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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(29)

パート1:ホワイ・シーズ・ア・ガール・フロム・ザ・チェーンストア

Part 1:Why She’s a Girl from the Chainstore

 

「アー・エヴリシング」と両A面

ソングライター:スティーヴ・ディグル

プロデューサー:マーティン・ハネット

 

『パート1-3』にはA面、B面の区別がありませんね。

 

当時はスティーヴと僕とで曲を書いていたから、A面B面とうたう代わりに片面ずつ、それぞれの曲を割りふることにした。各面を表示するためにシンボルを使おうと思った。読心術で使うPsi(訳注:超能力者)カードみたいなものだね。隔離された部屋に被験者が座って、カードを一枚選び、そこに書いてある事を伝えようっていうヤツさ。Psiカードには五種類のカードしかなかった。僕らには六曲あるわけで、六つ目のシンボルが必要になった。それで考えた。ラベルにPとかQとかRとかSとか、レコード会社に頼んで印刷させる、それらはA面B面同じ価値を持つことにすればいい。というわけでシンボルの案はボツになったのさ。

 

そのシンボルはどんなものだったんですか?

 

ああ、それ憶えてないんだよなあ。三角形だったかな?

 

宣伝用ヴィデオはどこで収録したんですか?

 

リチャード・ブーンが懇意にしていたマンチェスターの音楽関係者の中に、ヴィデオ制作に通じている人間がいたんだ。ヴィデオって当時最先端のツールだったよね。「ホワイ・シーズ・ア・ガール・フロム・ザ・チェーンストア」のヴィデオ制作にあたって、スタッフはフロア中にロープを張り巡らせた。リンダーが「チェーンストアで働く娘」を演じ、スティーヴが拡声器でわめき散らした。撮影場所はルイスLewis’s[1]というデパートだった。バンドは中国製品売り場の周りをぶらついた。店の営業中のことで、許可は取っていたよ。店側は何が行なわれていたのか判ってなかったろうけどさ!ド素人の道楽でやったことだからTⅤ放映は無理だと言われたんだけど、何か組合(店のじゃなくて、撮影スタッフの方)の圧力で放映されることになったらしいんだ。僕の両親が「あの娘は両親二人を愛してる、二人とも娘の誕生日を忘れなんかしない」ってくだりを観ていて、僕の姪が若き日のリンダーのモノマネをしていた。確かにプロフェッショナルなつくりではなかった。プロモ・ヴィデオの草創期だったからね。でも良い作品だったよ。

 

『パート1-3』の宣伝を、レコード会社がろくにしなかったのは本当ですか?

 

アンドリュー・ラウダ―がUAを去った後、後釜にティム・チャクスフィールドが就いた。当時のティムはA&R部門でも権威を持っていて、僕らの意向をよく汲んでくれて、会社の中でそれを具現化しようとしてくれた。その彼が辞めて、全てがおかしくなった。僕らを擁護する者が誰もいなくなったんだ。

 UAの業務を引き継いだ男との会合で、「パート1-3」のデモを聴かせたら、奴は「売れないね」と言いやがった。僕の恐れていた最後通牒だったよ!前にも言ったように、レコード会社の目的はレコードを売り、それをチャートに乗せることであって、そのレコードの価値なんて奴等には全く無意味なんだよ。決裂の時だった。ヴァージンとの出版契約上の問題があったから、僕らはアルバム四枚分の制作をした内容の契約金を要求した。『シングルズ・ゴーイング・ステディ』も一枚のアルバムだとみなしていたからね。でも会社側は認めなかった。契約金が支払われることはなかった。

 

歌詞に出てくる「バーンスタインの障壁」[2]って何ですか?

 

ああー、それはスティーヴに聞かないとわからないねえ!何だろうかね・・・・。

 

ライヴで演るのは楽しいですか?いつも楽しそうですけど。

 

「チェーンストア」はスティーヴの最高傑作の一つだね。いつだって楽しいよ。僕はメチャクチャ高いキーでバッキング・ヴォーカルを取ってるけど、これはかなりの挑戦だよ。



[1] ルイス 北部最大のデパート・チェーン。1856年リバプールで創業。マンチェスター店の開業は1915年。ネオ・ゴシック風の大建築は展覧会場も兼ねた、本格的なダンスホールの機能を備えたものであった。店は1996年、IRAの爆撃で閉店となったが建物は現存している。

[2] 社会学者バージル・バーンスタインBasil Bernsteinは六十年代から七十年代にかけて最も活発な言論活動を展開した。とりわけ使用される言語による階級差別の発生に関する研究で知られる。彼の説によると、労働者階級の児童は中産階級の児童と比べて数学や算数ではさしたる差はみられないが、語学では後れをとる、学校生活において顕在化するこの「障壁」とは日常生活に残る方言を持つ人々が抱える問題の一つにすぎない、という。