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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Bzzcocks tapes』(33)

パート3:ホワット・ドゥ・ユー・ノウ?

Part3: What Do You Know?

 

シングル発売のみ

「ランニング・フリー」と両A面

録音:1980年、アドヴィジョン・スタジオ、フィッツロヴィア、ロンドンそしてプルート・スタジオPluto Studios[1]、ストックポート

ミックス:ジェネティック・サウンズ、ストレッドレイ(訳注:他の章では「サウンズ」が、単数扱いになっている)

発売日:1980年12月

ソングライター:ピート・シェリー

プロデューサー:マーティン・ラシェント

スリーヴ・デザイナー:マルコム・ギャレット

 

気が付いたんですが、『パート3』のレコーディングはマーティン・ハネットの元で行なったのにプロデュースはマーティン・ラシェントだったんですね。

 

一連のレコーディングは全部同じ時期に終えていたんだけど、『パート3』は完成させられなかった。マーティン・ハネットは仕事のできる状態ではなくなっていた。ある日ニュー・ホルモンズの事務所に合った電話が鳴った。かけてきたのはマーテイン・ラシェントだった。バークシャー州のストレッドレイにある自宅にスタジオを建てたって言ってきた。豪勢なプール付の広大な敷地の家だった。自宅にスタジオを持つのが彼の夢だったんだ。僕はこの時『パート3』の事情を話して聞かせた。レコーディングの時ラシェントはアメリカにいたんだ(先刻話した通り、『パート1』をマーティン・ハネットが完成にこぎつけた時、マーテイン・ラシェントはアメリカで別の仕事中だった)。(訳注:ピートは『パート1』と語っているが、『パート2』を何故含めなかったのであろうか?)マーティン・ラシェントは「テープが手に入るんなら、俺たちで完成させてシングル発売しよう」って言ってくれたんだ。

 マーティン・ラシェントはテープを聴き比べて、デモの方がはるかに出来が良いと判断した。つまり僕らがリリースのつもりでレコーディングしたヴァージョンは採用されず、リリースされたのはデモ・ヴァージョンだったというわけさ。

 

デモにしては、すごく潤沢な音作りですね。

 

うん、ずいぶん手を加えたからね。エンディングの前にギターがくりかえされる所があるけど、あれは編集なんだ。前にも言ったように、デジタル・レコーディングになる前の編集作業って大変だったんだ。でもマーティン・ラシェントはその道に長けていた。編集の後新しくヴォーカルを入れ、マーティン・ラシェントはブラス・セクションのスコアを書き下ろしてレコーディングした。[2]因みに彼のスタジオはまだ完成してなかったんだよ。コントロール・ルームは稼働してたけど、スタジオの方は建設中だった。防音設備とか諸々な部分がまだね。

 

「ホワット・ドゥ・ユー・ノウ?」はバズコックスというよりも、ソロ作品のようです。

 

ソロと同じスタジオで、作業方法も同じようにしたから。どちらもマーティン・ラシェントと僕との二人でやったしね。あの時点では、まだソロ活動をどうこうしようという自覚はなかった。前にスタジオでやったのと同じような音になったとか、また一緒にやれるようになったなとか、そんな程度だった。マーティンとやるのが楽しかったんだ。そう、バンドのときは何をやるにも全員の意見をとり入れなきゃいけない。けど一人でなら自分の気持ち一つで全て決まるし、人とのつき合いもラクにやれる。あれこれ煩わしい思いもしないで済む。そうなるとアイデアも浮かびやすくなるし、何を補えばいいのか、自分の望む形は何か、周りもくみ取ってくれるようになる。コトはいい方向に進む。ソロというのは良い体験になったよ。でも自分の要求することは周りの全員に受け入れてもらわないといけないけどね。―バンドにいると自分の要求そのものが、ちょっと難しくなるね。

 

あのとき、何故残りのメンバーは現場にいなかったんですか?

 

マーティンにその方が上手くいくって言われたからさ。他のメンツは要らないって。

 

1999年、マンチェスターのライヴで取り上げられた時、ブラス・セクションはいましたっけ?いい音で鳴ってましたけど(私はステージ裏にいて、ステージは見れなかったんです)。

 

この時のツアーの大半で、ギター・テクのPT—ピーター・タウンドロウだけど、彼がキーボードでブラスをシュミレイトしてくれた。彼はトニーの友人で時折助手をしてもらっていた。マンチェスターとロンドンでは二組のブラス・セクションを使ったよ。憶えているのは、マネージャーのラフが、マンチェスターのショウが終わってロンドンに帰ろうとするブラス奏者達を引き留めなきゃならなくなってたってことだね。

 

歌詞にある「レザーをまとった少年がいる」って何のことですか?これまでのバズコックスとはイメージが違いますね。

 

彼はキリスト者のような存在だったのかもしれない。預言者として人々に啓示するつもりだったんだね。

 

「君が信じるものだけが理解しうるもの」とは?

 

僕らが理解し、信じることができるという行為、それが最期にはこの世をつくり上げることになるのさ。人は自分の信じることができるものしか、信じられないものさ。たとえそれが間違っているものであってもね!ちょっと宣教師っぽくなるけど「我、世界が開かれし時を見る。我、世界が語るのを聞く・・・・」ということさ。

 

ボイトレを受けてたんですか?すさまじく強力な声です。

 

いいや。ごく自然に歌ったまでさ。でも思い返してみると、全てマーテイン・ラシェントのお陰だな。どんなバカげたことをやろうと、彼は仕事を完遂させるまで怠ることはなかった。僕とマーテインは互いに、実に上手く仕事ができた。この時がそうだったのさ。そう、互いに理解し合えたってことだよ。



[1] プルート・スタジオ マンチェスターのグランビイ・ロウにあり、元ハ―マンズ・ハーミッツのキース・ホップウッドが朱裕・経営していた。有名な作品としてスミスのファースト・アルバム、クラッシュ1980年のシングル「Bankrobber」がここでレコーディングされた。プルートは現在チェシャ―州のもっとも奥まった郊外へ移転し、おそらく子供向けの映画ならびにテレビ番組の主題曲もしくは挿入曲の制作でもっともよく知られている。

[2]スティーヴ・ガーヴェイの回想:「『ホワット・ドュ・ユー・ノウ?』がましになったのは、マーティン・ラシェントがブラスを加えたからさ」