ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(31)
パート2:エアウェヴス・ドリーム
Part2:Airwaves Dream
シングル発売のみ
「アー・エヴリシング」と両A面(訳注:正しくは「ストレンジ・シング」)
ソングライター:スティーヴ・ディグル
プロデューサー:マーティン・ハネット
レコード内溝のメッセージ:「ドリスへ。ポストの中に伝言あり」
では、この曲については?
前の年にアメリカ・ツアーをしてるときに市民ラジオCB radioに夢中になったんだ。「10-4、Big Buddy」とかいう類いの番組さ。ジョンとスティーヴはそれぞれ市民ラジオ用の機材を持ってたね。曲中「チャンネル14は除く」とあるのは、あれは緊急事態用のチャンネルだったからさ。市民ラジオは津々浦々に浸透していたね。今のネットに匹敵するものがあると言っていい。当時は誰もが市民ラジオを持ってたよ。皆、風呂の中で聞いてた位なんだから。市民ラジオを通じて結婚に到った人だっていたんだからね。今は完全に廃れてしまっているようだけど。
学校にいた時分、僕には何人かアマチュア無線を持ってる友人がいた。トニー・ハンコックの寸劇で「アマチュア無線?The Radio Ham?」というのがあるのは知ってるかい?あんな感じさ。信号を使って・・そうモールス信号だね、その信号を使って遠くの人たちとやりとりをするんだ。鉄道マニアと同じようなものだよ。どれだけ多くの人と、どれだけ離れた所から信号音でやりとりしうるか。短波受信だった。ちゃんと言葉は交わせたわけだけど、無線を使うには国の許可が必要だった。電波放送は個人では認められなかったんだ。マニアの趣味だったわけだね。夕暮れ時の学校の運動場では、モールス信号を使っておしゃべりし合ってた。そんなにたくさんの使い道はなかったね。いってみれば機械に親しむためのイロハ、機械入門といったところだったんだろう。ほんの数年でこの子達は初期のコンピュータ・プログラムに入れ込むことになるんだよ。スティーヴ・ジョブズも短波ラジオからその道に入ったんだろう!
この時期には新たな試みがされましたね。ブラスの導入とか。
そうだね。スティーヴがジャズ・トランぺッターのヘンリー・ロウザーを連れてきて吹いてもらった。ロウザーは最近TⅤで観たよ。ブライアン・フェリーやヴァン・モリスンなんかとも共演してるね。
『パート1-3』のプロモートのため、「分割払いによるツアーTour by Instalments」を行ないましたが。
あれがバンド崩壊のきっかけだった。いくつかのショウは大成功だったけど、スティーヴが、もうこのままだとツアーは失敗するから止めようと言ったんだ。僕はもっと(・・・)やるべきだったと思っているよ!メンバー間で意見の隔たりが生まれていたんだ。結局、『パート3』のツアーは全くやらず、そのまま中止になった。他のメンバーが僕抜きでツアー中止の決定を下したのさ。それでさらに僕は落ち込み、やる気をなくした。ツアーのプロモーターだったアラン・ワイズとの関係もギクシャクしたものになってしまった。損失を被らせることになったんだからね。