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描かないことには始まらない 〜「ロートレック展 時をつかむ線」

SOMPO美術館で開催中のロートレック展に足を向けた。ここのところ近代の美術を観ることが多い。そして最近フランスに縁がある(言葉は全くわからないが…)。お盆前ということで美術館は空いていて快適にまわることができた。

ロートレックの絵はこれまでもいろいろなところで目にしたことがあるが、こうしたまとまった展示は初めてで、その人物像もあまり知らなかった。リトグラフやドライポイントの作品が多く、展示の副題にもあるように線による表現・技法を多く用いた人だったようだ。

展示の最後の方で全身の写真を見て初めて知ったが、病弱なロートレックは少年時代に両脚を骨折し、そこから脚の発育が止まるという後天的な障がいを持っていた。親族の近親婚による骨粗鬆症だったらしい。身体的特徴から差別を受け、アルコール依存となり、40歳になる前に他界した。そのような生涯を知って絵を改めて見ると、憧れや劣等感、複雑な感情が混在しているように思えて親近感のようなものを覚えた。ムーラン・ルージュやフォーリー・ベルジェール、フランスの大衆娯楽、歓楽の世界に身を置いたそうだ。私とは全く異なる時代や境遇ではあるが、どうやら友人には恵まれたらしいことに、なぜか自分ごとのように胸を撫で下ろす。誰にでも救いや光のようなものがあってほしい。

展示は、有名な作品よりも素描や修作が多かった。きっと本人すら、こうして後世に公開されるとは思っていなかっただろう落書きのようなものも含まれていた。「私でも描けるのでは…」とけしからぬことを思いもしたが、ロートレックもゴッホもシャガールも、とにかく描かねばどこにも辿り着かなかったはずで、その最初の一筆ができることとできないことでは雲泥の差がある。昨日観たラヴェルのボレロのように、とにかく内から外に出さないことには何も始まらない。この小さな巨人に、こちら側で口を開けて与えられるがままにしている場合じゃないぞ、現実逃避もほどほどに、と言われたような気がした。あーでも自分の中にこれ以上潜っていくの怖いなー。戻ってこられるのかな。

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