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悔恨と帯状疱疹

八丈島をふらりと訪れたのはいつだっただろうか。

仕事が忙しいことに加え、人との関係性が上手くいかずに、薄氷のようにいつ破れてもおかしくない緊張が続いていた。結果として私は自ら土俵から下りた。ただ、他人を見限ることは身を切ることでもある。相手に与えた傷と同じか、それ以上に深い傷で。

疲れ果てた私は、エアポケットのようにぽっかりと空いた業務の合間に、急に思い立ち八丈島へのチケットと宿とレンタカーを手配した。1週間後にはたった20分の空を飛び、八丈島へと降り立った。2度目の訪問だった。

なぜ海外や、例えば沖縄などの「旅感」のあるところに行かなかったのか。旅行好きを自負しているが、その時の自分は長距離の移動に耐えられる気がしなかったのだ。それでも、今私がここにいる
その場所から切り離されたところに行きたかった。そして、音と色彩の暴力に飲み込まれたくもなかった。そうして思いついたのが、空と海と山が青と緑で描かれる八丈島だった。

車があれば1日で何周もできる小さな島。ここに癒されに来たはずだった。しかし、もしかしたら自分を責めて反省するために来たのかもしれなかった。おいしい土地の海鮮を食べても、強い焼酎を勧められても、温泉に入っても、一面に広がる海の八丈ブルーを目の当たりにしても、それを楽しむことすらその時の自分に不相応のようだった。

八丈島滞在の初期に、ふと顔に違和感を覚えた。最初は感染予防のマスクによる肌荒れだと気にも留めていなかったが、少し経つと蕁麻疹のような発疹を認めた。次第に発疹は広がり、ピリピリしだして、これはヘルペスか帯状疱疹ではないかと思ったが、そう思った時には私の滞在はあと3日ほど残っていた。八丈島の医者の当てもなかった。意地でも全行程を終えた頃には、顔中がボコボコに腫れていた。

内地に戻ると、帯状疱疹ではなくヘルペスの一種だと診断された。発症から5、6日経過していたため、医者にこっ酷く叱られた。帯状疱疹だった場合、治療が遅れると顔面麻痺や失明に繋がるらしい。そこからの治療に時間を要することにもなった。大事に至ることはなかったので、反省はしても後悔をしたかというとそうでもなかったが、「ああ、自分の中に潜んでいた悲しみや失望や怒りや自責や、そんなものが、旅先で気を緩めた瞬間に全て出てきたのだな」と思った。不思議なことに、それはほんの少しだけ自分を愛おしく思える気持ちでもあった。

イタリアの小説家、アントニオ・タブッキの小説「レクイエム」の中に、「悔恨とは帯状疱疹に似ている」とあった。一度感染すると、調子の良い時には身を潜めていても、自分が弱りきった時に開花するように発症するのだと。久しぶりに手に取って再読したら、八丈島のあの時の記憶が甦ってきた。甦えらなくてもよい記憶と共に。

人間は生きていく過程でいろいろなものを体の中に蓄積する。食べてきたもので体が作られ、環境や体験で性格が作られ、喜怒哀楽もこの体の中に年輪のように刻まれているのだろう。 バウムクーヘンのような綺麗な年輪を描き、天に向かってまっすぐ伸びる木のような人間にはなれそうもないが、古く捻じ曲がった木にはそれぞれ独特の美しさがあることを知っている。この先もそんな感じで生きていくことになるのだと思うし、それも悪くはないと今は思っている。

「帯状疱疹というのは、どこか悔恨の気持ちに似ている、わたしたちのなかで眠っていたものがある日にわかに目を覚まし、わたしたちを責めさいなむ、わたしたちがそれを手なずけるすべを身につけることで再び眠りにつくが、けっしてわたしたちのなかから去ることはない、悔恨に対してわたしたちは無力なのです」

アントニオ・タブッキ「レクイエム」

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