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バズコックス『ラヴ・バイツ』スペシャル・エディション解説全訳

ラヴ・バイツ


本作はEMIから再版される70年代のバズコックスが残した業績を集成した、その第2弾である。ここには彼らのセカンド・アルバム『ラヴ・バイツ』にシングル“ラヴ・ユー・モア”“プロミセズ”、そして2つのピール・セッションに1978年夏に制作された13曲のデモが収められる。


さらに1978年7月、レッサー・フリー・トレード・ホールで行なわれた公演も完全収録される。これはトニー・ウィルソンの司会でグラナダTⅤが制作した簡素な回顧番組のために行なわれたものである。[i]


未来なんて思い出にふけるためだけにある

手に入れたものは、将来手に入りやしない

これって奇妙なことなのかもね

未来も過去も、じきにごっちゃになるのさ

            ピート・シェリー

       “ノスタルジア”、1978年


『ラヴ・バイツ』はEMIにバズコックスが残した3作のうち、現在最も評価の低いアルバムだ。本作が発売された時期はバンドと、バンドを育んだ文化が災難に見舞われている最中であった。1978年1月にロットン時代のピストルズが解散し、パンクはもう終わりだと周囲からは目されていた。:パンクが最初に放った一撃はパワー・ポップ、ポスト・パンク、モッド・リバイバルといったパンクを継承もしくはそれに対峙する運動へと拡散していった。パンクの先行グループにいたバズコックスはもはや過去の存在扱いとなる危機の中にあった。あるいはそういう扱いをされていた。


実際1978年はバズコックスにとって画期となる年であった。2枚のアルバムと5枚のシングルー5枚すべてがヒットし、2枚はトップ20入りした―を発売し。精力的にツアーをして回った。シングルの1曲“エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ”は今やポップ・クラシックとして不動の地位を得ており、2005年11月に死去したジョン・ピールを記念するボックス・セットに収録された142曲のシングル曲の中に選ばれ、ピールの追悼シングルの1曲としても選ばれたのである。[ii]


しかし、『ラヴ・バイツ』に貼り付いた疲労感を見逃すことはできない。プロの音楽業界に属する身となったバズコックスはシングルを出し、ツアーをし、アルバムを出し、宣伝活動―そこには初期のヴィデオ制作も含まれていた―をするというサイクルに駆り立てられる、実のところ1個の売れる商品という扱いをされることになった。ヒットを出し続ける彼らには常に問題が横たわることになった。次のレコードを出すという問題である。新曲のネタはほぼ尽き、腰を据えて創作に打ち込む暇(いとま)は与えられなくなったのである。


この時期、曲のいくつかは過去シェリーが書き溜めたストックから引っ張り出されたものであった。“シックスティーン・アゲイン”と“ラヴ・ユー・モア”は1976年より前にかかれたものだ。しかし、バンドとしてこうした困難な状況に対峙し、それを自らの作品として昇華させた証しをここに残すことができたのである。同時に『ラヴ・バイツ』は―パンクという熱気に彩られた愛、報復、哲学、知覚―を考究した楽曲とサイケデリックな感覚とを、バズコックスならではの味わいに鋳直し、誰も達しえなかった領域に踏みこんで見せたのである。


アルバムは楽韓的な趣の“リアル・ワールド”で始まる。シェリーはここで愛に破れた者が前向きに希望を寄せるさまを見せている:「自分が夢見ていたものが、現実でも起こりうる、それだけの事さ」“ラヴ・バッテリー”の発展形といえる“オペレーターズ・マニュアル”は抗しがたいリフに彩られ、人間関係に潜む危うさを描き出そうとし、好色な“ジャスト・ラスト”(アラン・ディアルこと、マネージャーであるリチャード・ブーンとの共作)とスティーヴ・ディグル作の心染み入る“ラヴ・イズ・ライズ”へと続く。


“エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ”創作のきっかけは、バズコックスがスコットランドへのツアーをしている最中に映画『野郎どもと女たちGuys and Dolls』を観たことであった。翌日バンドを乗せたライトバンの中でシェリーガ作詩をし、1978年10月にチャート12位に達した―パンク勢がトップ20に入ることはまれなことであり、その表面的な成績を超える影響力を有しているのを証明するようにーこの曲はファイン・ヤング・カンニバルズ以来、多くの者たちにカバーされ続けている(『ザ・シンプソンズ』でもこの曲は使用され、『シェラック2』のサウンドトラックとしてピート・ヨーンがレコーディングしている)。


同時に本作には、他とは異質な2曲の躍動感あるインストルメンタル“レイト・フォー・ザ・トレイン”と“ウォーキング・ディスタンス”、これらと同趣向の、ほぼ5分間にわたってたゆたうように演奏されるさまが魅力的な、M・C・エッシャーの階段を思わせる無限に音が上昇していく錯覚を起こす、カンを想起させるリフが耳にこびりつく“ESP”も収録されている。“ESP”のテーマー人知を超えたもの、テレパシー―は標準的なパンクの意匠からかけ離れているけれども、バズコックスの進取の気性を証明するものでもあるのだ。


グラナダTⅤの番組『B’dum B’dum』でも言及されているが、アルバムの中心となる曲の数々は、時代が急激に移り変わっており、わずか2年前の出来事も遠い過去の彼方にあることを示すものであった。“シックスティーン・アゲイン”は『アナザー・ミュージック』収録の“シックスティーン”の続編ともいうべき内容だが、この曲ではかつての純真さ取り戻すべく振り返るのである。一方でアルバムと同時期にシングルとしてのみ発売された“リップスティック”では初期マンチェスター・パンク時代に創られたリフが基になっている―このリフはマガジンの“ショット・バイ・ボス・サイズ”やジョイ・ディヴィジョンの“ニュー・ダウン・フェイズ”でも使用された。


パンクの孕んだ問題―大変革の促進とポストモダニズムとの関係はその歩を一にしていたーは、シェリーが“ノスタルジア”で鋭く指摘し、あの時代の空気を見事に捉えていたのだ。―「その真っ只中に足をすくわれている気分だよ/子供時代の郷愁に、いつまでも浸っているんだ」―この優美な歌はペネトレーションがファースト・アルバム『ムーヴィング・ターゲッツ』で取り上げている。

 

草創期のポップ・アートを思わせるスリーヴ―努力を傾けるAppetant 諸概念Images制作と記された―を身にまとい、ワーストのメンバーであったロビン・ウトラシックの手になる写真そっくりのイラストがインナーを彩った『ラヴ・バイツ』はプレスから高い評価を得、“エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ”がトップ20ヒットになる成果をも生んだ。バズコックスはサブウェイ・セクトを従えたツアーに出たが、それはピート・シェリーが回想しているように「パンクとは社会的責任を持つことを意味する、ということが大きな理由の一つだった」からであった。バズコックスは常に、最も見どころのある連中を前座に起用した:例えばスリッツ、ペネトレーション、サブウェイ・セクト、ジョン・クーパー・クラーク、フォール、ギャング・オブ・フォー、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジョイ・ディヴィジョンなどである。

 

しかしシェリーにとって、1978年という時代の流れはあまりに苛烈であった。「あの年、僕らはしゃにむにやっていた。結成以来ラウンドハウス、マーキーときて、クレイドン・グレイハウンド、それがライシアムになり、やがてハマースミス・オデオンにマンチェスター・アポロにエスカレートしていった。だんだんと嫌になっていった。『ラヴ・バイツ』ツアーの時、リチャードにバンドは辞めるなと説教され続けた。辛くなる一方だった。けどリチャードからは辞めるなと言われ続けるばかりだった」雲行きが怪しくなってきた。イギリスは「不満の冬」を迎えていた。バズコックスは自ら疲れ果て、孤立しつつあると悟っていた。「シーンは終焉を迎えつつあった」とピート・シェリーは回想している。「淘汰されるようになっていったのさ。仕事は減っていった。僕はアシッド浸りになっていった」彼の感情は1978年10月、BBCのラジオ1でお目見えした“エヴリバデイズ・ハッピー・ナワデイズ”によく表れている。

 

その後の1979年から1980年にかけてのバズコックスの非凡な活動ぶりは、再販3部作の最後にあたる次作にて取り扱うことにしよう。

                           ジョン・サヴェージ



[i] この1時間番組はセリーとデヴォートのインタヴューも挿入され、『B’dum B’dum』のタイトルで、グラナダTⅤの電波圏内で放送された。

[ii] シングルにはピート・シェリー、ロジャー・ダルトリー、エルトン・ジョン、デヴィッド・ギルモア、ピーター・フックらが参加した。



シークレット・パブリックとニュー・ホルモンズ

シークレット・パブリックについて、これを機会に一言しておきたい。シークレット・パブリックとは、バズコックスがファンとの交流と自らの活動内容を報告することを目的として1978年に公刊を開始したファンジンであった。1981年のバンド解散まで9巻が発行された。1996年『Buzzcocks―the Complete History』の著書トニー・マクガートランドにより再興を果たし、現在はwww.secretpublic.comで閲覧可能。

元々の『The Secret Public』は1977年12月、リンダーとジョン・サヴェージ制作の、全ページモンタージュ写真集のファンジンとして登場した。詳細はLinder著『Works 1976-2006』(Jrp/Ringier)を参照。

上記の『The Secret Public』はリチャード・ブーンとバズコックスが運営していたレコード・レーベル、ニュー・ホルモンズからカタログ・ナンバーORG2として出版された。他のニュー・ホルモンズからの作品としてバズコックス・マーク1時代に、下記のものが発売されている。

ORG1 

ORG3
ORG4
ORG5
ORG6
ORG7
ORG8
ORG9
ORG10
ORG11
ORG12
   ORG13は存在不明
ORG14
上記作品の多くはLTⅯから発売の編集CDで入手可能。
『個性派レーベルAuteuer Labels:ニューモルモンズ 1977-1982ⅬTⅯCD2492、2008年7月。
ジャスティン・トルランド運営の秀逸なニュー・ホルモンズのウェブサイトは以下に。

https://www.newhormonesinfo.com/


訳者後記

 本稿は2008年にイギリスで発売されたが日本発売は見送られたバズコックスの2枚組CD『ラヴ・バイツ』の、30周年記念スペシャル・エディションに付されたジョン・サヴェージによる解説、その全訳である。現在本CDのフィジカル発売はなされておらず今後も再発の見込みはないであろうし、日本での発売もないであろう。このまま本解説が忘れ去られてしまうのは忍びなく、こうして訳出することにした。訳文に関しては意に満たぬところは多々あるし、思わぬ間違いも起こしているのではと思う。ご指摘いただければ幸いである。
 本CD(そして解説)は単独作品としても十分機能しうるが、70年代すなわちヴィンテージ期のバズコックスのバック・カタログのアーカイヴ3部作の第2部、という役割をも意味しており、解説は3本で1セットというコンセプトになっている。ゆえに本解説だけでなく、第1作目の『アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン』や第3作目の『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』の解説も参照さるべきであり、そうすることでヴィンテージ期のバズコックスの、その特異な音楽性や活動ぶり、当時の非ロンドン圏内のブリティッシュ・パンク・シーンのありようが立体的に浮かび上がってくるであろう。ジョン・サヴェージはブリティッシュ・パンクの評論家としてすでに確たる地位を築いている人だが、ここでの流れるような筆致でのバズコックスを論じる手腕は見事であり、ロンドン出身のパンク・ロッカーのみがブリティッシュ・パンクの歴史を創っていったわけではないことを、生々しく語ってくれているのである。
 本解説内容についてここでいちいち細かく振り返る必要はないであろうが、訳者が気付いた点をここで記してとどめておくのも無益ではないであろうし、ことにここ日本でのバズコックス人気の低迷ぶり(?)を刷新する何らかのきっかけになりはしまいかという老婆心もある。
 まず、これは本来『アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン』で触れるべきであろうが、『アナザー~』でサヴェージはピストルズやクラッシュに続くべき存在としてバズコックスを挙げ、ジャムではないと断言しているのである。バズコックスとジャムは、その非男性主義的なファッション・センスや音楽的ルーツとして共にビートルズにザ・フー、スモール・フェイセズの名を公言したり、楽曲の歌詞面でも男性主義的かつ野卑な表現を否定したりと、両者の親和性は非常に高いものがある。そういえば生前のピート・シェリーへのインタヴューをもとにルイ・シェリーが著したピート~バズコックスの評伝『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』でもバズコックスとジャムが比較して語られている箇所がある。イギリスでは両バンドを比較して論じる土壌とでも言いうるものが形成されているのではと訳者は勘ぐってしまった。
 次に、本解説の主たるテーマであるアルバム『ラヴ・バイツ』についてだが、サヴェージの視点は悲観的である。本作が発表された78年秋はパンクの波が急速に退潮しつつあったとされ、多くのパンク・バンドは解散し、もしくは音楽性をそれまでの簡素で攻撃的なロックンロールの枠から逸脱させた、新しい感性のミュージシャンが続々と登場していた。シーンはパンクからニュー・ウェーヴへと移り変わりつつあった。当のバズコックスは当時シーンから孤立し、ピートは鬱状態になりバンドを去りたいと念願していた、しかしそんな中登場した『ラヴ・バイツ』はピート~バズコックスの苦悩を見事に音楽に昇華させた傑作であると、サヴェージは述べるのである。しかし『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』でピートは、『ラヴ・バイツ』の製作期間は『アナザー~』同様極めて短く、メンバーも絶好調でありスタジオ作業は意欲に満ち楽しかったと、対蹠的な発言を残しているのである。同じアルバムの制作状況でも、評者~当事者とでこうも違うのは面白いものだが、それだけ一元的な解釈を許さない作品、と言えるかもしれない。ただサヴェージとピート、両者ともに作品そのものへの評価は肯定的である。
 サヴェージは、『ラヴ・バイツ』をヴィンテージ期で最も評価されていない作品だとしている。確かにそれを首肯してしまいたくはなる。パンク・ムーヴメントがまだ燃え盛っていた時期に制作・発表された『アナザー~』、当時のピートの思想~音楽性の完成を示したとされる『テンション』に挟まれて、いかにも分が悪いのは仕方ないかもしれない。しかし、『ラヴ・バイツ』はバズコックスの3枚のアルバム中最高のチャート・アクション(13位)を示し、シルヴァー・ディスクに輝いている。収録された1曲‟エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ”もバズコックスのシングルチャート史上最高の成績(12位)を記録している。リアルタイムでは最も成功した時期、と言っていいだろう。時代が下るにつれて相対的に『ラヴ・バイツ』の評価が下がってしまったと思われるのは、パンク・ムーヴメントの退潮とパラレルな時期に発表されたからではないか。
 これは訳者の個人的見解であるが、バンドとしてのバズコックスの、70年代の最高傑作は『ラヴ・バイツ』であるとみる。『アナザー~』はパンク・バンドの熱気と高揚感を上手く音像化させたが、曲のいくつかは初代ヴォーカリストのハワード・デヴォートがいた時代に創られたもので、まだ真のバズコックス節―ピートが主体となった音楽性―が全開になる前の時代を色濃く引き摺っているし、マスターテープのピッチを1音上げるなど、細かいギミックを随所に施したプロデューサーのマーテイン・ラシェントの手腕が目立ってしまうきらいもある。『テンション』の、楽曲のレベルは3作中おそらく最高であろうが、こちらは『アナザー~』よりはるかにラシェントによるギミックが執拗に施され、音は一層緻密になったがバンドとしての一体感や熱気はどうしても殺がれてしまうことになった(『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』の、『テンション』の章でベースのスティーヴ・ガーヴェイもそれを認める発言を残している)。その点『ラヴ・バイツ』ではラシェントのギミックは前後の2作ほど目立たない。実際の録音も『アナザー~』同様ほぼ一発録音で進められたようで、バンドとしての一丸となったパワーがしっかり伝わる。楽曲面でもハワードの関わっていないものばかりで占められ、ピート節が文字通り全開であり、それらの完成度も極めて高い。加えてアルバムの価値を高めているのが、前後のアルバムには、いや再結成後の作品にも登場しないインスト・ナンバーが2曲も収録されている点だ。その音像も、サイケデリックでいながらプログレッシブでありアバンギャルドな風味もある実験色強い内容であり、当時のバズコックスが紋切り型のパンク・サウンドにとらわれていないことを証明してもいるのだ。バズコックスといえばポップなメロディーに人間関係の苦悩を綴った歌詞、というのが今日に到るまでセールス・ポイントとされているが、このインスト2曲はそんな先入観を心地よく粉砕してくれる。さらにはやはり他のアルバムではほぼ聴けないアコースティックな「ラヴ・イズ・ライズ」もあったりと、振幅の大きい音作りも本作の特徴である。ピートが語っているように、この頃のバンドの意気は最高の状態であったのであろう。それがきちんと内容に反映されているのが素晴らしい。バンドの意気と楽曲の充実、演奏そのものの密度の濃さ。これらが高次のバランスでミックスされ、プロデューサーも過剰に干渉しない音処理。これぞバズコックスと言える出来映えである。
 もう一つ、スリーヴのアートワークについても少々。オリジナルのスリーヴはバンド名がエンボス処理され、写真に写ったタイトル文字が鏡文字になっていないのはなぜか?、インナーの4人のポートレートは実はイラストだ、などの、言われなければ気付かないような、目立たないところでの、これまたギミックは他のアルバムでは見られない凝りようである。ことスリーヴに関しては、圧倒的に『ラヴ・バイツ』は気合が入っている。さすがに配信形態では判りにくい(あるいは判らない)部分である。
 先にも記したが、バズコックスのバック・カタログはほぼフィジカルな形では入手不可能である。配信という形は確かに気楽に音楽に接することはできるだろうが、音楽は単に聞くだけではない、という見地に立つならば、今一度、フィジカルな形での流通が検討されても良いのではないか。本解説のような、資料的価値の大きい文献があるならなおのことである。この点は音楽関係者のみならず、聴き手にも意識していただきたいと思う。
 最後にもう一言。本CDに収録された78年7月21日のレッサー・フリー・トレードのライヴは映像が全編残っているのではなかろうか。何とかそちらも発掘願いたいと思う。

2023年1月12日 訳者記す