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最後のリアルタイム・ロックーエラスティカ


    表題だけを見れば、何だかかっこいいが、つい数日前まで、エラスティカについて私は殆んどその情報を持ってはいなかった。それほど熱心に聴いていたわけでもなかった。つい2年ほど前まで、その存在をまるっきり忘れていたくらいである。家を片付けていて、押し入れの中からたまたまCDを見つけ出し、ああいたわなあこのバンド、と感慨にふけった、その程度の関わりでしかない。それなのに、なぜ今この場でエラスティカを書き記したくなったのか。
    どんなに微細のものでも、そのひとつひとつは、己が生を形成するエレメントを成している、それを掬い出してみることだって時として有益だし、また時として必要ではないか。そんな思考にここ最近、私の頭は傾いている。今は取るに足りないものでも、時間が経てば案外重大だった、そんなこともありうる。こうして心動かされたという事は、私にとってエラスティカにはそれだけの価値があるのではないかと、CDをつらつら眺めながら考える。こうして数十年(としていいであろう)経って、なおCDが私に手元にあるのは、幸運であると共に、いまだに私の中でこのバンドの作品が私の内部に仄かな熱を有していることを示してはいまいか。熱を有しているのなら、それを文字として残しておこうではないか。だから私はこれからエラスティカについて記すのである。
    ・・・・と、大上段に構えてしまったが、最初にも記したように、私はこのバンドについてのほとんどを知らないまま、長い時間を過ごしてきた。興味を持って調べたこともなかった。リーダーであったジャスティーン・フリッシュマンがどこかの有名なバンドの男と恋仲だったとか、オアシスの誰が横恋慕していたとか、そんなことが漠然と頭の片隅に残っていたくらいである。これでは埒が明かないと、ウィキペディアで調べてみたら、日本語と英語での記述があった。しかも英語はオリジナル・メンバーそれぞれについて個別に記事が載っている。これには少々驚かされた。人気バンドであったからこそ、メンバー個別の記載があるのだなと、のんきに思ってしまった。
    人気バンド。そう、エラスティカは人気バンドであったのだ。デビュー作、つまり私が持っているCDは95年の発売当時、全英チャートで1位になったという。95年といえば、それまでブームとなっていたグランジが下火になり、ローファイだとかファットポッサム経由のロウダウンなブルースが喧伝されていた頃であったと思う。ところが当時の私はこうしたロックやポップの動向にはほとんど関心を失っていた。ひところのようにレコードやⅭⅮは買わなくなっていたし、買っても数回聴いただけで押し入れにしまいっぱなしにしてしまい、やがては家が手狭になってそれらを叩き売っていた。あるいは、これについて今回は記さないが、家人によって勝手に処分されてしまったりもした。学校を出て就職し、日々の労働で心身をすり減らし、寝る時間すら無くなっていた私には、ロックを熱心に聴く余力はほぼ、なくなっていた。エラスティカのCDも、こうした「その他のいわば聞き捨て商品」の一つに過ぎなかった。
    どのようにしてエラスティカを知ったのか。どこで最初に、その音に触れたのか。何故、いつ、エラスティカのCDを買ったのか。これらを思い出そうとしても、記憶の糸を手繰り寄せることが全くできないままである。おそらくは『ロッキング・オン』で、バンドのことは知ったのではないか。90年代前半、『ロッキング・オン』は当時の新人ロック・ミュージシャンを盛んにプッシュしていた記憶だけはうっすらとある。エラスティカも、その有力な新人として喧伝されていたのではないか。たまたまそれを、本屋の店先で眺めて知った、音も同じ時期に何かのラジオで知った、それを当時の私は気に入って―厳密には、まあ悪くはないからきちんと聴いてみるかと気まぐれに思い―、それでちょうど発売されたばかりのCDを買ってみた・・・・こういう案配だったのではなかろうか。さて、では「その他のいわゆる聞き捨て商品」の中から何故、エラスティカのアルバムが残ったのであろうか。
    エラスティカのデビュー作の何曲かはワイアーやストラングラーズの盗作だと、当時メディアで叩かれ、エラスティカもそれを認めてカネで決着したという。それを意識して聴き返してみると、まあ確かになあ、ここのメロディ展開なんて、とかこの音の録り方なんて、とか突っ込みを入れたくなる箇所が随所にある。しかしこの手の「盗作」的な行為は古の時代から枚挙にいとまがない。この場でいちいち挙げ連ねるのは意味がない。それよりも、ここまで堂々と既存の楽曲やサウンドメイクを音像化してしまったことに、むしろあっぱれだとしたい。彼女らにしてみたら、それをやった方が気持ちいいから、という自らの快感原則に従ったまでなのであろう。換言するなら、彼女ら、というかジャスティーン・フリッシュマンやドナ・マシューズ(もう一人のギター兼ヴォーカル)は素朴な音楽ファン~音楽ミーハーだったのであり、だからこそ、こんなあけすけなことをやってのけられたのではなかったか。
    フリッシュマンは1969年、マシューズは1971年、ベースのアニー・ホランドは1965年生まれである。つまり彼女らが10代を迎えポップ・ミュージックに関心を示す年代になったころの音楽情勢をみると、パンクが沈静化してエレポップ~ニュー・ロマンティクスのブームが、それが終わりマンチャスター・ムーヴメント~レイヴの人気が爆発し、やがて90年代に入ってグランジが登場するといった流れである。その一方で、かつてのクラシック・ロックという遺産のバックボーンもその蓄積が増し、フォーマットもレコードからCDへ、加えてヴィデオが普及して音楽をより手軽に、且ついっそう多角的に深く、時代やジャンルを縦横に横断して接することができる環境になった。アルバム『エラスティカ』の音作りは表面上直近までブームであったグランジ色が強く、さらには先に述べた「盗作」問題もあって当時は見えにくくなってしまったが、アルバムには様々な音楽的なイデオムがさりげなく放り込まれていて、メンバーが新旧のロックを、偏見なく自由闊達に親しんできたのであろうことが窺える。残念なのは、そののびのびした音楽への取り組みが、かならずしも全ての楽曲づくりやアレンジに結実しきれなかったことで、曲によっては安易な焼き直しに走ったり、シンセを過剰に導入したりしてバンドの活きの良さがすっかり殺がれてしまっているとされても仕方ないものが混在することになった。一方でパンク以降のロックへの愛惜を素直に表現し得た曲の持つスタイリッシュな疾走感は、今も鮮度を保っている。当時の私はそんな風通しのよさを、ロックへの愛惜を、エラスティカから感じ取っていたのだ。だからこそ、CDを手放さなかったのであろう(家人の目につかなかった運の良さもあるが)。そして、エラスティカは私にとって最後にリアルタイムで聴いたロック・バンドとして、忘れじの存在であると銘記すべきなのであろう。エラスティカを最後に、私は新しいロックを一切聴かなくなった。いや、ロックそのものも、まともには聴かなくなった。彼女らは私の音楽への接し方に、ひとつの大きなピリオドを打たしめる存在となったのである。
    と、ここまで述べておきながら、エラスティカの音楽を聴きこむことのできない私がいる。CDの中に刻み込まれた音~歌は、1995年で止まったままである。そこにあるエラスティカの音楽は、私にとっての「今」を照射するものではない。優れた音楽はそれが「つくられた時」を飛び越えてくるものだが、エラスティカの音楽は、私にとってそうではないのである。アルバムのジャケット写真には、4人のポートレートがモノクロで映し出されている。そのモノクロの画像が、私にはどこか遠くの外国での出来事を活写した古新聞にみえる。そこにはノスタルジアはない。虚無的な、ある種の苦みを私につきつける。あの頃の、心身に疲れを増幅させ、己を見失っていた自分と、エラスティカのその後の混乱~解散を、己の過去の一断面として重ね合わせてしまうからであろうか。
    現在、ジャスティーン・フリッシュマンは音楽をつくっておらず、アメリカでアート関係の仕事をしているらしい。残った3人は2017年に集結してデビュー・アルバムのリマスタリングをしたらしく、その時の写真を見ることができた。かつてより明らかに老け込んだ3人の笑顔があった。私は1995年が過去なのだという、当たり前の事実を認識しないわけにはいかなかったのである。ところでリマスタリングしたアルバムは世に出たのであろうか。

エラスティカと聞いて、今ぱっと思いつくのは「スタッター」である。こうした簡潔なナンバーづくりに照準を絞っていれば、アルバムの完成度はもっとはるかに上がったはずだ。