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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(36・終)

訳者後記

 本書はPete Shelley with Louie Shelley『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』 first published in great Britain in 2021 by Cassell ,an imprint of Octopus Publishing Group Ltd.の全訳である。本文中に示される楽曲・作品名に関して、バズコックスのもののみ差別化を図る意味でカタカナ表記とし、他のアーティストのものは、基本的には原語表記とした。但し、繙読の際それが困難と訳者が判断した場合に限って邦題を付した。また、地名・人名はできるだけ原語に近いものとするよう心掛けたため、現在流通している表記とは異なっているものもある。これも例外はあり、例えばカート・コバーンは、メディアによってはコバーンであったり、コベインであったりといくつかバリエーションがあるが、これについては厳密な表記は取らないままにした。
 2023年現在もなお、精力的に活動を続け、昨年2022年には新作『ソニックス・イン・ザ・ソウル』を発表したバズコックス。その物語には決してピリオドが打たれたわけではないことを、『ソニックス・イン・ザ・ソウル』はまざまざと証明してみせた力作となった。しかし、多くのロック・ファン、パンク・ファンにとっては、少なくともこの日本ではバズコックスはもはや「死んだ犬」の扱いとされている向きがある。それはピート・シェリーが最早いないから、という理由からである。「まだバズコックスやってんの?」そんなことを言う人もいる。ある意味仕方のないところではある。70年代のイギリス・パンク勢の中でひときわ異彩を放った楽曲とビジュアルで、しかも(本国では際立ってではないにせよ)商業的にも成功を収めたバズコックスはピート・シェリーが率いていたのであり、彼の創り出した楽曲・貢献度の比重が余りにも高いバンドであったから、2018年12月の死去後、バズコックスの存在意義はもうないと、ほぼ誰もが思った。
 しかし現実には、バズコックスはしぶとく生き残った。そして新作も発表した。残されたメンバー、特にバンド最初の結成以来常に傍らにいたスティーヴ・ディグルにあっては労苦と骨折りに満ちていたに相違ない。それでも彼は、バズコックスは、続けることを選んだ。そして活動を続けている。これは素直に感動に値するというべきであろう。同時に、現在のバズコックスの活動の土台にはやはりピート・シェリー時代の業績・遺産があったればこそ、ということをも、あらためて思い知らされる。現行のバズコックスのライヴでは必ずピート時代の「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」などのクラシックスが、スティーヴ・ディグルのヴォーカルによって演奏されることがその何よりの証左である。そして、バズコックスにあって何故ピートの楽曲がそれほどの意味を持つのか、結成以後、一度解散をしているとはいえ、何故40数年にわたって活動をしてきたのか、それを知るためにも今だからこそ、ピート・シェリーのバズコックス時代の軌跡が検証されるべき時なのである。本書『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』はその検証をするためのまことに好適な、真の第一次資料というべき本なのである。
 今、第一次資料という言葉を訳者は使ったが、決して偽りではない。著者の一人としてピートの名が刻まれているように、本書の大半を占めているのはピート自身の言葉なのである。ルイ・シェリーとの対話という形でここに起こされたピートの発言が、本書の中核をなしている。ピートは本書で自らの生い立ち、音楽との出会いやパンクの勃興、バズコックス結成や創作活動を、時にユーモアと辛らつな皮肉を込めながら、誠実に語っている。その語り口は常に奥ゆかしく、品格がある。加えてイギリスの社会・芸術・思想・歴史に関する知識も豊富であり、会話の端々にその教養が滲み出る。世間一般に流布されているパンクのイメージとの余りのギャップに、読者は驚かれるかもしれない。だがその豊かな教養が、決して付け焼刃のものではなく自らの実生活に深く根差したものであること、ピート~バズコックスの創作の、太く豊かなバックボーンを形成しているのだということを、読者は読み進めるうちに納得するであろう。加えてマンチェスターという「辺境」の地が、いかに差別的扱いを受けていたか、そのマンチェスターが今や文化・芸術の一大発信地としての確たる地位を築きあげ活性化した事実を見、行政・経済の一極集中の問題にさらされている日本~東京に照らすとき、われわれ日本人にとっても深く思いを致すところがあるのではなかろうか。
 バズコックスは確かにパンク・バンドではあったけれども、決して紋切り型のパンクではなく、奥行きの深い音楽性~思想をその初期から備えていたことが、各楽曲~アルバムの制作秘話を語るピートの言葉が生き生きと伝えてくれる。例えば「オーガズム・アディクト」の歌詞におけるウィリアム・バロウズからの示唆。「プロミセス」のネタはエーリッヒ・フロムの著書からだという発言。おそらく日本の読者にとって初めて知る話しが満載であろう。これ以上本書からの引用は興ざめとなるからやめるが、70年代バズコックスの音楽がいかに滋味豊なものであるかを、見事に当事者自らが解き明かしてくれるのである。
 本書をさらに価値あるものにしているのが、序章と終章で記されたルイ・シェリーによるイギリス社会経済史の概説であり、バズコックスの音楽構造分析論である。これらの論考から、バズコックス~イギリス・パンクが、決して過去からの断絶にベースを置いた存在ではなく、イギリスの歴史に深く根差したものであること、バズコックスの音楽が様々な音楽的ルーツが幾重にも織り合わさっていることを、ルイ・シェリーは論証している。本書を読まれんとする読者は、この序章と終章にもじっくり向き合うことで、バズコックス~イギリス・パンクをさらに立体的・重層的に理解することが出来よう。
 
 さて、本書の(もう一人の)著者、ルイ・シェリーだが、訳者が彼女について知るところは本書での記述と、本書に付された以下の著者紹介の短文がすべてである。
 
「ルイ・シェリーLouie Shelley(ピート・シェリーとの縁戚関係はなし) ジャーナリスト。ピートとは親交があり、彼の故郷レーにてその業績を顕彰するピート・シェリーメモリアル財団設立の発起人の一人」
 
 他に、訳者が唯一知ることのできる情報として、おそらく彼女の生まれた年は1967年か68年であろう。彼女がポップ・ミュージックを熱心に聴いていたのは「まえがき」にも記されているように、パンク~ニュー・ウェーヴの波が沈静化した後の80年代末、マンチェスターを中心としたレイヴ・シーンを牽引していた音楽である。つまり、70年代パンクや80年代初頭のハードコアからはちょっと距離を置いていた人であり、換言すれば、パンクの動きをある程度冷静に、冷めた視点で見ることができた人、といいうるであろう。著者その人はバズコックスの熱狂的ファンと自認しているが、やはりジャーナリストという職業柄もあってバズコックスやパンク・ムーヴメントを相対的に観察する視点に長けている。それでいて、ピートに個の人間として信をもって接し、ピートから信頼を得る、という絶妙なポジションを彼女は獲得していた。本書は著すべき人によって著されたとみてよいであろう。
 
 ただし、問題がないわけではない。まずは再結成後のバズコックスへの視点が極めて弱いことである。これはピートの急逝ゆえに仕方ないところであろう。再結成後のバズコックスの活動・作品を検証することは70年代バズコックスの業績をさらに強調するうえでも必要と先にも訳者は述べたが、ピート亡きあと、本書のような濃密な研究が出てくることは難しいであろう。それだけにピートの不在が悔やまれる。
 次に、バズコックス当事者の中でもピートと共に重要であるスティーヴ・ディグルとハワード・デヴォートに直接の取材がなされていないことである。この二人が本書執筆に全く関わっていないのは痛い。バズコックス結成~最初の解散の、最も深奥にいた二人の発言なり意見が全く本書に反映されていないことで、どうしても最後まである種の風通しの悪さ、視野狭窄を生んでしまっている。何故二人の存在が蚊帳の外に置かれることになったのか、訳者には判らない。ルイ・シェリーと二人の間に何らかの深刻な対立があったのであろうか。
 
 上記の問題を抱えているとはいえ、本書はバズコックス~ピート・シェリーのみならず、パンク、ロック史に興味を持つ人に取り極めて有益な本であることは間違いない。一人でも多くの人が本書の魅力を知っていただきたく思う。
 
 訳者の個人的なことについて、数語を費やさせていただきたい。
 ここではK氏としておくが、本書の存在を訳者に知らしめてくださったのは、このK氏であった。知り合いになったばかりの頃、こんな本がある、輪読会でもやろうと紹介されたのが本書だったのである。noteというツールを教えてくださったのも、このK氏であった。そのうちに氏が健康を損ねて輪読会の話が自然消滅し、諸々意見の対立もあって関係が途絶えてしまった。このまま挨拶もないままではいけない、それでは氏が読書の煩を少しでも除くためにも本書を日本語に置き換え、noteに公示しておけばK氏が体調の良いとき覗いていただければ詫びを入れるせめてもの代わりになるのではないか。本訳文をnoteに公示しようとした第一の目的はそこにあった。大雑把な訳業は終えていたが、人さまに読むに値する水準にはとても達しておらず、訳文に推敲を重ね、繙読の助けになるよう訳者独自の脚注も加えるつもりであった。ところが今度は訳者の健康状態が思わしくなくなり、加えて家庭の上でも様ざまなことが降りかかり、猶予がなくなってしまった。そのため、極めて蕪雑な訳文であり、中途半端な脚注のままではあるが、今回公示することにした。氏がこの訳文に目を通されるかどうかはわからない。もしお読みいただいた時、「酷い訳文だ。間違いもいっぱいある」とあきれるであろう。しかしそれがきっかけになり、「自分が訳をし直す」と奮起されて健康回復につながれば、訳者としては仕合せである。あらためて、K氏の健康回復を祈りつつ、この筆をおきたいと思う。

2023年1月21日 記