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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcoks tapes』(26)

レゾン・デートル
Raison d’être
 
「ユー・セイ・ユー・ドント・ラヴ・ミー」のB面
ソングライター:ピート・シェリー
プロデューサー:マーティン・ラシェント
 
どこで、いつこの曲は?
 
1973年。―これもジェッツ・オブ・エア時代の曲だね。ドラマーをネタにした、と思う。―あいつはいつも遅刻してきたんだよ。青い目じゃなかったけどね。茶色い目だった。全然文学的でも何でもないけど。
 
青い目、というのはソロ・ワークにも登場するテーマですね。「Never Again」や『HEAVEN AND SEA』に収録されている「Blue Eyes」とか。
 
そう、「シックスティーン」もそうだけど、いいネタになるんだよ。エルトン・ジョンも〔「Blue Eyes」で〕とり上げたし、ボブ・ディランも「A Hard Rain’s A Gonna Fall 激しい雨が降る」でね。―つまり僕は良き仲間に出会えたわけだね。
 
それでは、これは一人の紳士とのロマンスを歌ったものじゃないと?
 
それも一つの解釈だね!
 
まるっきりラヴ・ソングじゃないと?
 
そう、そうさ。でもラヴ・ソングだと思うなら、そうなるさ・・・・。
 
1973年、レーで十代の同性愛行為が大事件となったということは知りませんでした。
 
ああ、あったね。衝撃的だった!僕が全員男子のグラマー・スクールに通っていたことは、憶えていてほしいね。
 その人個人のセクシュアリティなんて、時代風土とともに変わるもんなんだよ。ジェンダー、これだって然りさ。英語の歌詞を書くと奇妙なことになる。例えばフランス語やイタリア語を使えば、使った人のフレーズの末尾で、その人の性別がはっきり判るよね。歌詞も同じなわけさ。けど英語はそうじゃない。英語のラヴ・ソングは書いた人の性別も、歌う人の性別も、男女どちらにも解釈できてしまう。英語のラヴ・ソングには他の言語のそれにはない曖昧さがある。ブリット・ポップが世界を席巻した理由がそこにあるのかもね!
 
この曲を演奏していたときは、どんな気持ちでしたか?
 
今言ったことさ。ジェッツ・オブ・エアで演っていた時は、まさにね。
 
ジェッツ・オブ・エアはライヴ告知をしてたんですか?
 
うん、ちょくちょくね。僕が教会とかに渡りをつけてさ。入場料は10ペンス。最期の時は20ペンスにしたけど。当時はこれでも大金だったんだよ!ディスコでもよく演った。例の青い目のドラマーがよくレコードを回してた。
 
学校ではフランス語を勉強してたんですか?
 
してたけど、成績はいつもクラスのどん尻でね。上達するよう努力はしてたけどね。
 
ソロ・ナンバーの「Telephone Operator」にも「存在する意義なんてわからないNe sais pas le raison d’être」ってありますね。
 
言葉の響きが良かったからね。もう一ぺん使ったのさ!ちゃんと意味が判って使ってるわけじゃないけどね。歌詞を書くときって、実際の言葉の意味合いよりも、そのフィーリングってこともあるよ。
 
この時期も旺盛な創作活動ですね。そもそも始めたきっかけは何だったんですか?
 
子供の時分はたくさんの三十年代四十年代の歌に興味を持ってね。よく母に歌詞を教わって、そのうち自分でプレイするやり方を身につけ、曲作りも始めるようになった。自分の曲の中で使うギター・ソロはクラシック・ロック的なものにしないで、メロディから音を選び取るようにしてるんだ。僕の弾くソロは大抵歌えるだろ!シンプルにやるのが好きなんだ。わざわざ面倒なことをしなくたっていいさ。
 1971年の夏、ロキシー・ミュージックに入れ込んでいた。Оレベル(訳注:中学卒業相当の学力認定試験)を取って、いろんなことに興味を広げていった。進学したボールトン産業技術インスティテュートの近所に古道具屋があって、そこで巻き上げ式のレコード・プレイヤーを手に入れた。ラッパを出し入れする木製の、「持ち運びできるpicnic」タイプだった。His Master’s Voice(訳注:ビクターのキャラクター・イラスト)のようなタイプじゃなかった。78回転盤の二十、三十、四十年代のレコードもたくさん買った。図書館にはグレイト・ギャッツビーthe Great Gatsbyの、舞台音楽用の楽譜があった。ピアノ用ではあったけど、ギター・コードも載ってたんだ。楽譜には「Ain’t She Sweet」のようなクラシック・ソングもたくさん載ってた。あの時代にいろんな音楽に接し、曲のつくり方とかを学んでいったんだ。
 最初に書いたうちの一曲が「Yesterday Night」ってタイトルで、録音したことはない。イマイチな出来だった。駄作の部類に入るよ!でも自分の知ってるプロの猿真似をした曲作りは、まあしなかったとはいえるね。誰も聴いたことがない世に出たことがない、そんな曲をつくろうとしていたね。
 
ギター・ソロはどうなんでしょう?ソロの入る曲が半数を占めますね。
 
僕のソロは大体がコード進行から発展させたいわゆる「リフものriffing」というより「手工品crafted」的だね。当時聴いてたクラウトロック的な感覚もあるよ。
 
多くのファンがお気に入りとして挙げている愛らしい一曲です。
 
ハワードにジョン・マー、スティーヴ・ガーヴェイと2012年の「バック・トゥ・フロントBack to Front」のために練習してみたんだけど、あきらめたよ。練習・本番、どっちも時間が足りなくてね(実際一晩に三部構成だったしね)。リクエストに応えるのは無理だよ!再結成後の曲も好むスジガネ入りのファンもいるけど、大半の連中はどパンク時代の曲を求めるからね。だからこの曲は外したんだ。