻ってきた。勿論、海の中道からは大勢の観光客が乗り込んできたし、真新しい車両の車内には旅情も乏しかったが、西戸崎で少しだけ旅の気分が盛り上がっていた私は香椎駅で降りて、どこかでビールを飲んで夕方の空を眺めたくなっていた。
 香椎は福岡市への通勤圏として発展しているのだろう。駅前も町も人や車の往来が多く、とてものんびりできそうな風景ではなかった。それでもどこかでのんびりしようと、駅の売店でビールを買って、海のある方向に向かって歩き始めた。
 駅前で世界平和か何かを願うパンフレットを渡されそうになったりしながら、駅から離れること10分で町中を流れる小さな川を見つけた。川のそばに小さな公園もある。私は安堵しながらベンチに腰掛け、誰も居ない公園で、集合住宅を眺めながら黄昏の一杯を楽しんだ。開放感を味わうための一杯だったのかもしれない。

   博多

 今夜の宿は博多駅前である。いくつもの路線が集まり、普通、快速、特急が頻繁に発着する博多駅の構内は大勢の人が行き交い、広い通路は都会の喧騒に包まれていた。何度も乗り降りした慣れ親しんだ駅であるので深く下調べをせず、自分の宿がどちらの出口にあるかを把握していないまま外に出てみる。バスターミナルがある側が今夜の宿のある方向だが、私は逆に出ていた。
 空はすっかり紺色になっているが湿気と人の熱気で蒸すような暑さだ。汗を拭いながら反対側の出口に向かう。
 九州はバス王国である。高速道路が発達しているので都市間輸送の主役は鉄道よりも高速バスであり、それに対抗するためにJR九州も個性的な特急車両をいくつも開発してきた。そして、特急車両の更新が一段落してきた今、香椎線のような在来線も新型車両が導入され始めている。
 宿に向かう道の手前に巨大なバスターミナルが立っていた。市内線、郊外線、高速線、様々な路線のバスが発着していくその建物も周囲に負けない存在感を放っている。そのバスターミナルの脇を過ぎ、ビルとビルの間に目指す宿はあった。
 博多駅から徒歩で10分とかからない立地の良さでありながら、宿泊料金は四千円という宿だった。安さの理由はドアを開ければすぐ理解できる。おそろしく狭いのだ。ベッドが置かれ、その脇にトイレに通じる狭いスペースがあるだけだ。机や椅子はない。洗面所を挟んだトイレとシャワールームの空間が部屋の右奥にある。要するに寝るだけの部屋という割り切った構造の宿だった。
 実際、これで良かった。私は明日搭乗する飛行機のために博多駅に近い宿を求めたのであり、それ以上のサービスは必要ではなかった。私はとりあえず夕食を食べるために外に出た。行先も決めてある。
 先ほど横を通ったバスターミナルにやってきた。ここはバスに乗るだけの施設ではなく、商店も中に入っている。鉄道でいうところの駅ビルのようなものだ。しかし、中に入ってみると所々シャッターが下りている区画がある。長く続く感染症騒動で撤退を余儀なくされた商店の跡だろうか。こういう光景を見る度に胸が苦しくなる。
 目当ての店は営業していた。周囲の人通りはやや寂しいものであったのに、店内は随分と賑わっていて活気のある店だった。私は嬉しくなって野菜かき揚げうどんを注文して美味しくいただき、宿までの帰りにコンビニでビールとお茶を買って狭い部屋に帰った。
 明日は五時半起きだ。今日は早く寝よう。寝るだけの部屋で、シャワー後のビールを飲んだあと私は早々と就寝したのだった。今日も今日で朝は五時半起きだった。あっという間に眠りに就けた筈だったが、ほどなくして目が覚めた。寒いのである。狭い部屋ゆえに、エアコンの設置スペースが限られている。それはベッドのヘッドスペースの上にあった。小さな窓の脇である。
 寝る前、私はエアコンの下で壁によりかかり、窓の向こうに見える列車の姿などを眺めながら、明日の行程の確認などをしていた。だが、いざ横になると角度的な問題なのか、頭に風が当たるのだ。温度設定を変えたりしつつも何度目かに起きた時、私は寝る向きを変えてエアコンの風が足元に来るような位置に寝直したのだが、次第に頭痛がしてきた。
 今回の旅は海外が行先ということで、いくつかの薬を用意してきたが頭痛薬は所持していなかった。我慢して寝てしまおう。そう決めても痛みは治まる筈もなく、薬を買うことにした。時計は既に翌日になっていた。
 スマートフォンは便利な機械である。私は深夜でも営業している店を検索できた。だが、残念ながら宿の近くではない。しかし、この痛みに耐えていても寝不足になるだけであるし、明日は外国に足を踏み入れるのだ。買うなら今しかなかった。
 宿は地下鉄の駅でいうと博多と祇園の間あたりに位置し、店は中洲川端の近くだった。徒歩二十分から三十分といった距離だ。外の大通りに出てみれば、福岡市はさすが都会である。こんな深夜でも車が次々と走り去り、まばらながらも歩行者もいる。女性が一人で歩いていたりもする。日本は治安がいい国だと改めて思いながら、目指す店に辿り着き、無事に家にあるものと同じ頭痛薬を入手できた。そこはコンビニに薬局が併設されている店でイートインコーナーがあるので、薬と一緒に買った水で頭痛薬を飲んだ。
 さて、帰りはどうするべきか。冷房の影響で寒気を感じていた身体は歩いているうちにかなり暑さを感じ始め、なんとなく頭痛も和らいではいたが、無理は禁物である。交差点で停まっていたタクシーに声を掛け、近距離であることを告げて乗車した。若い運転手は私が告げた宿を存知なかったが、それほどに穴場的な安宿ということなのだろう。
 無事に部屋に帰ってきた頃には時刻は午前二時を過ぎていた。健康状態が悪くならないよう天に祈りながら、私はエアコンに足を向けて横になった。

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