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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(32)

パート3:ランニング・フリー
Part3:Running Free
 
「ホワット・ドゥ・ユー・ノウ?」と両A面
ソングライター:スティーヴ・ディグル
プロデューサー:マーティン・ラシェント
 
(訳注:以下の記述から徴して、本節は次節「ホワット・ドゥ・ユー・ノウ?」と入れ換える方が自然だと思われる)
 
この曲も、レコーディングはマーティン・ハネット、プロデュースはマーティン・ラシェントでした。
 
「ホワット・ドゥ・ユー・ノウ?」もそうだった。マーティン・ハネット所有のテープをマーティン・ラシェントが手に入れて、完成にこぎつけた。厳密に言うならレコーディングはマーティン・ハネットによって行なわれ、ミックスはマーティン・ラシェントによって行なわれた、ということだね。
 
「働くなんて、もう十分さ」というくだりがありますが、バンド結成前はどうやって収入を得ていたんですか?
 
カレッジを出てからイギリス石炭庁の電算課でコンピュータ管理の仕事に就いたんだ。職場はレーのロウトンにあったアンダートン・ハウスAnderton House(訳注:イギリスにあるロッジのブランド)で、住んでたとこの近くだった(八十年代にはあそこの施設は殆んど閉鎖された。もう僕のいた職場も残ってないよ)。そこにあったのはまるで『サンダーバードThunderbird』(訳注:アメリカの人気テレビ・ドラマ・シリーズ)に出てくるんじゃないかっていうほどのデカいコンピュータがひっきりなしに回っていて、プリンターが聳え立っていた。ありとあらゆる事務管理をそこでやったわけだけど、大半はコンピュータを常時稼働させておくためのセット・アップに関するものだった。僕の他にもう一人同期の男が配属されていた。彼は電算室にこもりっきりで、デカいテープを取り換える毎にかけずり回っていた。僕は隣の事務室にいた。デカいコンピュータからは印刷物―報告書とか小切手、給料明細書とかがカーボン用紙に印刷されて一定のスピードでポンポン出てくる。それを裁断機で裁断しないといけなかった。印刷物を裁断機にかけ、カーボン用紙をはがして仕分けすることもさせられた。で、ギロチン(訳注:裁断機のこと)の操作がまた大変というわけさ。マシンが常に作動しているか、タカのように監視していなくってはいけなかった。紙がなくなれば補充しなければいけなかったし、裁断の最中にマシンの中で紙詰まりでもしようものなら、もうおしまいさ。給料明細はズタズタというわけさ。緊張を強いられる仕事だったよ。常に気を使っていなければならなかった。職場の人間関係にもね。まあ最高の仕事ではなかったよ。
 キツいシフトでね。昼間は週五日で十二時間勤務。加えて夜勤は週四日あった。てんで僕には合わない職場だったよ。火曜の夜になると残業命令が出るんだ。工場に給料明細書を火曜日中に渡さないといけないのが理由だった。僕は頭にきて、いやできない、バンドの練習があるんだと言ったのさ(もっとも、練習はたまにしかやらなかったけど)。僕は病院に行き、鬱なんですって言ったら医者は錠剤をくれたけど、飲んだ記憶がないね。だって会社にいる限り僕の病気は治りゃしなかったわけだから。僕が出社を拒否しても会社から給料は支給されていたけど、ちょうどバズコックス最初のライヴをやる前日だった。解雇通著書が送られてきたのを憶えてるよ。
 夏休みのバイトをしたことがある。Kwik Fit(訳注:イギリスの自動車整備工場)の従業員かよっていう仕事だった。タイヤと排気管の整備工だった。父の友人に紹介してもらってね。いい仕事だった。雨になると休みにしちゃうんだ。お客さんに、もう予約で一杯だなんて言っておいてソデの下をもらってさ。じゃあやりましょうって。二週間しかいなかったけど、ご指名がかかったし注文もくれた。客ウケは良かったんだよ。オイシイ思いもできたしね。
 それから再び工場の仕事に戻って、今度はボールトンのグレイト・ユニバーサル・ストアズGreat Universal Stores(訳注:マンチェスターにて1900年創業の通信販売を主力とする業者)の通販部門の、発送事務職だった。返品処理をするのが役目で、商品に欠陥があったりとか規格が間違ってるとかで返品されるアイテムを処理していた。男が一人いて、そいつが箱にアイテムを詰め込み封をして僕に渡す。僕はそれにラベルを貼って発送部屋に置きに行くんだ。最初のうちは真面目にやったよ。けど2つ年上の同僚が、ノンビリやろうぜ、上司が顔を見せたり冷蔵庫を運べと命令してくるときだけ気合いを入れりゃいいって言ってきて。それで僕も、ラベル書きをゆ~っくりとすることを覚えるようになったというわけさ。
 イギリス石炭庁をクビになって本当にうれしかったよ。一生を仕事に、特に炭鉱の仕事に捧げるなんてさ。マーガレット・サッチャーのお陰だよ!